第15話 湯けむりの向こうに広がる星空と、至福の温泉タイム
薪グリルの温かな炎を囲みながら味わった、極上の煮込みハンバーグと感動の締めパスタ。 心ゆくまで美味しいディナーを満喫した僕たちのキャンプサイトには、心地よい満腹感と穏やかな時間が流れていた。
スキレットやクッカーなどの調理器具をきれいに洗い上げ、食器をしっかりと片付け終えると、山間の夜の冷気が本格的に肌を刺し始める。
標高の少し高いあやべ温泉キャンプ場の夜風は、日中の暖かさが嘘のようにひんやりと冷たい。
「はぁ〜、お腹いっぱい食べたあとにこのひんやりした空気……なんだかすごく身体にしみるね」
宇都宮さんが両腕を抱え込むようにして小さく身震いしながら、満面の笑みで空を見上げる。漆黒の夜空には、都会では決して見ることのできない数え切れないほどの満天の星が美しく瞬いていた。
「本当にそうですね。こんなにたくさんの星、久しぶりに見た気がします……」
永澤さんがうっとりとした表情で夜空を仰ぎ見ると、桐嶋さんも深くうなずきながら眼鏡のレンズを月明かりにきらめかせた。
「ええ、静寂に包まれた山の夜空は本当に息をのむ美しさだわ。でも、身体がすっかり冷え切ってしまう前に、あのお楽しみに行くとしましょうか」
桐嶋さんのその言葉に、全員の視線がキャンプ場のすぐ隣に堂々と佇む『あやべ温泉』の本館へと向けられた。
「そう! 今日のキャンプの最大のハイライトの一つ、あやべ温泉でのゆったり温泉タイムの時間だよ!」
宇都宮さんが元気よく声を張り上げると、七柰も「やったぁ!」と両手を叩いて大喜びした。
僕たちはそれぞれのテントに戻り、あらかじめ用意しておいた着替えやタオル、スキンケア用のポーチなどをそれぞれのバッグにしっかりと詰め込んだ。
「お兄ちゃん、ちゃんとタオルと着替えのパンツは持った? 忘れたらお風呂上がりに泣くことになるからね!」
七柰が自分の可愛らしいリュックサックを背負いながら、僕の持ち物を厳しくチェックする。
「大丈夫だよ、ちゃんとバスタオルもフェイスタオルも、着替えも完璧に準備してあるから安心してくれ」
僕がバックパックのサイドポケットを見せると、七柰は「よし、それじゃあ出発進行!」と元気よく声を弾ませた。
僕たちは星明かりに照らされたキャンプ場の小道を抜け、温かな灯りがこぼれるあやべ温泉の本館のエントランスへと向かった。
ロビーの自動ドアをくぐると、外の冷気が一瞬でかき消されるほどの心地よい暖気と、温泉宿特有のほんのりとした硫黄や木の香りが鼻腔を優しく包み込む。
フロントの受付を済ませ、心地よい畳敷きの廊下を歩いていくと、いよいよ男女別の大浴場の暖簾が目の前に現れた。
「それじゃあ、私たちはこっちの女湯へ行ってくるね! あとでロビーで待ち合わせね〜!」
宇都宮さんを先頭に、桐嶋さん、更科さん、永澤さん、そして七柰の五人が、それぞれのカゴバックを手にしながら楽しげに女湯の暖簾の向こうへと吸い込まれていく。
その直前、七柰が振り返って僕に「お兄ちゃんも、ちゃんとお湯に浸かって一日の疲れをしっかり取るんだよ!」と可愛らしく手を振ってくれた。
「ああ、分かってるよ。みんなもゆっくり温まってきなよ」
僕は笑顔で手を振り返し、彼女たちと別れて一人、男湯の暖簾をくぐって脱衣所へと足を踏み入れた。
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脱衣所のカゴに服を綺麗に収め、かけ湯をしてから足を踏み入れた男湯の大浴場は、湯気と温かな照明に満たされた極上の空間だった。
広々とした内湯には、肌触りの滑らかな天然温泉がたっぷりと満たされており、水面からもうもうと立ち上る白く柔らかな湯気が、天井の木の梁を優しく濡らしている。
そして何より目を引いたのが、ガラス張りの大きな窓の向こうに広がる、風情ある露天風呂だった。
僕はまず内湯でしっかりと体を洗い流し、温かいお湯で十分に予熱を済ませてから、慎重に露天風呂へと足を踏み出した。
「うわぁ……っ……!」
冷たい夜風が吹き抜ける露天の空間に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような山の冷気と、体の芯からとろけるような温泉の熱さが絶妙なコントラストを生み出し、思わず声が漏れた。
ゆっくりと肩までお湯に沈み込むと、全身の筋肉の緊張がスーッと解きほぐされていくのが分かる。
「ふーーっ……生き返る……これほど最高の贅沢ってないよなぁ……」
僕は木製の縁にそっと頭を預け、大きく息を吐き出しながら、夜空に輝く星々を見上げた。
静まり返った山間の夜気の中で、聞こえてくるのは露天風呂の岩肌を伝うお湯の心地よいせせらぎの音と、時折遠くで響く木々のざわめきだけだ。
あまりの静寂と心地よさに、今日の朝、家を出発したところからの様々な情景が、鮮やかに脳裏をよぎっていく。
朝のバタバタとした出発から始まり、電車の車窓から見えた豊かな緑の風景。
そして、『あやべ温泉キャンプ場』に到着して目の当たりにした、息をのむような美しいフリーサイトの景観。
正樹叔父さんから借りたテントを七柰と一緒に力を合わせて組み立てたこと。
新しく手に入れたユニフレームの薪グリルの無骨で美しいフォルムに、宇都宮さんたちが興味津々に集まってきたときの誇らしさと、最初に淹れたコーヒーの芳醇な香り。
モルック対抗戦での白熱のデッドヒートと、七柰や更科さん、みんなと大笑いしながら交わしたハイタッチの感触。
夕方に起きた、あの冷や汗ものの『冷凍ハンバーグ消えた事件』。
エコバッグの底から財布と一緒にポロッと落としてしまい、本館のスタッフさんに冷蔵庫で大切に預かってもらっていたという奇跡的なハプニングは、今思い出しても思わず顔がニヤけてしまうほどだ。
そして何より、その冷凍ハンバーグを使って宇都宮さんが陣頭指揮を執って作り上げた、あの絶品の『煮込みハンバーグ&スキレットディナー』、さらにそのソースを余すことなく吸い尽くした感動の締めパスタの美味しさは、言葉では言い表せないほど強烈な思い出として胸に刻まれている。
「本当に……今日は一日、最高に濃くて楽しい時間だったな……」
湯船の中で手足をゆっくりと伸ばしながら、僕は一人ごちた。
日常の喧騒や学校の忙しさを離れ、大自然に囲まれたこの場所で、大切な妹や友人たちとこうして肩を並べ、笑い合い、美味しいご飯を食べ、温かい温泉に浸かっている。
その当たり前のようでいて、実は二度と戻らないかけがえのない一瞬一瞬が、今の僕にとって何よりも尊く、愛おしいものに感じられた。
ふと、壁を一枚挟んだ反対側の女湯の方から、微かにキャッキャとはしゃぐ楽しげな笑い声や、水音が聞こえてきたような気がした。
「あいつも、今頃みんなとワイワイ楽しくやってるだろうな……」
七柰がキャンプを通じて少しずつお姉さんらしく、そして生き生きとした表情を見せてくれるようになったこと。
そして、そんな七柰を温かく見守り、一緒に笑ってくれる素晴らしい仲間たちに出会えたことへの深い感謝の念が、温かいお湯とともに胸の奥からじわじわと広がっていく。
冷たい夜風がそっと頬を撫でる中、温泉の湯気と満天の星空に包まれながら、僕は今日の素晴らしい一日の余韻を心ゆくまで噛み締めていた。




