第16話 満天の星と熾火の温もり、夜更けの語らい
あやべ温泉での極上の温泉タイムで、体の芯からすっかり温まり、日中の疲れも心地よく洗い流された僕たちは、それぞれのカゴバックを手に再び自分たちのキャンプサイトへと戻ってきた。
夜の帳がすっかり下りたキャンプ場は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返り、どこか神秘的な静寂に包まれている。
けれど、僕たちのサイトには、先ほどまで使っていた薪グリルの炭火が美しい赤々とした熾火となり、闇夜の中に優しく温かな光を投げかけていた。
「はぁ〜、生き返ったぁ! あそこのお湯、お肌がツルツルになるし、露天風呂から見上げた星空がもう言葉を失うくらい綺麗だったよね!」
宇都宮さんが濡れた髪を軽くタオルで押さえながら、満面の笑みでパタパタとテントの周りを歩き回る。その言葉通り、頭上には、無数の星々がどこまでも鋭く、冷たく、そして美しく瞬いていた。
「本当にそうですね。温泉に入ったおかげで、山の夜風の冷たさもなんだか心地いいポカポカした刺激に変わっちゃいました!」
永澤さんもフリース素材の上着のジッパーを少し上げながら、嬉しそうに大きく息を吐き出す。
「それじゃあ、冷めないうちにみんなであの熾火を囲もうか。せっかくの綺麗な星空なんだし、少し夜更かしして語り合おうよ」
僕が声をかけると、桐嶋さんと更科さんも、「賛成だわ」「すごく楽しみね」と微笑みながら、焚き火の周りに並べられたアウトドアチェアへと腰を下ろした。
僕たちはそれぞれマグカップに温かいお茶やハーブティーを注ぎ、パチパチと心地よい微かな音を立てる熾火の周りに円を作って座った。揺らめくオレンジ色の炎の光が、六人の顔を柔らかく照らし出す。
夜の静けさと満天の星空、そして温かな火のぬくもりが揃った最高の一幕の中で、まずは宇都宮さん、桐嶋さん、永澤さんの三人による、懐かしくも賑やかな幼馴染みトークの幕が上がった。
「ねえ、聞いてよ! 今日こうやって星空を眺めてたらさ、昔のすっごい恥ずかしい失敗を急に思い出しちゃったんだよね」
宇都宮さんがマグカップを両手で包み込みながら、ニヤニヤとした悪戯っぽい笑みを浮かべる。その瞬間、隣に座っていた桐嶋さんが「……ちょっと、姫、まさかあの話じゃないでしょうね?」と、頭を抱えた。
「そう! まさにその話! 私たち、小学校の高学年のときだっけ? 地元の夏祭りの夜にさ、咲ちゃんが『私、ちょっと大人っぽいところを見せるんだ!』って意気込んで、浴衣の帯にめちゃくちゃ派手な手作りの大きな造花を無理やり挿して歩いてたの覚えてる!?」
「ひゃ、姫……! そこまでにしておきなさいよ、恥ずかしいから!」
いつもは冷静で知的で、みんなの頼れるお姉さんポジションにいる桐嶋さんが、このときばかりは耳のあたりまで真っ赤に染め上げながら、宇都宮さんの肩をバシッと軽く叩いた。
「ああ、ありましたね、そんなことも」
永澤さんがうなずきながら相槌を打つ。
「ええっ!? 咲さんが手作りの大きな造花を浴衣に!? それ、想像するだけでめちゃくちゃ可愛いじゃないですか! 咲さんのそんな可愛らしい子供の頃のエピソード、もっと聞きたいです!」
と七柰も身を乗り出す。
「もう、笑わないでよ! あのときは、雑誌に載ってたコーディネートに憧れて、自分で夜な夜なフェルトを切って作ったのよ。でも、いざお祭りの人混みに出かけたら、その巨大な造花が神社の鳥居の端っこに引っかかって、盛大にスッ転んだ挙句、花がポロリと取れて用水路に流れていったんだから……。あのときの絶望感といったら、今でも夢に出るレベルよ……!」
桐嶋さんが両手で顔を覆いながら恥ずかしそうに身をよじらせると、その場にいた全員がドッと大爆笑の渦に包まれた。
「そうそう! そのあと、泣きそうになりながら『もう二度と手作りの飾りなんて作らない……!』って咲ちゃんが地べたに座り込んでた姿、今でも私のスマホのアルバムの奥底にしっかり保存してあるからね!」
「姫、それ今すぐ消しなさいよ! 消さないと、あなたの小学校のときの『秘密の自由研究の黒歴史』を今夜ここで全暴露しちゃうわよ!」
「ひっ……! それは停戦、停戦協定を申し込むよ、咲ちゃん!」
宇都宮さんと桐嶋さんが言い合いながらゲラゲラと笑い合うその姿は、何年もの時間を共に過ごしてきた幼馴染みならではの、深い絆と絶対的な信頼関係に満ちあふれていた。
「いいなぁ……。子供の頃からの秘密を共有できる幼馴染みって、なんだかすごく眩しくて憧れちゃいます」
七柰が羨ましそうでいて温かい眼差しで三人を見つめながら呟く。
「ふふ、七柰ちゃんだって、お兄ちゃんがいるじゃないですか。それに、こうやって今、私たちとも素敵な思い出をたくさん作ってる途中でしょう?」
永澤さんが七柰の頭を優しくポンポンと撫でると、七柰は「はいっ!」と嬉しそうにパッと笑顔を咲かせた。
そんな和やかな空気が流れる中、ふと話題は、今回新しく僕たちのグループに加わってくれた更科さんへと向けられた。
「そういえば、更科さんは普段はどんな生活をしてるの? なんだか謎めいていて気になってたんだよね」
宇都宮さんがマグカップを傾けながら、興味津々といった様子で更科さんに視線を注ぐ。更科さんは静かに微笑みながら、揺らめく熾火に視線を落とした。
「ううん、特別な秘密なんて何もないわよ。私は普段、大学の近くにある実家から通っているの。その実家では、カフェをやっていてね」
「えっ、カフェですか……!? うわぁ、お洒落!」
七柰が目を輝かせて身を乗り出す。
「両親が経営しているお店なんだけどね。そこで、私も普段からアルバイトとしてウェイトレスを任されたりしているの。それに、私のお姉ちゃんも、そのカフェで一緒に働いてくれているのよ。姉妹二人で、お店のコーヒーを淹れたり、焼き菓子を作ったりしながらわちゃわちゃ過ごしているの」
「えっ、お姉さんがいらっしゃるんですか!?」
永澤さんが思わず声を上げる。
凛とした美しさと気品を持つ更科さんにお姉さんがいるなんて、どんな素敵な人なんだろうと、皆が一気に想像を膨らませた。
「きっと、更科さんみたいに美人で落ち着いたお姉さんなんでしょうね!」
「うん。私なんかよりずっとお姉ちゃんはしっかり者で、時々お姉ちゃんに怒られちゃったりするのよ。『美怜、またお皿の置き方が雑になってるわよ』なんてね」
更科さんが少し茶目っ気を含んだ笑みを浮かべながらそう言うと、その普段のクールな美しさとのギャップに、七奈は思わず「素敵……!」と息をのんだ。
「カフェでバイトしながら姉妹で働いているなんて、なんだかドラマのワンシーンみたいでめちゃくちゃ憧れます! 今度、絶対にお店に遊びに行かせてくださいね、美怜さん!」
七柰が更科さんの手をキュッと握りながらおねだりすると、更科さんは「もちろん、いつでも大歓迎よ。七柰ちゃんが来てくれたら、自慢の特製カフェラテを淹れてあげる」と、とびきり優しい笑顔でうなずいた。
家族の温かな絆や、それぞれの日常の一コマが語られるにつれて、僕たちの距離は今日の朝よりもさらに一歩も二歩も近づいたような気がした。
そして、話題のバトンは自然と、高校生活真っただ中の七柰へと渡っていった。
「七柰ちゃんは、高校生活はどうなの? 最近、学校で何か面白いこととか、部活での大ニュースとかないの?」
桐嶋さんが優しく先輩らしい視線を向けると、七柰は少しだけ照れくそうに頬をポリポリとかいた。
「ええっと……私、実は最近、学校の家庭科の調理実習でちょっとした事件があったんです……!」
「事件……? なにそれ、めちゃくちゃ気になる!」
宇都宮さんが前のめりになって聞き耳を立てる。
「この間、学校でハンバーグを作る調理実習があったんですけど……私、家でお兄ちゃんに手伝ってもらって予習したはずなのに、いざ本番になったら、焼き加減のタイミングを完全に間違えちゃって……気づいたら、フライパンの底で真っ黒な炭の塊みたいな『謎のモンスターハンバーグ』を錬成しちゃったんです……!」
七柰が両手で顔を覆いながら恥ずかしそうに告白すると、その場に再び大きな笑い声が弾けた。
「えっ、炭の塊を……!? それは逆にすごい才能かも!」
宇都宮さんがお腹を抱えて笑い転げる。
「で、でもですね! そのあと、グループの子たちが『大丈夫、チーズをかければ見えないよ!』ってフォローしてくれて、最後はたっぷりのチーズで誤魔化して美味しく食べたんですけど……先生に見つからないか、冷や汗タラタラでした……」
七柰がぷくっと頬を膨らませながら当時の焦りを語る姿に、更科さんも「ふふ、でも失敗から学ぶこともあるわよ。今日の夕食のハンバーグはあんなに完璧だったんだから、練習の成果がしっかり出た証拠だわ」と優しくフォローを入れる。
「そうだよ。七柰は家でも一生懸命料理の練習をしてるからな。失敗も次の糧になるさ」
僕がそう言うと、七柰は少し照れくさそうに「お兄ちゃん……」とはにかみながらも、とても嬉しそうな表情を浮かべた。
§
夜の更けるのも忘れて、幼馴染みの笑い話から、カフェでの日常、そして高校生活のちょっとしたドタバタ劇に至るまで、たくさんの言葉と笑顔を交わし合った僕たちの時間は、まるでゆっくりと流れているかのようだった。
やがて、薪グリルの熾火の光も徐々に小さくなり、山間の夜の冷気がいよいよ本格的なものへと変わってきた頃。
「あ……、なんだか急にまぶたが重くなってきたかも……」
永澤さんが小さくあくびを噛み殺しながら、両手で目をこする。
「本当ね。時間を忘れちゃっていたけれど、時計を見たらもうこんな時間だったわ」
桐嶋さんが腕時計の文字盤を確認し、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「よし、それじゃあ明日の朝も早いことだし、そろそろ今夜はみんなでお休みをするとしようか」
僕が立ち上がりながら声をかけると、全員が「そうだね」「おやすみなさい」とそれぞれに体を伸ばした。
「みなさん、今日は本当にありがとうございました! すごく、すごく楽しかったです……!」
七柰が名残惜しそうにしながらも、今日一日を締めくくるように皆に深くお辞儀をする。
「こちらこそ、最高に楽しい一日をありがとうね、七柰ちゃん。おやすみ!」
宇都宮さんたちが温かい笑顔で七柰の頭を撫で、それぞれ自分たちのテントへと戻っていく。
更科さんも「おやすみ、水守君、七柰ちゃん。また明日ね」と優しく微笑みながら、自分のテントへと消えていった。
「お兄ちゃん、おやすみなさい!」
「ああ、おやすみ、七柰。風邪ひかないようにしっかり寝るんだぞ」
僕はテントのジッパーをしっかりと閉め、ひんやりとしたシュラフの中に潜り込んだ。
外からは、山を渡る夜風のざわめきと、遠くで響くフクロウの鳴き声だけが聞こえてくる。
僕は心地よい疲労感と、胸いっぱいの温かな満足感に包まれながら、ゆっくりと目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。




