正論(133)ニクラス・グリーズマン
大量の薬物受け渡しが行われる高層ビルのフロアに、ナイトホークの声が響く。
「待て待て、誰が自己紹介しろと言った? 固有名詞を名乗るにはまだ早いぞ、モブ怪人」
『モブ』その単語に熊の怪人グリズマンは反応した。
その反応には理由がある。
『ニクラス・グリーズマン』
アマレス・グレコローマン130kg級の元全米チャンピオンであり、大学カレッジフットボールのスターディフェンスプレイヤーも兼ねていた、いわゆる二刀流のアスリート。NFLのドラフトのみならず、プロレス、総合格闘技から多額の契約金を提示されていた男である。
しかし、大学卒業まであと1年というタイミングで事件は起きた。バカンスに訪れたマイアミビーチのホテルで行きずりの女性に対する暴行と薬物乱用で逮捕されたのである。名声は地に落ち、約束された未来も失った。その彼に近づいたのがVVEIであった。全てを失った恨みを社会に対するものへと転化した彼は、そのヴィラニズムに共感し、わずかな契約金と引き換えにバイオニックソルジャーへの改造に応じた。
将来の幹部候補とおだてられながら悪事に手を染めてきたニクラス。だが、心の内ではありし日の栄光が捨てきれていなかった。
「グルル……俺の本当の名はニクラス・グリーズマン。聞いたことくらいはあるだろう」
「知らん! テリー! おい、お前知ってるか?」
食い気味に答えたナイトホークはテリーを呼んで聞いた。
フロアの出口付近で逃げようとする複数の戦闘員に対応していたテリー。
「はい!?……ニクラス?……あぁ、確か……アマレスとフットボールの二刀流だかで騒がれていた……こいつ、暴れるな!」
テリーは抵抗する戦闘員を押さえ付けながら答えた。
「そう、俺はアマレス130kg級全米チャンピオン、アメリカ最強と呼ばれた男だ。そこらの雑魚と一緒にするな」
「でも、そいつ暴行と薬物で逮捕されたはずですよ? あれから消息聞かなかったのは……そうか、怪人に」
「なるほどな。可哀想に、ハメられたのだなVVEIに……」
「なに!?」
ナイトホークはビジネススーツの男を指差した。
「そいつらの得意の手口だ。おかしいと思わなかったのか? お前が歩く場所、踏み出す一歩一歩に罠が仕掛けられていたのを」
グリズマンは事件当夜を思い出す。
いやに積極的な自分好みの女性。それがいざとなったら急に態度を変え拒絶された。冷静な自分が、その夜は抑えることが出来なかったのはすでに薬物を飲まされていたのだろうか。
目が覚めるとそこには警察と身に覚えのない麻薬があった。こんなにも簡単に、積み上げた努力が台無しになってしまうのか。
人の人生をなんだと思っている!
「グルルル……グォオオオオ!」
体毛を逆立て怒りに震えるグリズマンは変異を始めた。身体中の筋肉は波を打って膨張していき、涎を垂らしながら開けた口の中は上下の牙が太く長く伸びていく。
そして、ナイトホークへ向けていた狙いを、ビジネススーツを着た男に変えた。
「ちょっと待て、グリズマン! そんな奴の話を信じるな! ……くそっ、テメェは怪人だろうが! その化け物面は、VVEIでしか生きる場所はねえんだぞ!」
「ブモォォオオオオオ!」
グリズマンは足の爪で床を抉りながら、怒りに任せて突進を始めた。ミシミシとフロアを震わせながら走るそのスピードは、巨体からは想像出来ないものであった。




