エピローグ「それでも続く夢の中で」
―― 一年後。
賢人暦115年5月8日。
帝都の街で復興記念のパレードが開かれていた。
皇帝に即位したレンドールと、王女ノルメリアを乗せた馬車が護衛の兵士たちと共にゆっくりと街を練り歩いていく。馬車の上から人々に手を振っている二人は、終始笑顔で人々と共に復興を祝った。
帝都はこの日のために国中から集まってきた人々で一杯だ。旅芸人の一座や、行商人、屋台を出す料理人たちや吟遊詩人などによって賑わいは加速する。
昨年の暗黒竜、そしてヴァンパイア・クイーンとの戦いの爪跡はもう無い。
避難していた帝都の人々も戻り、なんとかそれまでの帝都へと戻ろうとしていた。
「それで、二人はパレードを回らないの?」
ハニードロップのエルフ店長が、カウンター席に座った二人に尋ねた。
「どうせ夜にパーティーで会うしね。それにライラ店長だって店開けてるじゃない」
「私にとってはチャンスだもの。開けない理由の方が無いわよ」
蜂蜜一杯のパンケーキに挑みながら、金髪少女が幸せそうな顔で言う。ライラは、相変わらずな様子の少女にどこか呆れながら、シュルトの前にコーヒーを置いた。
「それで、動きは掴めたの?」
「正直、まだよく分からん。魔物は前と同じように召喚されているようだが、今度の連中は誰も魔法障壁を纏っていないようなのだ」
「私を見ても血眼になって襲い掛かってこないしね」
「そして決定的な違いは自らの意思で活動しているらしいということだな。この前、レブレのように喋る竜に出会ったときは正直対処に困ったぞ。命乞いされたからな」
シュルトを見て、というよりはリリムを見てだった。眼が良い彼らからすれば、それこそすぐさま白旗を揚げなければならない相手に視えたのだろう。
あの日、リリムの鞭によって世界中から一時的に魔物が消えた。事情を知らない他国の者たちにとってはそれこそ神の奇跡として片付けられ、ここ帝都では竜騎士様の必殺の調教撃として有名である。もっとも、一般市民のほとんどは彼女の顔を知らないため、兵士や傭兵たちだけが言う奇妙な噂として片付けられていた。
おかげで帝都を歩いても騒ぎになることはあまりない。お祭り騒ぎの帝都をデート気分で歩くことができるのもそのせいである。
「とりあえずはこのままパワースポットの封印で対処しようと思う」
「そうしてくれるとありがたいわね。エルフは協力を惜しまないわよ。でも、また妙だって精霊さんたちが言うのよねぇ」
いつものように涙眼になりながら、店長が悩ましい表情を浮かべた。同時に、パレードそっちのけで通っている常連の男共の目が光る。が、店長は気にせずに二人との会話を続けた。
「なんだろ。彼らにとっては良いことなんだけど、どうにも腑に落ちない感じよ」
「確かに妙といえば妙だな。魔物の召喚が成されているというのに大気中の魔力濃度の上昇が著しい。確かに、あの日から英雄召喚が行われたという話しは聞かないが、それにしたって尋常な速さではない」
「マリカなら何か分かったのかなぁ」
「さてな」
マリカ・ルルグランドは事が終った後、しばしゆっくりしてからリリムの力で故郷へと送還された。最後に彼女はリリムとシュルトに自らの方術と魔法科学全般の知識を伝道したが、彼女ならば、マリアルと共に二人とは別の視点からアドバイスをくれたかもしれない。
「竜の子は何て言っているの?」
「レブレなら後は私たちに任せるだってさ。空元とこっちを言ったり来たりしながら好き勝手やってるみたい」
「そうなんだ。この前、天帝さんとサキちゃんを連れて店に来てたわよ」
「空元で魔法学校を開くためじゃない? こっちの建物がどうとか言ってたし」
「へぇ……やっぱり、賢人魔法を広めるのかしらね」
「んー、それも教えるみたいだけどね。シュレイダーの魔法も教えるみたいよ」
「ちょっと待って。それ……大丈夫なの」
それは、リングルベルと同じく魔法淑女隊が空元で生まれるということである。陸続きではないため、隣国ではあるもののまだまだ空元は大陸人からすれば認知度が低い。ここ最近はずっと内乱中のようなものであったせいもあってか、戦好きではないかとも思う者は居た。どうやら店長もその一人のようである。が、その懸念をリリムは笑い飛ばした。
「大丈夫でしょ。どうせ今日、帝国と空元で同盟の調印式もやるみたいだし」
「だな。レブレが余計なことをしない限りは大丈夫だろう。その辺はあいつも弁えているはずだから、問題にはならん。大陸側が余計なちょっかいを出さない限りは、であるがな」
「ならいいけどね」
現在、魔物が魔法障壁を失ったことで人類種にかなりの余裕ができている。無論、魔物も行動パターンを変えたおかげで今までには無かった様々な問題が浮上して来てもいる。
まず一つが食料問題。今までの魔物は人間は襲っても動物などは襲わなかった。だが、それが今では襲うようになっている。魔物同士でも争うようになったので今のところ致命的なほどの被害はないが、魔物が増え続けると問題になるだろう。
そしてもう一つが経済的なもの。魔物が一時的に居なくなったせいで、それまで経済に取り込まれていた魔物由来の金銭の流れが止まったことがある。この混乱は特に冒険者やギルドを襲った。今は再び魔物が姿を現したことでなんとか治まったが、決して無視できる要素ではない。
世界中が今、急激な変化に怯えていると言ってもいいだろう。まるで何かの前触れではないかと言う者たちも増えている。
後はグリーズ帝国でいえば、西の大山脈だ。魔物の力が低下したことで、陸路の輸出ルートの開拓が現実味を帯びてきたことがあげられる。これにより、隣国の動きを警戒せねばならなくなった。
帝都復興とあわせて、既にグリーズ帝国は山脈までは奪還した。辺境伯の地位を受け継いだハイドラーなどは、今もそのおかげで眼も回るような忙しさだという。魔物退治で日々の糧を得ていた冒険者たちもそちらへとかなり移動しており、前よりも帝都に冒険者は少なくなっていた。
「なんなのかしらねぇ本当。より平和にはなったはずなのに、全部が全部上手く行くってわけじゃないっていうのはもどかしいわね」
平和になった反動か、それともまだ長命種であるエルフとして戦争の記憶が失われていないからか。一見平和になったはずの情勢に隠された不安定さが、ライラ店長にとっては少し怖くもあり、今はただ平和が真に訪れることをを願うばかりであった。
夕方には空元の使者が到着し、空元とグリーズ帝国の間で同盟や各種条約の調印式が行われた。その後夜には城で復興記念パーティーが催された。
空元からの使者たちは、貸し出された大陸式の正装で身を包み、慣れぬイベントに四苦八苦しながら興味深そうに過ごす。空元側の代表である天帝は、側で夕飯を掻きこむ子竜の少年と共に、皇帝や皇女と歓談していた。その中には、リングルベルの王女や淑女隊の一部も混ざっていた。
「相変わらずですわねぇレブレ某は」
「そういうノルメリアも変わってなさそうだけどねぇ」
ちゃっかりとベアトリーチェの隣に陣取り、サインをゲットしたノルメリアは幸せそうな顔である。これにはさすがのベアトリーチェも機嫌を良くしていた。
「嗚呼、憧れのお方と歓談できる幸せでわたくし、死んでしまいそうですわ」
「ふふ。そこまで言われるとこそばゆいですね」
完璧なまでの淑女顔が発揮される。お共に引っ張り出されたナイラなどは、隊服の帽子の鍔を弄りながら胃の当たりを抑えるしかない。来るべき嵐の瞬間がもうすぐに眼前に顕現するのだ。さすがのエースも生きた心地がしなかった。
と、そうこうしている内に会場にシュルトとリリムが現れる。瞬間、ベアトリーチェの顔からたおやかな笑顔が消えた。当たり前のようにナイラが構える。二人はそんな上座の様子には気がつかず、声を掛けてきた顔見知りのベイリックや、レイチェル、ケインたちと談笑し始める。
顔を知っている諸侯たちもそれに気づき、二人の参上で動き始めた。俄かにパーティーに動きが出たのにあわせて、ベアトリーチェ王女の忍耐が磨り減っていく。今にも席を立とうとしたその瞬間、先に夜光が席を立った。
「まさか、あやつは――」
「夜光、どうかした?」
ギョッとした顔で険しい顔を見せる彼女に、皇帝は愚か王女たちの視線が動く。
「どうかなされたか天帝殿」
「申し訳ない。このパーティー、ぶち壊すやもしれぬ」
「――どういうことでしょうか」
ベアトリーチェが、不機嫌な顔から一点。一人緊迫間を醸し出す彼女に眉を顰める。別段、今までの中で帝国側が何かをしたわけでもなく落ち度は無い。この局面で主催者である帝国に泥を塗る必要はない。彼女は愚か、他の者たちも理解できない。夜光は言った。
「賢人が現れおった」
その一言で、その場に居た全員の眉が動く。
「老いてはいる。だが、間違いなく奴じゃ」
彼女の視線の先に一人の老人が居た。
白髪交じりの黒の長髪。空元人とそっくりな風貌は、下手をすれば空元人と判断されかねないほどに類似している。その老人は、パーティーに溶け込むように正装でめかしこみ、ウェイターからカクテルを貰うとリリムたちの方へと向かって歩いていく。
「アレは……ダメだ、リリム!」
咄嗟にレブレが跳躍し、注意を喚起するも老人は一顧だにせずに一団へと歩み寄っていく。
「ええい、間に合え――」
夜光が印を組み結界を発動させる。レブレの声で振り返った少女と、その周辺の者たちが光に包まれる。人々の顔が驚きに染まった。そんな中、会場へと飛び込んだレブレが、その老人の前へと立ちふさがって問うた。
「君が魔神マリスだね?」
「おうよ。いかにもそうだぜチビ竜。どうやら今日は目出度い日らしいからなぁ。俺様もちょっくら祝いに来てやったのさ。フヒヒ――」
楽しそうにカクテルを飲みながら、老人が笑う。途端、その体を闇が覆った。明らかなその異常を前に、楽師たちが奏でる心地よい音がが消える。そんな中、光を纏ったドレス姿のリリムが、シュルトと共に人ごみの向こうから歩み出た。
悪意の魔神と救世主が邂逅する。
「久しぶりね豚魔神。あんた、また私にお仕置きされたいの?」
「アヒャヒャヒャ。なわけ在るかチビ。俺様はただ祝いに来ただけなんだぜ」
「――ほう、祝いにとな。その賢人の体でか」
遅れて歩みよった夜光が、やはり白い光を纏いながら背後から問う。一瞬即発のその空気を前に、客たちが色めき立つ。首だけで振り返ったマリスは、それを確認して嫌らしく笑った。
「なんだ、誰かと思えば空元の天帝じゃねぇか。百年ぶりの再会って奴だなぁ」
「ワシはお前なぞ知らんよ。中身はどうした」
「寿命でとっくにくたばってるっての。まぁ、俺はあいつの中で見てただけだからお前が知らないのも無理はねぇけどな」
どうすることもできずに止まったままのウェイターのトレーの上にグラスを置き、マリスは笑う。その笑みは場違いに楽しそうで、見ている人々の不安を掻き立てる。その不安をかき消すのは、やはり彼女の言葉だった。
「どうでもいいけど、あんた何し来たのよ」
「だから、今日という日を祝いに来たっつってるだろ」
「胡散臭いわねぇ。目出度いからって、またあの馬鹿でかい変態竜でも召喚しにきたんじゃないでしょうね」
その言葉に、いい加減事態を飲み込めていなかった周囲が後退。一斉にリリムたちから距離を取る。会場の体感気温が落ちていく。一瞬即発の空気の中、マリスは一人ニヤニヤと笑いながらやはり何もしない。ただ人垣の向こうのテーブルへと近寄ると、適当に料理に手を伸ばし始める。
「あ、これ美味いな。アイビーフの肉か。さすがだなぁ。こっちは……おお、空元のスシか。いいねいいね。さすが同盟祝いだけのことはある。大陸と空元の料理のコラボですかぁ。料理まで仲良くて結構だぜい」
その間にも、兵士たちがパーティー客を誘導。戦える者以外を遠ざけていく。魔神はそれを気にもしない。
「なんだ、お前ら食わねーのかよ。もったいねぇなぁ」
「リリム某、なんですのアレは。敵、なのですよね」
「敵よ敵。それ以上は知んないけどどうせ碌でもないことをしに来たに決まってるわ」
安全のためにリリムへと避難したノルメリアが尋ねるも、リリムにだって答えられない。あまりにも人が多すぎた。暴れるにしても、魔神の狙いが分からずにうかつに動けない。ただ、相手があまりにも何もしないので困惑してはいた。
「ハァ。悲しいぜ。だぁれも俺と一緒に飯食ってくれねー」
「アンタね、自分がしてきたことを考えなさいよ。復興記念パーティーなのよ。そこにぶっ壊す片棒担いだあんたが出てきて盛り上がるわけないでしょうが」
「や、でもよぉ。ここは戦った者同士で健闘を称え合いながら旧交を温める場面じゃねーの? なんつーかな。スポーツマンシップって奴? いや、ちょっと違うかなぁ」
フォークで突き刺したアイビーフの肉を喰らい、マリスは言う。やはり、不穏な動きはない。
「ま、いいさ。それより、飯がダメなら乾杯しようぜ」
手を伸ばしたマリスのその向こう、ウェイターが持っていたグラスが浮いた。それを左手でキャッチし、高らかに掲げながら魔神は続ける。
「何せ今日からレグレンシアはまた変わるんだ。もっと度し難く、もっと救えない世が降りてくる。目出度いだろ。目出度いよなぁ、目出度すぎるよなぁ。お前もそう思わねーかよ天敵」
「やっぱり何か企んでるわけね」
「企んだのは俺じゃねぇよ。つーか、俺に何も出来ないようにしただろうがお前」
リリムの調教が効いている。人造の魔神の有り方を歪め、その行動を制限してしまうほどに。
「あいつの夢がもっと近づいてくるってだけの話しさ。嗚呼、嗚呼、嗚呼! 麗しきかな人類の夢。夢は希望に満ち溢れているが故に美しく、だからこそその後ろに濃い闇を生み出した。度し難い話しだなぁ。あんなに煌びやかなのに、どいつもこいつも奪い合うか踏みにじりあうかしなきゃ輝けないなんてよぉ。なんて汚ねぇんでしょうねぇ。賛美する理由が知りてぇよマジで。フヒヒ、フヒヒヒ」
語る魔神の声に、少しずつ熱が入ってくる。リリムはげんなりしながら、さっさと終らすべきかと考えて光鞭を取り出す。けれど、マリスはそれにさえ動じない。
「フヒヒ。ちょっとぐらいは我慢しろよチビ。お前以外の、例えば旦那だ。聞きたそうな顔で構えてるぞ。まだ抑えたほうが良いんじゃないですかぁ? 確かにお前は俺を一瞬ぐらいならどうとでもできるようになっちまった。だぁが、あいつの夢はあいつの希望だ。願いだ、醜悪で純粋な希望の光だぁぁ。お前にもきっと掻き消せねぇぞ」
「魔神よ。嫁がキレる前に要点を言え。こちらはパーティーを邪魔されて不愉快だ」
「はぁ。俺も混ぜてくれればいいだけの話しなんだけどなぁ。無礼講でいいじゃん」
「早くしろ」
シュルトが虚空に魔法陣を刻む。お得意のシェルバスターの輝きを前にして、マリスはやはり肩を竦める。
「あーはいはい。お望みどおりに巻きで行きますよぉ。俺だってパーティー楽しみたいのによぉまったく。まぁ簡潔に言うとだなぁ、今日からぁ、賢人の夢に溺れたレグレンシアっつー世界の住民全員がよ、当たり前のように召喚魔法使えるようになるのさ。だからぁ、俺様はそれを祝いに来たってだけの話しさ。フヒヒ――」
「「「「――」」」」
シュタッと右手を挙げ、敬礼するマリス。そのコミカルさはともかくとして、彼は無言になった全員の呆気に取られた顔を肴に左手のグラスを美味そうに呷った。
「――今、なんて言ったのよ豚魔神」
「おいおい、その歳で難聴ですかぁ? カワイそすなぁ、未来のロリババァ様は」
光鞭が唸る。空気を引き裂くそれは、当たり前のように魔神の背中を打ち据える。マリスはアへ顔で悶えた。一同がこれは酷いと思うほどに無様な顔だ。一部変態が羨ましそうな顔をしたが、そんな趣味がないマリスはちょっとだけ怒りの顔を見せる。
「いてぇブヒ。あ、てめぇせっかく直したのにちくしょうまた――」
「い・い・か・らなんでそうなるか答えなさいよぉ!!」
鞭が二度ほど飛来。誰得な映像を提供する。咄嗟に、来賓の方々は幼い子らの目を覆う。教育上よろしくない絵面が続く。正にパーティー台無しの酷い有様であった。
「賢人だブヒ。いい加減データが溜まったからよぉ、本格的に奴の残したシステムが動き出したってだけの話しブヒ。去年俺様がお前らと戦う前にスイッチ入れてた奴だブヒ。ああもう、相変わらずうざってぇこれ――」
「止めなさい。今すぐ止めてきなさいよこの豚!」
「無理だっての。一度動いたらもう俺には止められねぇブヒ」
歯軋りするリリム組と関係者。既に、大陸ではエルフの動きもあって真実がばら巻かれ召喚抑止の話しは伝えられている。だが、それは召喚方法がマリスから与えられていなかったからだった。しかし今度のそれは違う。マリスはレグレンシアの住民全員と言った。そう、人類全てが召喚魔法を手にするのである。
「ああでも安心しろって。お前らが召喚しようとさえしなきゃ、召喚魔法は行使されねぇからよぉ。ブヒヒヒヒ」
だが、人類の良識にそれを委ねることの危険性は残る。難しい顔でシュルトが唸り、そしてハッと気づいた。
「まさか、ここ一年の大気中の魔力濃度の上昇はそのための布石か!?」
「おうよ吸血鬼先生。それも奴のシステムの仕業だぜぇブヒヒ。インフラや環境整備と魔改造だけはあいつら得意だからよぉ……ブヒッ」
「もはや、パワースポットの力さえ必要としないような段階に達したということか」
「うぇぇ。それ、事実だととんでもないことだよぉ」
あのレブレでさえも顔を引き攣らせた。地脈の魔力の減少を憂うエルフの懸念はもう意味が無いものになったが故に、それを止める術がもはやなくなってしまっていた。本当にそんな時代が到来するというのなら、レグレンシアは当たり前のように滅茶苦茶になるだろう。
「まぁ精々がんばってくれブヒ。俺様は何もせずに居てやるからよ――ブヒィ!」
転移で逃げようとしたマリスをリリムが打ち据えるも、器だけ残してマリスは消えた。後に残ったのは、耳にこびり付く様な悪意混じりの笑い声だけ。
「シュレイダー」
「ああ」
ニッコリと、嫌に恐ろしい笑顔を浮かべる嫁と共に吸血鬼は頷いた。
「対策は一つだ。賢人の足跡を追いながらそのシステムとやらを構築している何かを発見して破壊する。そのついでに残りのパワースポットを全て封じ、連中の企みを遅延させっ――」
「くっ――」
その時、明らかに異変が起こった。それはパーティー会場の全員はおろか、帝都中、レグレンシア中の頭に無理やりに叩き込まれた。
脳裏に知らないはずの知識がある。パワースポットを使ったそれに、供物を使った技法。或いは、大気中の魔力を使った召喚魔法など、嫌に痒いところに手が届くようなレベルのそれが、様々なバリエーションでもって与えられてしまった。どれも子供でも分かるような簡易性と完成度を備えているところもミソである。
「マリカのアレに似てるけど違うわね。頭に直接ガンって響いたわ」
「……技法としては素晴らしいというのに忌々しい限りだ。どうやったのか今のは皆目検討もつかんぞ。賢人め。どれだけ懐に手札を隠し持っているというのだ……」
帝都の都中からざわめきの声が上がる。楽しき宴は台無しにされ、ただただ忌々しい悪夢にレグレンシアが犯された。世界が、そして外側の者たちの悲鳴が届くようだった。リリムはシュルトに目配せして、テラスへと向かう。
「ああもう、鬱陶しい!!」
供給されてくる無尽蔵の力がある。外に出て世界中に埋め込まれたそれを掻き消すべく光鞭を伸ばす。パーティー会場からまたも声が上がるも無視。自分を含めたレグレンシア中の全ての生き物に対して鞭を問答無用で叩き込む。
――世界中で、鞭打たれた人々が痛みと快楽の狭間で悶えた。
「ふう、なんだ消せるんじゃな――」
無理やりに刻まれたそれを掻き消した。だが、一瞬記憶からも削除したはずのそれは、次の瞬間に再び刻み込みなおされる。それにより、世界中の者たちが再び呻く。それはリリムも例外ではなかった。
「ッ――」
「永続術式だとでもいうのか。消しても無理やりに与えてくるとは用意周到だな」
「こうしちゃいられないわね」
レグレンシアを含む全ての世界が恐怖に悶えて悲鳴を上げている。鬱陶しいほどに流れ込んでくる力を前に、リリムは後ろを振り返る。
「どうするべきかね」
各国の王族や諸侯が集まって来ていた。皆アジ・ダハーカを知っている。昨年の戦いの悪夢が、再び蘇るかもしれないと思えば気が気ではないのだ。
「とにかく召喚するなと人々に伝えるしかないだろう。王族なら触れを出すことができるはずだ。早急に手を打つべきだ」
「リリムの婿殿。空元はワシが勅命を出せばどうにかなると思うが」
「ですが、リングルベルと帝国、勿論それ以外の国は完全な抑止は無理でしょう」
「私が全員シバキ倒して封印させる? 忘れろじゃなくて使うなって」
「や、でも俺様はあんまし変わらないと思うぜぇ。今度は呼ばれた魔物どもがお前ら人類に追い立てられたからってんで使うだろうからよぉ。フヒヒのヒ」
当たり前のように復帰した賢人の死体が、会議に勝手に参加して鬱陶しいだけの言葉を突きつけてきた。だが、やらないよりもマシだ。性懲りも無く現れた魔神に鞭打ってブヒブヒ言わせたリリムは、再度レグレンシア中の生き物に召喚魔法の行使の禁止を命じて鞭を振るう。
「うーむ。根本的な解決にはならんが最良の行動ではあったな。しかしあの鞭で打たれる感覚はどうにかならないものかな。世界中の生き物がドMにされてしまうぞ」
「そんなことよりこれよ。もう、なんか光るのが止まんないのよ」
まるで人間蛍である。最後の希望たる救世のミニ女王様は、急げ急げとせっつかれるのが鬱陶しくて地団駄を踏む。鞭打つ前よりはマシだが、こうも当たり前のように光り輝やかれては日常生活にも支障を来たす。
「とにかく、それぞれができる範囲で行動するしかあるまい」
「だが、個人で出来ることなど限られるだろう。一度、できることを皆で協議しよう。またぞろ我々の想像を絶するような者が召喚されてからでは遅すぎるからね」
「じゃな」
「ですね」
夜光とベアトリーチェもレンドールの意見に賛同する。
すぐにでも飛び出したいリリムは、シュルトに止められて無理やりその会議に参加させられた。それは後に、レグレンシア中に彼女の名を広める、そのきっかけになった。
――かくして、新時代の幕はこうして開いてしまいました。
賢人の夢に犯されたこの世界レグレンシアは、未だ召喚幻想という悪夢の只中に埋没しております。その中で、それに抗う意思を固めた最初期の者たちはその日より一つの組織を結成しました。
やがてその意思は世界中に広がり、国や冒険者ギルドを通じて一般にも浸透。反召喚魔法を合言葉に、今現在でも活動を続けております。その最前線には勿論、光る鞭を持った皆様の希望を担う少女と、彼女を支える銀髪の吸血鬼の姿があるはずです。
異世界人召喚魔法。
それは少数派の娯楽であり、夢であり、知的遊戯が生み出した幻想だそうです。本来幻想の向こう側にあるはずだったそれは、しかしこうして、今当たり前のように皆様方の生きる現実に実装されてしまいました。
もし皆さんの誰かがレグレンシアに召喚されるようなことがあれば、覚えておくと良いでしょう。リリムという可憐な少女に出会うことさえできれば、元居た世界にシバき帰してくれるはずだということを。
――召喚幻想鞭滅機関『LiLiM』広報誌『吸血鬼の花嫁』より抜粋。
あとがき
最後まで読んでくださりありがとうございました。
一時期はもっと長編にしようと考えてましたが、区切りが良いのでここで締めます。ちょっと勿体無い気もしますが、なんとか最低限詰め込みたいネタは詰め込みきったので良しとしました。
次の作品ができたら、また読んで下さるとうれしいです。それでは^^




