第12話「魔物」
「どうして、人間を襲うの」
魔物に問いかけても、返事はない。
感覚を研ぎ澄まし、風精霊の指示に従って敵の動きを見極めていく。
「どうして……どうして……!」
シャロ家で贄として生かされていたときは、魔物という存在が人に死をもたらすなんて話は聞いたことがなかった。
精霊は、人と手を取り合って生きていくものだと思い込んでいた。
これからも精霊は、私たち人を助けるために生きてくれるものだと思い込んでいた。
「風精霊」
精霊が手を差し伸べてくれる限り、私は危機的状況すらも絶対に乗り越えられる。
敵の攻撃をかわすことも、敵を退くことも容易すぎて、抱えていた恐怖はいつの間にか消失した。それだけ精霊の力が、私を大きく勇気づけてくれる。
「ここで終わらせる」
風精霊が、姿を見せた陰の背後に回り込む。
一瞬の隙を突いて攻撃を繰り出す様は美しく、いつまでも見ていたいと思わせる不思議な感覚を受ける。
「守るために、力を貸して」
襲いかかってくる魔物に心臓なんてものは見つけることができないけれど、風精霊は全身に力を込めて牙を敵の心臓へと突き刺す。
息が止まるほどの緊張感が駆け抜け、私は本当に息を吐き出すことを忘れてしまいそうになった。
「ありがとう、風精霊」
風精霊は静かに頷き、目は優しく輝かせた。
(アスマさんと、フェリーさんは来なかった)
柔らかな毛並みをすり寄せてくる風精霊の背を撫でながら、私は感謝の気落ちを伝えていく。
(まだ、どこかで戦闘が……)
魔法使いを孤立させるために、魔導灯が割れるという事件を引き起こしたというところまでは察しがつく。
(問題は、私もユウも魔物の気配を感じ取れなかったこと)
陰が見当たらない教室で魔物が活動した痕跡は見られるはずもなく、犯人がどうやって魔導灯を割ったのかが分からない。
(アスマさんと、フェリーさんのところに……)
窓硝子越しに、ぽつりと一滴の雨が落ちてきたのを確認する。
最初の一滴が合図だったかのように、次々と雨粒が降り始めていく。
雨が降っているときに活動的になる精霊と魔物のことを思い、私はまだ慣れない校舎を探索しようと体の向きを変える。
「っ」
窓硝子に付着する雨水が、赤の色に染まっていく。
急いで窓を開き、空から降り注ぐ雨の様子を確認する。
(ただの、雨……?)
両手を広げ、雨を全身で受け止める。
空から落ちてくる雨に、血に交じっているわけではない。
雨水は、血の色に染まりゆく窓硝子を綺麗にするために降り注ぐ。
「どこから血が……」
窓硝子に、赤い筋が広がっていく。
もう一度、空を見上げて様子を確認する。
「二階……」
校舎の壁を伝って、上の階から血液を思い起こさせる赤が流れ落ちてくる。
行儀よく階段を利用している場合もないと、風精霊を移動手段として呼び寄せる。
「二階に、連れてって」
体が宙に浮くような感覚が、心臓の音を速める。
ゆっくりと酸素を取り込んで落ち着きを取り戻そうと試みるけど、確実に上の階で何かが起きていると分かると思うと、なかなか心臓は落ち着いてくれない。
「アスマさん! フェリーさん!」
血がしたたり落ちてきた上の階に到着すると、そこは不自然に教室の扉が開きっぱなしになっていた。
空き教室ばかりであることを願いたいけど、願いはあっけなく散った。
教室の入り口には、一学年の教室であることを示す木製の看板が吊り下げられている。
空き教室に見える部屋は一学年の生徒が過ごす場所のはずなのに、中には誰一人見当たらない。
(まるで失踪事件が起きたみたいな……)
全開になっていた扉の先へと進み、慎重に中へと足を踏み入れる。
教室の魔導灯どころか、窓硝子がすべて割られている状況に息を呑んだ。
硝子の破片を踏みしめる音が耳に突き刺さりながらも、私は雨が吹き込んでくる教室の中を警戒する。
(この部屋に、死傷者はいない)
血の流れを追って上の階まで来たのに、上の階の教室では血だまりひとつ見つからない。
「窓……」
吹きつける雨に逆らいながら、私は教室の奥へと進んでいく。
呼吸をするのも難しいくらい雨が激しくなり、傍にいた風精霊が私にこれ以上先へ進むなと警告してくる。
「そっちに、何があるの」
荒れ果てた教室の中から、違和感を探し出すのは難しい。
けれど、人よりも感じる力に優れた精霊は私に『行くな』と命令してくる。
「ごめんなさい、忠告に背いて」
掃除道具が片付けられている収納棚が、不自然なほど窓に向かって傾けられている。
不気味に口を開けたまま私を迎え入れているような収納棚から、血液のようなものが滴り落ちているのを見つける。
「っ」
何かが起こる予感に身震いしながら、収納棚へと近づいた。
「っ、ぁ」
心臓が、一瞬止まったかのように感じた。
半開きだった収納棚の扉が開いて、中から誰かが床を目がけて倒れ込んだ。
重い音が響いたのと同時に、私は倒れ込んできた人物が誰なのかを確認する。
「っ、アスマさん! アスマさんっ!」
血塗れの彼は無表情な顔で、私を迎えた。
何が起こったのか、誰がこんなことをしたのか、答えの見えない謎が頭の中を駆け巡る。
「今、治療しますから……」
背後から、微かな気配を感じた。
私を守っていてくれたはずの風精霊は姿を消し、ぼやけた視界で背後にいた誰かを確認しようとするけれど、体の力が抜けて意識が遠のいていく。
私は誰かに抱え込まれ、体を打ちつけることなく深い眠りへと落ちていった。




