第5話「あたたかな日」
(エグバートさんに挨拶……)
朝の光が差し込む中、たった独りで身支度を整えられるようになった自分を褒めてみる。
三面鏡越しに自分の姿を確認し、心の中で小さく頷く。
今日も、大丈夫だと。
「エグバート様は、少し散歩されると申しておりました」
「ありがとうございます」
侍女の方に一礼し、私は少し緊張しながら屋敷の廊下を歩く。
自分の足音しか響かないのは寂しさを煽るけれど、庭へと目を向けると今日も精霊たちは活動的に動き回る。
自分だけが、寂しさを抱いている場合じゃないと気合いを入れる。
「エグバートさん」
自由に動き回ることが許可されている建物の部屋を一つ一つ覗き込んでみたけれど、どの部屋にもエグバートさんはいなかった。
だったら、私が向かう先はひとつしかなかった。
「おはようございます」
少し大きな声で、呼びかける。
庭先で視線を下げていた人物は顔を上げ、いつもの柔らかな笑みを浮かべてくれた。
「ステラちゃん、おはよう」
偽物のステラ・シャロが徘徊した際に、連れてこられた別邸へと足を運んだ。
まだ偽物が徘徊していたときのことを思い出すと、心臓が痛くなる。
けど、諦めなかったことが、未来に繋がった。
経験した出来事を誇りに、エグバートさんへと歩み寄る。
「フェリーさんのおかげで、アスマさんの出発を見送ることができました」
「良かった」
昇りかけの朝陽が庭を照らし始め、私はエグバートさんが座っているテラスへと招かれる。
早朝のひんやりとした空気に体を冷やさないように、エグバートさんが薄いカーディガンを通している様子が新鮮に思えた。
「アッシュ家の建前上、あまり好き勝手に動き回れなくて」
「エグバートさんの代わりを務めるのが、私に与えられた役割です」
「それはフェリーの役割……うん、でも、ありがとう」
学園がなければ、エグバートさんとこの静かな瞬間を共有することができるのに。
そんな願いを抱くけど、学園に通うことは義務でもあるのだとアリドミアに来てから初めて諭されたことを思い出す。
「お体は大丈夫ですか」
「力使ってないから、有り余ってるくらい。本当におばあ様は、しつこいっていうか……」
「エグバートさんを大切に想っているということですよ」
アッシュ家の血を継ぐ者が、何人残されているのかまでは把握していない。
けれど、アッシュ家のご当主であるエグバートさんのおばあさんが、孫のエグバートさんを大切にしていることだけは言葉を交わさなくても伝わってくる。
「それじゃあ俺は、いつまで経っても鳥籠の中かな」
茶化すような言い回しをしてくるエグバートさんに耳を澄ませていると、私たちは同士だったことを思い出す。
ひとつの部屋に閉じ込められ、外の世界をほとんど見ることがなかった同士だということを思い出す。
「私が、連れ出します」
控えめな声だったかもしれない。
でも、エグバートさんのことを大切に想っている人間がいることを伝えるために声を出す。
「楽しい時間を、どうか共に」
もうすぐで精霊との縁を切りたい派閥と、精霊と縁を結び続けたい派閥で、戦争が始まるかもしれない。
でも、エグバートさんと同じ時を過ごしていると、少しだけ心が和らいでいくのを感じる。
「それって、告白って捉えてもいいのかな」
「告白っていうのは……その、恋仲同士に交わされるものであって……」
「そうとも限らないよ」
エグバートさんの瞳から、深い愛情が伝わってくる。
次に返す言葉を考えていると、誰も訪れるはずのない別邸の呼び鈴が澄んだ音を鳴らした。
「こんなところまで呼びに来るってことは、お偉いさんでも来たのかな」
偉い人という言葉に想像力が欠けた私は、誰が尋ねに来たのか見当もつかなかった。
「こう見えて、アッシュ家の次期当主だから」
苦笑いを浮かべるエグバートさんを見て、当主という言葉の重みを感じる。
「森契の盟の力を狙って、付け入る人がいるということですか」
「精霊は、利用される立場でもあるからね」
エグバートさんが立ち上がった際に、テラスの板がかすかに軋む音を響かせた。
「ステラちゃんは、ここにいてね」
「私は、エグバートさんの妹設定ですからね」
シャロ家の魔女がアリドミアにいると知られれば、ノーナのように悪意を向けてくる人間がいるかもしれない。
閉ざされた部屋の中で育った私は、悪意ある人間から騙されてしまうかもしれない。
そういう配慮のもと、私は今日もエグバートさんの妹設定を演じる。
(夜と違って、暖かい)
テラスに太陽の陽射しが降り注ぎ、春の訪れを今か今かと待ちわびているような暖かさに包まれていく。
(戦争なんて、絶対に起こしてはいけない)
日差しが柔らかさに自然と顔が綻び、これから森契の盟の間で戦争が起きるなんて考えられない。
それだけ穏やかな空気が、世界を包み込んでいく。
「誰もいなかった」
しばらくして、来客を迎えに行ったはずのエグバートさんが誰を連れてくることもなくテラスに戻ってきた。
「子どものいたずらは考えにくいから、精霊のいたずらか何か……」
目を細めながら辺りを見回すエグバートさんは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「あの、私が見てきてもいいですか」
「特に危険性は感じなかったけど……」
「すみません、失礼します」
エグバートさんの許可が下りる前に、私は玄関に客人の正体を確かめるために行動を起こす。
「これで何かがあったら、俺たちがどんなに努力を積み重ねても……シャロ家の双子には敵わないってことかな」
私がテラスを去ったあと。
エグバートさんが天を仰ぐように、空を見上げていたことを私は知らない。
どんな言葉を溢したのかも知らない私は、思い当たる疑問を解決するために行動を起こした。
(多分、エグバートさんに会いに来た精霊……)
廊下を進み、待っていた玄関の扉を開いた。
目の前には何もないような風景が広がっていたけれど、穏やかな太陽の光が差し込んでいる壺の中に何かを見つけた。




