第1話「治癒の力」
「ん……」
閉じられた瞼が、かすかな光を感じ取る。
重い瞼を上げ、ぼんやりとした視界に映り込んだのは真夜中を思い起こすような暗い空間。
差し込んでくる光は月の明かりのようで、シャロ家の贄として生きてきた日々のことを思い出した。
「ここは……」
目を凝らしてはみるけど、ここがどこだか判別することはできない。
どれだけの時間が経過したのかも、確認する術はない。
「っ」
贄としての毎日を思い出させるような造りの空間から逃げ出すために体を起こすと、自身の手は熱を感じ取った。
自分以外の誰かが倒れていることに気づいて、私は急いで視線を向けた。
「アスマさん!」
視線の先にいたのは、血を流して倒れているアスマさんの姿。
鼻を突くのは、鉄のような血の匂い。
無惨な姿で横たわるアスマさんを視界に入れるだけで、自分の手はすぐに震えてしまいそうになる。
胸の奥から湧き上がる恐怖の感情を抑え込んで、傷を癒す力を持つ精霊の聖精霊を呼び寄せる。
「力を貸して」
聖精霊は穢れのない真っ白な光のような見た目をしていて、その純白さは聖精霊の神秘さを強調していく。
「聖精霊……?」
聖精霊が発した蒼の光に包まれたアスマさんが、目を覚ますのを待つだけのはずだった。
血液が溢れ出た傷を癒すために力を発していた聖精霊が私の方を振り向き、困ったような表情を浮かべる。
「っ、心臓……」
聖精霊が困った表情をしているのは一目瞭然で、力を発揮しているはずなのにアスマさんは目を覚ます気配がない。
いくら治癒の力を持つ聖精霊でも、亡くなった人を生き返らせることはできない。
急いでアスマさんの心音を確認するために、聴覚を彼の心臓へと当てる。
「治癒の力が働かない……?」
どくん、どくん。
アスマさんの心臓は確かに音を鳴らしているのに、聖精霊の治癒能力は彼の役に立ってくれない。
「治癒魔法の呪文……」
聖精霊は首を一回、縦に振る。
「jurelinginhea」
肯定の意を示した聖精霊は、私の放った治癒魔法に力を添えると約束してくれた。
「っ、なんで」
久しぶりに唱えた治癒魔法の呪文は、治癒の成功を示す青い光を放つ。
それなのに、アスマさんが目を覚ます気配は一向にない。
「風精霊、大丈夫!?」
異常なことが起きている環境下を案じ、私は意識を失う前に姿を消した風精霊へ問いかけた。
「良かった、無事で……」
風精霊は無事だと答えを返し、自分が約束を交わした精霊は確かに存在していることを確認できた。
でも、風精霊が無事だというのなら、どうして風精霊が私を守ることなく姿を消したのか理由が分からない。
「風精霊が、警戒をしていなかった人物……」
風精霊に攻撃を仕掛けた人物が、私とアスマさんを誘拐したと考えていた。
けれど、風精霊は傷ひとつ負っていないと言葉を返してくる。
「風精霊が、戦う必要ないと判断した人物……」
何度も首を横に振って、浮かび上がった答えを否定する。
でも、風精霊が警戒しない人物となると、それは森契の盟の人間くらいしか浮かび上がらない。
「風精霊が、信頼している人物……」
連続殺人事件に、間違いなく森契の盟に属する魔法使いが関わっていると確信する。
自分が考えを否定したところで、現実は好転しないと覚悟を決める。
「聖精霊、ありがとう」
アスマさんを救うことができなかったことを悔やむ聖精霊。
聖精霊を気遣うために、精霊には引き下がるという選択を取ってもらった。
「まずは、アスマさんを……」
考えることも、疑うことも、あとでいくらでもできる。
自分が約束を交わした精霊の力を借りて、この謎の空間からアスマさんを移動させる方が先決だと思った。
でも、私が行動する前に、不意に背後から柔らかな笑い声が聞こえてきた。
「綺麗なご遺体ですね」
「まだ……彼は生きています」
彼が現れた瞬間、時間が止まったかのような静けさが広がった。
眼鏡をかけた博識な印象を与える彼は、金の刺繍が施された深い緑色のローブに袖を通している。気品を兼ね備えた彼の口元には、薄い微笑みが浮かんでいた。
「聖精霊が、治癒の力を発揮できない理由を教えてもらえますか」
「どうして僕が、アスマくんを助けないといけないのでしょうか」
こちらに向かって歩いてくるだけなのに、彼の動きには一切の無駄がない。
すべての所作が優雅で流れるようで、見る者を一瞬にして引き込む美しさがそこにはあった。
「いつも……僕は見下されてきた」
彼がかけている眼鏡が、薄暗い空間の中で鋭く光る。
「僕を傷つけた人間には、制裁が必要だと思うんです」
彼はゆっくりと歩み寄り、私を視界に捕らえた。
血に塗れたアスマさんを、今も仲間だと主張するような優しい笑みを浮かべている。
「約束……しましたよね」
「なんのことでしょう」
「フェリーさんっ」
心が恐怖と怒り、そして何としてでもアスマさんを救いたいという強い決意で満たされていく。
「シャロ家の魔女様が、そんな大きな声を上げるべきではありませんよ」
彼の声は冷静でもあり、どこか哀愁を帯びていた。
いま起きていることはすべて夢なんじゃないかと思ってしまうほど、フェリーさんの声も表情も優しい。
「僕は、あなたを傷つけたくない」
フェリーさんの両手が、今にも泣き崩れそうになっている私の顔を包み込む。
裏切られたことへの痛みが確かにあるはずなのに、その痛みを和らげるために温かさを注いでくる。




