第17話 朝もやのキャンプサイトと、絶品チーズイン・ハンバーグホットサンド
朝の静寂がまだ山々を包み込んでいる頃、あやべ温泉キャンプ場の空は、深い群青色から淡い茜色へとゆっくりとその表情を移し変えようとしていた。
標高の高いこの場所の朝の空気は、前夜の予想を上回るほどにひんやりと冷たく、テントの表面や周囲の木々の葉には、キラキラと朝露が美しく光っている。
シュラフのなかの温もりから抜け出すのがちょっぴり名残惜しいような、けれど新しい一日の始まりに対する爽やかな期待感に胸が満たされる、そんな清々しい朝の幕開けだった。
「……んっ……ふぁあ……」
僕は寝袋のジッパーをゆっくりと引き下ろし、小さく伸びをしながらテントの外へと這い出た。肺の奥までスーッと染み入るような冷たくて美味しい山の空気を吸い込むと、昨夜までの心地よい疲労感がすっきりと洗い流されていくのが分かる。
ふと、僕たちが円形に並べたテントの中心、昨夜は美しい熾火を灯していた焚き火台の方に視線を向けると、そこにはすでに人影があった。
「あれ……? 宇都宮さん?」
まだ周囲のテントが寝静まっている静寂の中、宇都宮さんがすでに起き出し、手際よく薪グリルやクッカーの準備を始めていたのだ。彼女は動きやすいアウトドア用のスウェットにパーカーを重ね着し、髪をラフなポニーテールにまとめている。
「あ、奏多君、おはよー! 起こしちゃった? ごめんね、でも朝の空気があまりにも気持ちよくて、目が覚めちゃったらじっとしてられなくてさ!」
宇都宮さんは振り返ると、満面の笑みを浮かべて元気よく手を振ってくれた。その表情には眠気の色など微塵もなく、朝の爽やかな日差しを浴びてキラキラと輝いているようにさえ見える。
「いや、起こされたわけじゃないよ。それにしても、宇都宮さん朝からすごいな。もうすっかり準備を始めてるんだね」
僕が感心しながら近づいていくと、宇都宮さんは得意げに胸を張ってみせた。
「ふふん、なめてもらっては困るよ! キャンプの朝といえば、やっぱり美味しい朝食担当としての腕の見せ所だからね。昨日からずっと、今朝のメニューのことで頭がいっぱいだったんだから!」
宇都宮さんが指差したテーブルの上には、今日の朝食の主役となる食材たちが綺麗に並べられていた。
食パンのパックに、シャキシャキとした千切りキャベツ、とろけるスライスチーズ、そして、昨日の夕食のあの感動的な煮込みハンバーグが、朝食用にしっかりとキープされていた。
「おお……! 昨日のハンバーグをちゃっかり残しておいてくれたんだね。これは期待できるな」
僕が驚きの声を上げると、宇都宮さんは「でしょでしょ?」と悪戯っぽくウィンクをした。
「昨日あんなに美味しかったんだから、絶対に朝のホットサンドの具材にしたら絶対美味しいはずだって、昨日の夜の片付けのときにこっそりキープしておいたの! 名付けて、『朝のエネルギーチャージ・チーズインハンバーグサンド』!」
宇都宮さんのその名付け親のような自信満々な表情に、僕は思わずクスリと笑ってしまった。
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そんな私たちのやり取りを皮切りにするかのように、隣のテントのジッパーがシャララと軽やかな音を立てて開き、まずは桐嶋さんが顔を出した。
「……ふう、おはよう、二人とも。朝からなんだかとてもいい香りが漂っているけれど……もしや、もう朝食の準備が始まっているのかしら?」
桐嶋さんは寝癖を整えながら上品に目をこすり、漂ってきた香ばしいパンの匂いに鼻をくんくんとさせている。
続いて、更科さんや永澤さん、そして最後に七柰が「うう……むにゃむにゃ、お兄ちゃん、おはよう……」と目をこすりながらフラフラとテントから出てきた。
「皆もう起きてるんだ……って、姫さん、なんか朝からすごくいい匂いがします!」
七柰は匂いに釣られるようにして、一目散に宇都宮さんのもとへと駆け寄っていく。
「おはよー、七柰ちゃん! よく寝られた? 今ね、みんなの分の最高に美味しい朝ごはんを作り始めるところだよ!」
宇都宮さんのその声に、全員の眠気が一気に吹き飛んだ。
「わあ、朝からお料理なんて、姫さんさすがですね! 私、何かお手伝いできることはありませんか?」
永澤さんがテキパキと動き出し、更科さんも「私もお湯を沸かすのを手伝うわね」と静かにクッカーの横に立つ。
こうして、朝のキャンプサイトは一瞬にして活気あふれる特設キッチンへと早変わりした。
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朝食として宇都宮さんが指揮を執り、みんなで分担して作るのは、ホットサンドメーカーで作る『チーズイン・ハンバーグホットサンド』と、冷えた体を芯から温めてくれる『温ポタージュスープ』だった。
調理のプロセスは手際よく、かつダイナミックに進んでいく。
まずは、ホットサンドメーカーの内側にバターを薄く、ムラなく塗り広げる。そこにこんがりとしたキツネ色の予感を漂わせる食パンを一枚置き、その上にシャキシャキとした新鮮な千切りキャベツをふんわりと敷き詰める。
そして、その上にたっぷりのスライスチーズを重ね、さらに前日の夕食の残りのハンバーグをフォークでゴロッとほぐして贅沢にトッピングしていく。
仕上げにもう一枚のチーズをのせ、食パンでサンドしたら、ホットサンドメーカーの口をしっかりとロックする。
「よし、ここからが一番の勝負所! 弱火でじっくり、両面をきつね色に香ばしく焼き上げるよ!」
宇都宮さんが薪グリルの上にホットサンドメーカーを慎重にセットし、焼き加減を真剣なまなざしで見守る。
じゅううう、と香ばしいバターとチーズが溶け合う最高のサウンドが、静かな朝の森の中に心地よく響き渡った。
その隣では、更科さんと永澤さんが協力してクッカーでお湯を沸かし、たっぷりの牛乳と濃厚なスープの素を優しく溶かして、湯気たちのぼる温かいポタージュスープを作っている。
「わあ……すごい、パンの焼けるこの香ばしい匂いと、チーズのたまらない香りが周囲に広がってきて、お腹が鳴りそうです!」
七柰が自分の小さなお腹を両手で押さえながら、ゴクリと大きく喉を鳴らした。
「ふふ、七柰ちゃん、もうすぐ焼き上がるからね。ほら、裏返すよ……せーのっ!」
宇都宮さんがミトンをはめた両手でホットサンドメーカーを鮮やかにひっくり返し、パカッと蓋を開けた瞬間──。
「うわぁ……っ……!」
そこにあらわれたのは、両面が美しすぎる黄金色のキツネ色に焼き上がり、隙間からとろりと濃厚なチーズが香ばしく溶け出している、究極のホットサンドだった。
「完璧! 大成功だよ、これ絶対美味しいやつだ!」
宇都宮さんがガッツポーズを作り、周囲からも「すごーい!」「お店の朝食みたい!」と歓声が上がる。
焼き上がったばかりの熱々のホットサンドを包丁でサクッと半分に切り分けると、断面からジューシーなハンバーグの肉汁と、とろけ出すチーズが顔をのぞかせた。
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僕たちはそれぞれ、出来立てのホットサンドをペーパーに包み、そして温かいポタージュスープの入ったマグカップを両手でしっかりと握りしめながら、アウトドアチェアに腰を下ろした。
「それじゃあ、みんな揃ったところで……今日の最高の朝ごはんに、いただきまーす!」
宇都宮さんの元気な掛け声に合わせて、私たちは一斉にその絶品ホットサンドにかぶりついた。
「んんーーっ……!! 美味しいっ……!!」
一口食べた瞬間、誰もが思わず声を漏らした。
外側の食パンは薪グリルの遠赤外線とバターのおかげでカリッ、サクッと最高の歯ごたえを奏で、それに続いて中の千切りキャベツのシャキシャキとした食感が絶妙なアクセントを加える。
そして何より、昨日の特製煮込みハンバーグの旨味がギュッと凝縮されたジューシーなお肉と、とろりとコクのあるチーズが口の中で一体となり、言葉を失うほどの美味しさを爆発させていた。
「なにこれ! 昨日のハンバーグがこんなに生まれ変わるなんて反則だよ、姫さん天才すぎませんか!?」
永澤さんが目をハート型にさせながら、夢中でホットサンドを頬張る。
「ふふん、私の料理の腕にかかればこれくらいお茶の子さいさいよ!」
宇都宮さんが誇らしそうに笑いながら、自分の分のホットサンドを大きく一口かじりついた。
「本当に、言葉が出ないくらい美味しいわ……。山のひんやりした朝の空気の中でいただくこの温かいスープとホットサンドは、どんな高級ホテルの朝食よりも贅沢かもしれないわね」
桐嶋さんが優雅にポタージュスープのカップを傾け、うっとりとした表情を浮かべる。
更科さんも「うん、本当においしい。心までじんわりと温かくなるね」と、隣で優しくうなずいていた。
「お兄ちゃん、これ本当に美味しい! 私、毎日この朝ごはんが食べたいくらい!」
七柰が両頬をパンパンに膨らませながら幸せそうに笑うのを見て、僕はなんだか胸が熱くなるような、温かな満足感に包まれた。
朝の冷たい山の風が頬を撫でる中、温かいスープを啜り、絶品のホットサンドをみんなでワイワイと頬張る。
昨日の夜から続く楽しい時間の延長線上に、この最高の朝ごはんがあることが、たまらなく愛おしく感じられた。
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美味しい朝食を隅々まで残さず完食し、心も体もすっかり満たされた僕たちは、食後の温かいコーヒーや紅茶をそれぞれのマグカップに淹れ、しばらくの間、キャンプサイトでゆっくりとまったりとした時間を過ごした。
青空が徐々に広がりを見せ、木々の隙間から差し込む朝の木漏れ日がキャンプサイトを優しく照らし出す。
鳥たちのさえずりが賑やかに響き渡る中、私たちは昨日のモルックの勝負の振り返りや、今日これから帰るまでの予定について、のんびりと会話を交わした。
けれど、至福のまったりタイムはあっという間に過ぎ去っていく。
ふと腕時計に目をやった桐嶋さんが、ハッとした表情で声を上げた。
「皆、のんびりティータイムを楽しんでいるところ申し訳ないけれど……時計を確認したら、もうすぐ午前九時になろうとしているわ。このキャンプ場のチェックアウトは確か『午前十時』だったわよね?」
桐嶋さんのその言葉に、全員の動きがピタリと止まった。
「ひゃっ!? も、もうそんな時間……!?」
宇都宮さんが慌てて自分の腕時計を覗き込み、目を丸くする。
「本当だ……。楽しすぎて時間の感覚が完全に狂ってました……あと一時間しかないじゃないですか!」
永澤さんも大慌てで立ち上がり、僕たちに残された時間がすでに残りわずかであることに気づいた。
「よし、のんびりモードはこれでおしまい! 皆、一気にテキパキモードに切り替えるよ! チェックアウトの午前十時までに完全撤収して、綺麗な状態で管理人さんにテントサイトを返却するぞ!」
僕がリーダーシップを発揮して声をかけると、全員が力強く返事をし、一斉に動き出した。
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ここからの僕たちの撤収作業は、まるでプロのチームのような驚異的なスピードと連携プレイだった。
まずは、朝食で使用したクッカーやスキレット、マグカップなどの食器類を、永澤さんと七柰が中心となって手際よく洗い場へと運び、綺麗に洗浄して水気を拭き上げる。
その間に、僕と宇都宮さんは薪グリルや焚き火台の周辺の片付けに取り掛かった。完全に冷え切った灰や炭の残りカスを専用の火消し壺にしっかりと回収し、周囲にゴミが落ちていないか目を皿のようにしてチェックする。
そして、桐嶋さんと更科さんは、自分たちのテントの解体作業を進めた。
「七柰、そっちのシュラフとマットはちゃんと丸めて収納袋に入れた?」
「はいっ、お兄ちゃん! こっちはもう完璧にパッキング終わってます!」
七柰が自分の荷物を背負いやすいようにリュックに綺麗に詰め込み、テントの中の忘れ物チェックも入念に行っている。
昨日までのキャンプですっかり手慣れたもので、その頼もしい姿に成長を感じずにはいられなかった。
最後に、僕の分と正樹叔父さんから借りた大切なドームテント本体の解体作業だ。
「よし、二人で同時にポールを抜くぞ。せーのっ……!」
僕と七柰が息を合わせ、テントを支えていたポールを慎重にスルスルと抜き取っていく。すると、あんなに頑丈にそびえ立っていたテントが、シュルシュルと音を立てて見事に折り畳まれていく。
「お疲れ様! テントの収納袋にも綺麗に収まったよ!」
七柰が額の汗を手の甲で拭いながら、パッと満面の笑みを浮かべた。
全員がそれぞれの持ち場を完璧にこなし、自分たちの使ったサイトの地面をもう一度隅々まで見渡す。
ゴミ一つ落ちていない、来たときよりも美しく整えられた完璧なキャンプサイトの姿を確認し、僕たちは「よしっ!」と小さくガッツポーズを交わした。
腕時計を確認すると、時刻は午前九時五十分。
チェックアウトの期限である午前十時になる直前のまさにジャストのタイミングで、すべての撤収作業が完璧に完了したのだった。
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僕たちはそれぞれの大きなバックパックやリュックを背負い、最後に管理棟へと向かって歩き出した。
管理棟の窓口で、昨日からお世話になった親切な管理人さんにテントのレンタル返却とチェックアウトの手続きを済ませる。
「お世話になりました。すごく快適で、最高のキャンプができました」
僕たちが深々と頭を下げてお礼を伝えると、管理人さんは温かい笑顔で「お疲れ様でした。またいつでも遊びに来てくださいね」と優しく見送ってくれた。
管理棟の自動ドアをくぐり、あやべ温泉キャンプ場の敷地の一番外側、これから帰りの電車に乗るために駅へと続く小道へと足を踏み出す。
目の前に広がる豊かな山の緑と、青く澄み渡った空。その景色を名残惜しそうに振り返りながら、僕たちはそれぞれに深い息をついた。
「ふあぁ……終わっちゃったね、キャンプ……」
宇都宮さんが少しだけ寂しそうな、けれどやり切った満足感に満ちた表情で呟く。
「本当に、あっという間の二日間だったわね。でも、心の底からリフレッシュできた最高の旅だったわ」
桐嶋さんが優しく微笑み、更科さんも「うん、またみんなでこういうところに来たいわね」と穏やかにうなずいた。
「お兄ちゃん、私、今回のキャンプで料理の楽しさも、大自然の中で過ごすことの素晴らしさも、全部大好きになったよ! 連れて来てくれて本当にありがとう!」
七柰が隣で満面の笑みを浮かべながら、僕の腕をキュッと嬉しそうに抱きしめる。
「ああ、こちらこそ。みんながいてくれたおかげで、最高の思い出になったよ」
僕たちはたくさんの楽しかった思い出と、温かな絆を胸に刻み込みながら、笑顔でキャンプ場を後にし、帰路となる駅への道をゆっくりと歩き始めた。




