正論(139)母マリア
『ウルフショーグン』、その名を聞いたセイロンガーは拳を握り、俯いた。20年前の記憶がフラッシュバックする。
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セイロンガーの母親『マリア・タカジョウ』は父親と同じヒーローだった。
『ミズ・バタフライ』
父親、ナイトホークのバディとして活躍していたが、2人は結ばれ結婚、そして長男ジョーが生まれた。それがセイロンガー=ジョー・タカジョウである。彼が生まれてからは最前線から退き、母親として家事と育児に励んでいた。
強く優しい母親だった。
その朝も、キッチンで10歳のジョーが小学校に持っていくサンドイッチを作っていた。なぜか、その時の会話が記憶に残っている。父親のショーはすでにNHO(New Hero Order)本部へ出勤している。
「ジョー、パパが放課後、本部の道場で稽古をつけてくれるそうよ。よかったわねぇ」
「やったぁ。僕ね、まだ子供で拳が弱いから打撃より、締め技を教わりたいんだ。あと合気道もいいな。自分より大きな相手を簡単に転がしたいんだよ」
「まぁ、ジョーったら、もう実戦を想定しているのね? 頼もしいちびっ子ヒーローさん」
「僕はねぇママ、もうヒーローネームを考えているんだ。『ナイトオウル』って名乗るのさ!」
ジョーは父親のナイトホークと自分のナイトオウルが高層ビルで並び立つ姿を夢想していた。
「オウル(フクロウ)、素敵ね。なんだか、日本のニンジャっぽいわね」
「そんなんだ! フクロウはね……」
ビーーッ ビーーッ
ジョーの話を遮るように、玄関のインターフォンが鳴った。
「はいはい、朝早くにどなたかしら?」
マリアはインターフォンのモニターを見た後、少し間があり、横に設置された数台の監視カメラモニターを確認する。そこには警備のヒーローが倒れている姿が映っていた。そして、インターフォンのモニターに映る人物を見返して、マリアは動きを止めた。
髭面で彫りの深い顔立ちに、怪しく光る眼光。なにより頭から生えた獣の耳。大幹部ウルフショーグンとなる前の、バイオニックソルジャー『W-1』その人であった。
マリアはジョーの元に駆け寄り、強く抱きしめて言った。
「ジョー、この携帯電話を持って庭から逃げなさい。隠れたらパパに電話して、W-1が来たと伝えて。本部は近いからすぐ駆けつけてくれるわ」
「ママも一緒に逃げようよ。ひとりじゃ無理だよ!」
「あいつは速すぎるの。きっと庭から出る前に追いつかれるわ。私はバタフライで足止めするから、急いで。ヒーローに躊躇は禁物よ! 頼むわね、ナイトオウル!」
マリアはジョーの頬に顔を押し当て、きつくキスをして、ヒーロースーツが置いてある部屋へと走った。
今も記憶に蘇る。
痛いくらいの抱擁とキス、そして母親の香り。
ジョーは意を決して庭へと飛び出した。走りながら父親へ電話する。呼び出し音が、やけに長く感じられた。
「パパ! 出てよ! 早く! ママが大変なんだ!」
(ちくしょう! アメリカ最強のヒーローの家なのになんでこんなことに! 見ろよ、近所の家は平和そのものじゃないか!)
しかし、電話が繋がることはなかった。ジョーは引き返そうとするが、やめた。子供の自分が戻ったところで何ができるというのか。
ジョーはNHO本部へと走る。本部まで車なら5分。だが、子供の足では相当な時間がかかるだろう。道すがら、涙を流しながら走るジョーに声をかける大人もいたが、無視した。普通の大人が何の助けになるだろう、と思った。
今思い返せば、闇雲に走る以外に、子供の自分でもできることはあったはずだ。例えば大人に言って本部の代表に電話して父親に伝えてもらうとか、父親でなくともヒーローの救援を要請するとか。しかし、これも冷静になって考えればの話である。その時のジョーにはそんなことを考える余裕も、判断力もなかった。
「ちくしょう! ちくしょう!」
涙ながらに走るジョー。息は切れ、足には乳酸がたまり、ほとんど転倒しながらも、ようやくNHO本部に辿りついた。
入口警備のヒーローが駆け寄る。
「おい、ジュニア! どうした? 何かあったのか!?」
「パパを……呼んで! ママがW-1って奴に襲われているんだ! ナイトホーク……なんで電話に出ないんだよぉ!」
父親のナイトホークや所属のヒーローたちが家に駆けつけた時にはもう遅かった。
玄関のドアは破られ、1階のリビングはめちゃくちゃに荒れていた。恐らく母マリアがミズ・バタフライとなって、激闘を繰り広げたのだろう。そして、彼女の遺体は2階のジョーの部屋のベッドに寝かされていた。ジョーを遠くに逃すため、彼が子供部屋にいるように装い、W-1を2階まで誘き寄せた挙げ句、力尽きたのだと語られている。
死因は首元を食い破られたことによる失血死。だが、死因の割に流れ出た血液の量は圧倒的に少なかった。そのほとんどがW-1によって吸血されたと見られている。
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「おい、セイロンちゃん。大丈夫か? 俺のカツ丼、一切れ食うか?」
鬼島がセイロンガーを過去の忌まわしい記憶から呼び戻した。
「いや、いい……すまん」
何を思うのか、そのやり取りを優しく見つめる壽翁。
キッチンの真佐江が、揚がったカツをサクサクと切り分け、割り下に並べながら言う。
「ウルフショーグンと聞いたら、私も黙ってられないわね。壽翁さん、私も受けるわ改造手術」
すると、セイロンガーが急に立ち上がり叫んだ。
「ダメだ! マ……真佐江さん! あなたは最前線に出るべきじゃない!」
普段の冷静さを失ったセイロンガーに、壽翁と真佐江以外のメンバーは驚愕していた。




