第6話「花精霊」
「エグバートさん」
見え隠れするぼんやりとした影を連れ、私は再びエグバートさんが待っているテラスへと戻った。
「何もなかった?」
「エグバートさんに、贈り物です」
優しい風がテラスに吹き込んできて、アスマさんが旅立った日の夜風の冷たさを忘れてしまいそうになった。
「花精霊でした」
贈り物という言葉に反応したエグバートさんは、戻って来た私に視線を戻す。
すると、精霊の花精霊は別邸を自由に飛び回り、エグバートさんに淡い光をもたらす。
「花精霊なんて、初めて見た……」
大きく息を飲んだあとに、エグバートさんはぽつりと呟いた。
「ユウが約束を交わすことを得意としている精霊ですよね」
花精霊が、自分の命を懸けてアスマさんのことを守った日のことを思い出す。
「花精霊は、人間の命を救うためだけに命を使い果たす精霊です」
蛍のような淡い青色の光が空を巡るけれど、残念ながら太陽の光が輝く時間帯では花精霊が発する光は空の青に染まってしまう。
「エグバートさんの元にいきたいと」
私は花精霊と出会えたことに感動しているけど、エグバートさんは恐る恐るといった感じで花精霊へと近づいていく。
「俺も、家族を追いかけて死んじゃうのかな」
彼が抱えている恐怖や不安が、一気に胸の中に広がっていく。
「花精霊が俺の元に現れたってことは、危険が迫っているみたいな……お告げっぽく感じない?」
彼が、どうして精霊を恐れているのかを察した。
「確かに花精霊は、どんな衝撃も必ず防ぐことができます」
青い空の色に染まりかけていた花精霊を呼び寄せる。
「一度だけ、必ずエグバートさんのことを守ってくれます」
宙を舞うことを望んでいた花精霊が、私の手中の中に納まる。
「だったら、ステラちゃんが約束を交わした方がいい」
はっきりとした口調で、エグバートさんは言い放った。
「アッシュ家はなくなっても支障がない。でも、シャロの血だけは絶やしてはいけな……」
「私には」
花精霊に目をやっていたエグバートさん。
もう花精霊は空を舞っていないのに、エグバートさんの視線が私に戻ってこない。
「花精霊から、生きてって声が聞こえます」
観念したかのように、私に視線を戻すエグバートさん。
「エグバートさんに生きてほしいから、花精霊はエグバートさんを呼んだのかなって」
玄関に向かうことで開いた私たちの距離を縮めるために、私はエグバートさんへと歩み寄る。
「俺は、呼び鈴を鳴らしたのが花精霊だって気づかなかった」
花精霊は私の元を離れ、エグバートさんを誘うように飛び交う。
「生きてください」
すべて上手くいくと信じる気持ちを、エグバートさんに贈る言葉へと込める。
「エグバートさんは、ずっと精霊に愛されてきましたよ」
真摯な瞳を向ける。
エグバートさんが私を見てくれなくても、私は彼から逃げ出さずに言葉を紡ぐ。
「精霊はエグバートさんを殺すためではなく、守るために存在します」
真っすぐな声を送り続けた甲斐があったのか、耐えきれなくなったエグバートさんの視線が私に戻ってくる。
「ずっと、怖かったですよね」
彼の手を握り締める。
たいして温かくもない手だけれど、手の温もりが彼に勇気を与えられるようにと祈りを込める。
「いつか精霊が、殺意を向けてきた日のことを」
多くの人を亡くした経験があるからこそ、エグバートさんは精霊を恐れていた。
彼が抱いていた恐怖の感情の源に気づき、彼の手を握り返す。
「花精霊と一緒に、エグバートさんのことを守らせてくださ……」
手を引かれ、私はエグバートさんに抱き締められる。
「ありがとう……」
エグバートさんの声の弱さを感じ取り、私は彼の身体をしっかりと抱き締め返す。
「ごめん……」
シャロ家だけでなく、終わりを迎える寸前のアッシュ家の血を求める人たちも多くいることは容易に想像できる。
「何が好意で、何が偽りなのか、わからなくなりますよね」
「……うん」
アッシュという名が持つ輝きがあまりにも眩しくて、多くの人たちは近づくことすらできない。
必死にアッシュ家の血を守ってきたエグバートさんが、ずっと孤独を生きてきたことを思いやる。
「年上なのに、弱いなぁ……」
私を抱き締める腕の力が緩み、私はエグバートさんの瞳を見つめることができるようになった。
「俺も、強くなりたい」
彼の声が聴覚に届くたびに、胸が締めつけられる。
「俺にも、守らせてほしい」
涙で潤んだ視界で、エグバートさんは私を見下ろしてくる。
私は言葉が出てこなくなってしまって、それを歯痒く思ったけれど、エグバートさんはそんな私をも受け入れてくれる。
「シャロ家の魔女、ステラ様のことを」
立ち上がる勇気を見つけたエグバートさんの瞳には、新たな希望と決意が芽生えていた。
私を様付けで呼んだ彼は、私を遠ざけたわけではない。
シャロ家の娘としての敬意を感じるからこそ、心に込み上げてくる感情がある。
「私も守ります、エグバートさんのこと」
私たちは言葉を交わし合うことで、未来を生きる力を得るのかもしれない。
「俺が守りたいの、ステラちゃんのこと」
「私も、ですよ」
贄として、死んでいるのか生きているのか分からない毎日を送っていたとき。
私の世界を作り上げてくれたのは、双子の妹だけだった。
でも、贄としての毎日を飛び出し、私を拾い上げてくれた人たちのために生きることで、自分の世界が広がっていくことを感じられるようになった。
その広がりが、いつか平和を築く力になることを強く願わざるを得ない。
「私にも、エグバートさんを守らせてください」
庭から、真白の花が香り始める。
白い花はほのかな香りを放ち、人々は冬が近づいていることを感じていく。
寒さが少しずつ増していくのは、季節の移り変わりを告げているのだと信じたい。
たとえ森契の盟で戦争が始まったとしても、花の白さだけは血の赤に染まらずにいてほしい。
【了】




