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第十七話「そして次の時代へ」

――かつて、最も新しき生徒にシュルトは言った。


 魔法は神の御業の再現だと。

 それに挑んだのは、実益と趣味を兼ねたものだったと。

 だから今はもう、あまり到達者である『神の如き者』に成ろうという気はないと。


 当たり前だった。

 ラークに生きた偏食の吸血鬼は、己が神には成れないという以前にこなせないと、『彼』とのオラクル<交神>と、謁見で心底理解していた。


 間違いなく自分なら耐え切れずにえこひいきをするだろういう確信がある。

 彼は誰か特定の、言いかえれば世界に存在する全ての『処女』に当たり前のように優遇するだろう。


 ただ見守るだけなんて、きっとできない。

 そんな無慈悲で、正邪を分け隔てなく無限の愛で満たし続ける『神』をやるだなんて、矮小な精神しか持たない彼には絶対に不可能だ。

 だが、だからこそ彼はそれをやりきっている『神の如き彼』を彼は信仰した。


『しつこいね君も』


『魔法の奥義や真理は、全て貴方にこそ繋がっている。ならば、貴方との邂逅の価値は計り知れない』


『そういうものかな。まぁ、特に何も教えることはないし、享受することもないけれど、話したいというなら好きにすればいい』


『ところで、今日は何をしているのだろうか』


『んー? 暇つぶしに世界創造。見るかい? ただし、目が潰れても知らないよ』


『……暇つぶしでか』


『そうそう。どうせやることなんてないしね』


――そして、神に至れないと気づく前の吸血鬼は、それをただ目に焼き付けた。










 帝都を一撃で灰燼と化すだろう闇の吐息の本流を、魔なる影で飲み込みながら、シュルト・レイセン・ハウダーはかつて挑戦した夢の残骸を掘り起こす。


(今まで挑戦したときは当たり前のように失敗した。当たり前だ。そもそもが間違っていたのだ)


 虚空に刻む魔法陣が明滅する。

 魔力の光は飽和するほどに集められた力を術式に従って制御。望むべき事象を発生させるべく、その力を励起させる。


(だが、今は違う。シスターマリカは二つのことを私に教えてくれた)


――決戦技法バニシング・ジャッジメント。


 オーラによって無理やりに敵対象を消し飛ばす単純にして強力な光の神の御業。


 オーラとは生命力だ。命を繋ぐ活力であり命そのものと言って良い。ならば、暗黒の宇宙に命を振り巻いて、世界を育んだ最初の光とはつまり命の輝きそのものであるとも解釈できる。


 一つ、神は自らの莫大な命を燃料に世界を生んだ。


――キヒトシュレイン。


 魔力をオーラに変換するという槍がある。


 魔力とは生命体はおろか星そのものが持つ超常のエネルギー。それは天候さえ左右し、命を育む星に影響を与える。気と同じく精神に感応し、外側から命を支えている。


 当初、暗黒の何も無い宙空にはそんなものは存在しない。初めから有ったのは無と神だけ。ならば、それは創造により生まれ出でたオーラの変質した姿とも解釈できる。


 二つ、魔力はオーラの変質体で、それはオーラへと還元できるということ。


――この二つの事実が導くモノこそが、唯一吸血鬼が行使できる神技への真理。


 神に成れなくても構わない。

 到達してもそれには届かず、そもそも成れないと知っている。


 だが、シュルト・レイセン・ハウダーは御業の一つには辿り着いた。魔法卿の字<あざな>に掛けて、ならばそれを偽りの神で証明しようとここに挑む。


「孤独で無限の空の向こう。それでも私は汝らのような影を望んだ――」


 初まりはきっと孤独から。

 その寂しさを埋めるために、神は自らの影を生んだ。


「触れることさえ叶わぬと知りながら、それでも私はそこにあるはずの愛を求めてこの闇を満たす――」


 生まれたそれとはもう、存在の規模が違いすぎて触れ合うことさえできない。

 ならば、ただ平等に我が命から生まれた子らを外側から見守ろう。


「満たせ満たせよ影の連鎖。何れここに至る影が無いと知りながら、私はそれでも自らの愛し影を暗黒の空の彼方より見守り続けよう――」


 帝都上空。


 四十を越えるパワースポットから運ばれた魔力塊が淑女隊のための二つだけを残して連鎖反応。それらは膨大で、精緻極まる術式により己を魔力から気へと変換。白く澄んだ光の粒となってシュルトの影の向こうへ集まっていく。


「願わくば永遠に。私の無限の愛が尽きるその日まで永劫に――」


 ダークブレスの照射が止まる。薄い影のその向こう、魔神を取り込んだ暗黒竜の三つ首が、危機感を感じて闇を増す。


 それは魔神のカウンターマジック。魔力や気が想念によって影響を受けるという性質を利用した、弾道を捻じ曲げることさえできるある種究極の対抗魔法。


「誰が知らずとも構わない。偽りが信仰されても構うまい。ただそれでも、願うことがこの私に許されるとするならば――」


 命の源が集う。

 ただの願いの欠片が集う。

 影に永劫に触れられぬ、神の愛そのものがここに集う。


「愛し影が私のように闇の中で孤独に泣かぬよう、我が祝福を今一度届けたい――」


 儚げに煌いて、集う光が凝縮する。

 それは暗黒竜の巨体からすれば圧倒的に小さい。きっとより集めても首一つにさえ劣るだろう。けれど、ならば何故それを前にして暗黒竜は、彼の魔神は守りに入ったのか?


「故にただ、我が命の欠片よ。ここに集いて遍く世界を照らし出せ――」


 励起する魔法がある。それを認めることができず、魔神はただ否定する。


『無理だって。おい、ソレが有り得る訳ねぇだろ』


『そうだ。不可能だぞ吸血鬼先生よぉぉぉ』


『だってそりゃお前、お前自身が認めた究極の失敗作のはずじゃねーか――』


 一度、召喚で完全に吸血鬼と繋がって干渉し、理解したからこそ否定する。


――確かにかつてはそうだった。


 重要な要素を見過ごし、どうやってもただの爆発魔法にしかならなかった。

 ただの光にさえ届かなかった。


 けれどもう解は得た。

 ならばもう、それが失敗するビジョン一つさえシュルトには浮かばない。


 無論、完全なそれにはならない。この世界のエネルギーすべてをつぎ込んだって無理だろう。けれど、それでもこれから放つ、神の御業の模倣たる一撃は、スケールダウンしただけのそれそのものとして機能する。ならばそれで十分だと彼は認識していた。


「確かに失敗作だった。何度やっても成功せず、だからこそ諦め、過去に置き去りにした一つの夢だ。だが、ならば何故お前はこれを恐れる。そうだ、これが本物ならお前が理解したように、どうやっても防げないからだ。何故なら――」


 それは光の祝福。

 それは誕生の奇跡。

 それは神の孤独を癒す創世の魔法。


「――神の愛を遮断できる術など、三千世界のどこを探しても存在しないからだ!」


 左手を掲げたまま、吸血鬼が指を折り曲げて添える。いつものトリガーは既に、当たり前のように当然に用意されている。後はただ、その引き金を引くだけ。


 シュルト・レイセン・ハウダーはその一撃の前に、ただ『彼』への感謝を捧げ、その言葉を起爆言語に選んで魔法を放つ。


――ハウダー式、魔力変換型内気神呪法<ゴッドスペル>。


「ハレルヤ――」


 パチンと、指が弾かれ静寂の中に小気味良い音を生み出す。瞬間、創世の光の本流が、無音で世界を爆祝した。












――その時、魔物を含めた戦場に居る全ての生物がその光を見て慄いた。


 帝都上空に舞いながら、東の外壁の向こうが光に包まれたのをレブレたちは見た。

 目も眩むような純白がただ広がって、周囲をただ無音で抜けていくその様を。


 それはまるで、この世の物とは思えないほどに眩しい光景だった。


 眼を焼き尽くすのではないかと思う程の光陵に、マリカが左手で目を庇う。けれど、細められたその眼は、最後まで見逃す事無くその光の暴虐を見届けた。


「くっ。何ですかアレは。桁違いのエネルギーが開放されたように見えますが」


『センサー振り切っちゃったよお姉ちゃん。アレ、もう魔法とか方術とかそういうの越えた何かだよ……』


「ダメだ。僕の竜眼でも術式が解析できない。魔法卿……一体君は何をしたんだい? ラークの術式からも離れすぎてる。ううー、とっても気になるよぉ」


 光の祝福は二十秒も続かなかっただろうか。

 光が抜けたその向こう、アジ・ダハーカの纏っていた闇が完全に剥ぎ取られ、その肉体がほとんど骨まで焼きつくされていた。


 内包しているはずの害獣さえ、ただの一匹もそこには存在しない。足元の地面は融解し、マグマのように煮立っている。そればかりか、骨の髄まで溶け出すのではないかという酷い有様で解け落ちかけていた。


――東の外壁から、当たり前のように人々の歓声が上がり、やがてそれは帝都中へと広がっていった。











――帝都上空。


「ちょ、何よ今の光!?」


「シュレイダー先生が言ってたとっておきって奴でしょ」


「見てよ、魔物も驚いて動き止めちゃったよ」


「禁呪系統って必要ないとか言って教えてくださりませんでしたけれど、あんなのが有れば魔物なんて怖くないですわね」


 淑女隊の面々が呆れたように呟く。そんな中、ベアトリーチェがいち早く意識を取り戻し、拡声魔法で告げる。


 ここに来たのは戦うためだ。まだ敵は大量に健在。どこもかしこに居るのだから、アレだけが同窓会の出し物であって良いわけがない。


『さぁ、皆さん。先生のとっておきは見ましたね。三期生は東門から、二期生は空の敵を、そして一期生は破られた外壁の方面から片付けなさい! 良いですこと? これは先生のためとはいえ、リングルベル魔法淑女隊初の国外遠征ですのよ。そのつもりで私たちの力を存分に魅せつけておやりなさい!』


「「「了解!!」」」















――帝都西区画。上位ランカー遊撃隊。


「今の光、なんでしょうねダックスさん」


「知らねぇがチャンスだな。おらぁ、動きとめた馬鹿からぶち殺せ!」


 魔力を纏った刀身を輝かせ、ダックスが自慢の大剣を振り下ろす。当たり前のように今まで通常の剣撃に耐え切っていた魔力障壁が、その一撃に抵抗できずに切り裂かれる。


 切り裂いたオークの腹から血と臓腑が滴り落ちるのにも構わず、彼は鬼神の如き働きを見せて仲間と兵士の気力を支えるように鼓舞し続ける。


「オラァ、アタシらもやるよ!」


「合点だぜ姐さん」


「でもマジであの剣欲しいな。これも良いけどさぁ!」


 彼らは連携し、エンチャントが効いた武器と魔法を集中して敵を爆殺していく。光が切れればすぐに引き、集積所のそれを引っつかんで駆け戻る。と、そんな場所に一期生が空から参戦した。


 上空から飛来するのは、多種多様な属性の魔法の矢。初級にして数頼みの一撃が、絨毯爆撃よろしく通りを抜けた。


「な、なんだ?」


『こちらはリングルベル魔法淑女隊です。永久名誉顧問シュルト・レイセン・ハウダーの要請により、これより帝国の皆さんを援護します』


 帝都城に話しをつけに向かったベアトリーチェとその護衛以外を引きつれ、ナイラが宣言する。空を見上げた帝国人たちが見たのは、見目麗しい女性たちが魔物相手に叩きつける凶悪な魔法の数々だった。


「援護……リングルベル? あんな遠いところからかよ!」


 ダックスが呆れながら、しかし唇を吊り上げるて叫ぶ。


「はっはー! こりゃいい。大陸最強の魔法部隊の実力、見せてもらおうぜ!」


「いいですけど、飲み込まれないように気をつけてください。でないと串刺しですよ――」


「あんだと?」


 掃討した魔物の集団の只中に降り立ったナイラが、最前線の男の眼前を抜け指を弾く。瞬間、足元で広がった闇が魔物の足を飲み込んだ。


「先生直伝のこれは一等えげつないですわよ。さぁ穿ちなさい我が影よ――」


 影刃が一斉に真下から浮上。影の上の全てを貫き、その死骸を影への中へと取り込んで影葬していく。ストリートを埋める邪魔臭い死体の山も同時に飲み込みながら、淑女隊のエースがオーガに破られた外壁へと緩やかに進撃していく。


「なんだぁ、あのすげぇ姉ちゃん!?」


「影がまるで生きてるみたいに蠢いてやがる」


「馬鹿、あの姉ちゃんだけじゃねぇよ。他の連中もなんだあの魔法。魔物一撃じゃねぇか!?」


 初級は弾幕。中級は広範囲、そして上級は戦場ごと抉る大火力の魔法。それぞれに使い慣れたそれらを用い、魔女たちが敵陣に風穴を開ける。そこへ、勝機とばかりに傭兵と兵士と志願兵が逆襲に出た。













――城壁前広場。


「城壁の上の奴ら、庭のでかいのが気になるからって仕事しやがれってのなぁ!」


 ハーピーの矢を、剣を掲げたケインが障壁を展開して防ぐ。その後ろから、アサルトライフルを構えたクラシマと、弓を構えたハイドラーが狙撃する。


「ぜぇ、ぜぇ、なんか無茶苦茶これ撃つと疲れるぜ。魔力って奴が減ってんのかな」


「気をつけろジェント。魔力切れになると最悪気絶することだってある」


「そいつはおっかねーな。火力が落ちるけどセミオートでやるか」


「先にまとめて吹き飛ばす。残りを狙ってくれ」


「了解」


 ハイドラーが虎の子のエンチャントの掛かった矢を放ち、まとめて叩き落とす。危機感を感じた生き残りが退避するところを、クラシマがしっかりと狙って引き金を引く。


 軽い銃声と共にライフルから放たれた魔力弾が、魔力障壁を次々と貫通。甲高い悲鳴を上げさせながら大地に叩き落す。


 その後ろから、城門の内側から城ではなく城壁入り口で奮闘する彼らを狙った悪魔のような姿の新手が二匹回り込む。


「すまないな。その先は通行止めなのだよ」


 左手にクラシマに借りた拳銃を、そして右手に長剣を持つベイリックが立ちふさがる。悪魔が手に持った槍を構えて知ったことかとばかりに突進。それを、冷静に見定めながら左手の拳銃で銃撃。


 引き金が二度引かれ、それぞれ一発ずつ胸部に弾丸を受けて仰け反った。それでも致命傷ではないが、魔力障壁が威力に耐え切れずに掻き消えている。ベイリックはその隙を逃さずに駆け出し右手一本で長剣を振るい抜ける。

 

 斬閃が鮮やかに異形の命を刈り取った。切り裂かれた首筋から、血を噴出しながら二匹の魔物が倒れる。返り血で濡れたそれを気にもせず、彼はどこか満足そうに左手に握った異世界の武器にキスを落とす。


「この武器も素晴らしいな。強いというのはいいことだ」


「ちゃんとジェントに返せよ。それは彼の数少ない故郷の品だからな」


「残念だね。まぁ、竜騎士リリムの加護の方が私としては好みではあるか」


 肩を竦めながら、ベイリックも城門組みの援護をしようと歩を進める。だが、その前に空中を飛ぶ淑女隊を見上げた。


「それにしても、彼女たちも素晴らしいな。空が随分と見晴らしがよくなってきた」


「シュルト・レイセン・ハウダー。どうやら本物らしいな。何故助力を命じたのかは分からないが、ありがたいことだ」


「いやまぁ、あの旦那は竜騎士の嬢ちゃんを嫁だとか言ってからなぁ。心配だったんじゃねーの」


「ほう、彼女の……」


「ちなみに、俺の剣に細工したのもそいつだ」


 隠すのも面倒になったので、ケインが言うとベイリックが目を細める。


「それは良い事を聞いた。是非ともその彼を紹介してくれたまえ冒険者君」


「勿論、私もだぞケイン」


「言うんじゃなかった! あの旦那、マジ洒落になんねーのに――」










――帝都城中庭。


「いい加減しつこいなこやつも」


「KLISYAAA――」


 スフィンクスの攻撃を結界で受け止め、反撃に出ようとしたその瞬間、真横から蓋筋の光の本流がスフィンクスの巨体を襲った。魔力障壁を貫通したその二本の光は、人面魔獣の片翼に穴を開け飛翔能力を奪い去る。


「――む?」


「やはり苦戦しているようですね」


「手伝いに来たよぉ」


「おお、レブレにマリカか。向こうは良いのかえ。アレはまだ死んではおらぬぞ?」


「増援が来たから大丈夫さ!」


「さっきの凄い奴かえ。まぁ、さすがにアレにはワシも言葉を失ったがのぉ」


「まだ戦闘中ですよ!」


 落下したスフィンクスが城の庭に墜落し、起き上がろうとしている。幸い、真下には誰も居なかったが、落着の衝撃で飛行系の魔物を相手にしていた兵たちの手が一瞬止まった。その隙を突こうとしたレッドホークの群れが、サキによってブレイドサイクロンで切り刻まれる。


「おお、こりゃすまんな」


「い、いえ……」


 レブレの背に跳躍し、そのまま話しこみかけていた夜光が面目ないとばかりに頬をかく。真っ先に天帝が謝ったので、サキの顔がなんともいえない表情を浮かべながら城の上を飛び跳ねていく。


「サキも無事だね。よーし! とりあえず三人がかりで大物退治だ!」


「じゃの。さすがにやられっぱなしは癪じゃしのう」


「では、やりますか――」


 空を見上げて威嚇するスフィンクス。さすがにアジ・ダハーカのようにすぐに再生するようなことはしないようだった。レブレは対峙するように庭先に下りると、夜光にお願いする。


「夜光、ちょっとパワースポット貸して」


「いいが、どうするのじゃ?」


「あいつ削るよ。後の止めは二人でお願いね」


「そうかえ。なら、レブレの格好良いところを見せてもらおうかのう」


「いい機会だし、あの日の言葉の意味をちょっとだけ教えてあげるね」


 レブレが地脈を掌握。それをバックアップにしながら咆哮を上げる。


 雷鳴のように響く竜の雄叫び。

 庭に木霊するその咆哮に会わせて、場の空気が変わる。

 異変を感じ取ったスフィンクスが、飛び掛ろうとするのを止めて警戒するようにレブレを睨む。


「君の警戒は正しいよ。だって僕は竜だもん。神も悪魔も食べちゃうんだ。でもこれがどういう意味か君は知っているかい?」


 スフィンクスは答えない。本来は謎かけをする側であり、今は操られて魔物同然と化しているからだ。けれどレブレは気にもせずに続けた。


「わははー。答えは単純だよ。何せそのままの意味だもんねっ――」


 開いた顎の前に複雑怪奇な文様の魔法陣が現れる。

 それは緑色に明滅しながら高速回転し、円の中心から凹み始める。丁度底の無い円錐のような形だ。次の瞬間、空気ごと吸引されるような音と共にスフィンクスの体から光り輝く何かがそれに吸い込まれていく。


 それは魔力。念神の体を構成している要素であり、共通幻想である想念が刻まれた力の塊。


――竜魔法『神魔封竜陣』。


 敵の魔力を無理やりに飲み込み、自身の所持する魔力と相殺する禁断の秘術。

 古き血脈に連なる竜にのみ与えられ、神魔を恐れさせてきたラークの上位竜たちの切り札だ。


 性質上、確実に自分の魔力も削るために滅多に使われることはない。だが、今は真下のパワースポットの恩恵がある。無論、生命力を対価に限界以上に削り喰らうことさえできた。故に、ラークの古き竜を意図的に怒らせる神も魔も存在し得ない。彼らは少数であるが、一度戦が起これば一族総出で喰らいに来ることさえある脅威なのだから。


「残念だなぁ。後僕が千年生きてたら一人で喰らい尽くせたのに」


 四つの足で踏ん張りながら、スフィンクスが耐え忍ぶ。その足が庭を削りながらも少しずつ吸引に負けた。擬似物質化した魔力がそもそもの術の対象。当然、その体そのものが吸引対象である以上は体も飲みこめる。


「これこれ。それではさすがにワシの出番がなくなるじゃろう」


『どうしよお姉ちゃん。この子もやっぱり常識外れだよぉ。無理やり念神から魔力剥ぎ取るってなに!? 異世界の人たちどいつもこいつもとんでもないって!』


「しかし、コレはどう見ても自爆技ですよ」


 確実に削れるが、相手が自分より圧倒的に強すぎれば自らが磨り減らされるだけで終る。それは確かに間違いではない。だが、竜と人では価値観が違う。彼らは必要であればそれさえも戸惑わないというだけの話し。


「その時は命かけるんだよ。裏技でね、飲み込んで石化して停滞した時の中で更に削るのがポピュラーかなぁ。まぁ、そこまでやったら死んじゃうから、必要が無い今はやらないけどね」


「じゃが、これなら殺しきれそうじゃの。なぁマリカ――」


「ですね。終らせましょう夜光――」


 懐からお札を取り出し指に挟んだ夜光と、マリカの二人がレブレの両肩から構え、その瞬間を待つ。


「そろそろ返すよ夜光」


「おう。では今度はそこでワシの格好良いところを見ておれ」


 陣が消えた次の瞬間、夜光とマリカが弱体化した念神に向かって飛び出した。













――帝都城司令部。


「光と共に東の竜が骨になった?」


「しかも増援……リングルベルからだと! 一体何故……」


「どういうことだ」


「き、君たち! 詳しく説明したまえ!」


「はっ! 目前に迫った敵巨大竜の眼前に、突如として銀髪の有翼人が降り立ち、影を広げて攻撃を遮断。その後に反撃したと思われます。その者、竜騎士殿と二人で骨だけでも動き始めた化け物と交戦しているそうです!」


「空の増援については、理由はわかりません。ただ、彼女たちの拡声魔法を聞いた者の報告によりますと、どうやら彼の永久顧問殿が要請したらしいとのこと!」


「……はは、そうか! 彼が手を回してくれたか!」


 公爵が腹を腹を抱えて笑った。来るとは娘から聞かされてはいた。しかし、会った事もない相手であるせいか彼の頭の中から完全に消えていたのだ。けれどそれがどうだ。こうも美味しいところを掻っ攫われるともはや笑うしかない。


「どうやら、ノルメリアが言ったことは本当のようだな」


「当然ですわ。あの方は来ると言ったら来てくれる方ですもの!」


「くく。風向きが変わったな。公爵、そろそろ後詰を全部出すべきだろう」


「し、しかしレイチェル様!?」


「――た、大変です! 司令官に謁見したいとリングルベルのベアトリーチェ姫と名乗る者が現れました!」


 兵士の一人が血相を変えて飛んできた。レンドールが飛び込んできた兵士の方を見れば、杖を持った淑女が入り口で優雅にお辞儀をして入っていた。その雰囲気に呑まれてか、他の者が止める暇は無かった。


「始めましてレンドール公爵殿。私はリングルベル王国のベアトリーチェと申します。この度の他国の、それも首都での勝手な戦闘行為。火急の事態とはいえ独断で動いたことをまず謝罪させて頂きたく思います――」


 背後に部下を連れての堂々たる物言い。白々しいまでの形式的な挨拶を受け、公爵はしかし、それを咎めることさえしなかった。


「ご助力感謝するベアトリーチェ殿。言われたとおりに状況が状況だ。これを持って貴国と我が国の関係が拗れるようなことはないと約束させて頂きたい」


「ありがとうございます」


 たおやかに微笑み、王族としての筋を通し終えた彼女は一礼してすぐさま踵を返す。その背に向かってレンドールは問うた。


「貴女も出撃なされるのか?」


「はい。我らがリングルベル王国、王立魔法学園永久顧問シュルト・レイセン・ハウダーたってのお願いでありましたから――」


 それ以外の理由でリングルベル王国の魔法淑女隊が遠き他国のために動くことなどありえない。そもそも他国にはこれまで派遣されたことがない戦力なのだ。


 召喚した英雄を他国に派遣する国が無いように、国防の要として組み込まれた彼女たちはそう易々と動けない。それを許すほどに、つまりはリングルベルにとってはシュルト・レイセン・ハウダーが重要視されているということであり、同時に彼に対して余計なことをするなという一つの牽制でもあった。


 ベアトリーチェたちが去っていく。公爵はそれを止めず、完全に姿を消したことを確認した上でレイチェルに言った。


「よく止めてくれた」


「話しをややこしくしそうだったからな」


「プハッ! もう、酷いですわよお姉様! この非常時です。わたくしだってサインを強請るぐらいしかしませんわよ!」


「「「「強請るな!」」」」


 司令室に居た皆が突っ込んだ。















――彼と彼女の戦場。


 闇一つない真昼の下で、吸血鬼とその花嫁が未だに止まらない暗黒竜へと挑んでいた。アジ・ダハーカのその執念、その妄念。それら全ては、善を肯定するための絶対悪側の存在としては正しいのだろう。


 けれど忘れてはならないことがある。

 悪が在るならば、善も確かにそこに在るということを。


「もう、こいつしつこいわね!」


 リリムは手に持った白き剣を振るって左前足の白骨に叩きつける。骨に食い込む刀身は、白く輝きながら頑丈極まりないはずの骨を当たり前のように斬り砕く。傾ぐ竜の脇を、翼を羽ばたかせて抜け、その後ろにあるもう一本の脚もついでに砕いて後ろに抜けた。


 その下に広がるは強大な影。


 シュルトは影で砕けた骨を飲み込み、癒着再生を封じ、復元でエネルギーを削らせながら自らも魔法を叩き込んでいく。


 敵の被害は極めて甚大。

 ここから挽回するにしても再生に専念せねばなるまい。その予測の元に、疎かになった防御の隙をついて白骨へと攻撃。シェルバスターで真ん中の首を一本正面から撃ち砕く。


「急げ。君が槍で壊した側の足が復元した。このままではまた直ぐに元の姿に戻るぞ」


「何それ!? もっと欲しいだなんてドMにも程があるわよこの変態竜!」


 叩く、叩く、叩く。

 尻尾の付け根を、再生しかけた左足を、首を、肋も背骨も容赦無く叩き斬っていく。だが、シュルトはそんな程度では満足しない。より高みへと上ることを望まれた少女に助言する。


「まだだ、君の全力はそんなものではない! 与えられる力に込められた星と人々の願いをまとめて感じ取れ! 聖女の殻さえも脱ぎ捨てろ!」


 偶々生まれた程度の聖女のままでは敵わない。だから少女は正しく変わらなければならないのだ。その力の本質を知り、自らが押し付けられただろう概念から力を引き出すそのために。


「フヒ……フヒヒ――」


 未だ蒸気の止まぬ白骨の中から、闇を纏う魔神が背骨の骨を蹴り破って現れる。引き攣ったその口元にある歪みが、きっと今の彼が味わっている感情を表していた。

 その感情の名は怒り。どうしようもない程に純粋な、彼にとっての理不尽への当たり前の感情だった。それは召喚された者たちが味わうそれに似ていただろうか。


「何だぁ。何ですかコレはぁぁぁ――」


 もはや彼としても呆れるしかない程のご都合主義。絶望へと叩き落したはずなのに、少女のそれが遠すぎる。それは彼という理不尽を軽く上回る理不尽。それを奇跡と呼ぶならば、なるほど確かにその通りなのだろう。


「分かんねぇ。俺様には分かんねぇよ。どうしてこうなった? 不可能が完成し、たかだか剣一本で完全に劣勢? 冗談にも程があるだろうがぁぁぁぁぁぁ!」


 悪態を吐きながら、悪意の魔神が剣を掲げる。


「三度目ぇぇ、行くぜぇぇぇぇぇぇ!!」


 今、そこにある戦場全ての魔物と害獣の命を糧に、魔神が帝都の空に召喚陣を刻みこむ。次々とそれらに落ちるの光の柱。もはややけくそ気味の供物召喚は、魔物を苗床に次々と彼の悪意を育んだ。


「馬鹿め。まだ分からないのか魔神よ。それは最悪の一手だぞ――」


 それを見て、シュルトが確信したように笑う。

 その証拠に、彼の花嫁に変化があった。


「なによこれぇぇぇぇ!?」


 リリムの体に、外部から更に強力な力が流れ込んでくる。飽和する力が、ついに少女の意思を無視して全身を眩しいぐらいに輝かせた。まるでそれは、敵の行動に呼応するかのようだった。


(あ……そっか。そうなんだわ――)


 ふと、彼女は理解した。

 それは聖女としてではなく、救星主としてでも、まして救世主としてでさえない。そんな肩書きを背負わされたからではなく、ただの一人の少女でさえ理解できる当たり前の答えが、その力には込められていたことを。


(皆、当たり前のように怖いのよ。だからこうやって私に縋り付いて来たんだ――)


 熱に浮かされそうになるほど、流れ込んでくる力の本流からこみ上げてくる衝動がある。だから彼女はそれを振り払うための概念を与えられ、集束点として選ばれた。


「私がしなくちゃいけないこと。私が望まれたこと。それって、そうよ。やっぱり倒すことだけじゃないんだわ――」


 間違いが一つだけあった。

 確かにそれをこの星と、この世界に住む者たちは願っている。けれど、それはこの内側だけの話し。レグレンシアの外側に居たはずレブレやマリカ、そしてシュルトがどこかで願っていたそれとはまた違うのだ。


 答えに気づいた少女は召喚に備えるために、東の外壁の外に対空するシュルトのところへと飛翔した。


「その顔は気づいたな」


「うん。だから、私がちゃんとやるから見てなさいよね!」


「勿論だ。嫁の勇姿を見届けない夫が居るものか」


 背後で召喚が進んでいるそれへと振り返って対峙したまま、少女がもう一度目を閉じる。演じるべき、成りきるべき救世主としての自分の創造はもう完了している。だから、後はただマインドセットしてこなすだけ。


 もう少女は聖女ではいられない。

 ここから先は、真っ向からそれと対峙する。


 純白の剣を空へと掲げ、据わった眼でそのためにイメージする。誰かが望み、そして自分が描くその完成形を。


「これで、馬鹿騒ぎはおしまいよ豚魔神――」







「来い、来い、来いよぉぉぉ!」

 

 マリスの足元で、死に底無いのアジ・ダハーカが存在を保てずにかき消える。その背後に、まるで魔神の部下のように落ちてきた巨大な光の柱。その数は十を越え、十二で止まった。その向こう、一段と輝く光の中から、異世界より召喚されたものたちが姿を現す。


――個人所有型の円盤に乗った蛸足のグレイ。

――カツラと楽譜で武装した天才音楽家。

――全ての獣と戯れる傑作たる怪物。

――炎の羽が生えたスカイフェレット。

――かつて預言者を飲み込んだ水棲生物。

――齢を三十でようやく力を得た都市伝説の魔法使い。

――七つの首を持つ竜。

――巨大な大樹で包まれた浮遊する城。

――「テケリ・リ」などと呟く正気を削るような巨大な粘液。

――ただの社蓄たるブラック企業戦士田中。

――羽を数多く生やして輝く天使。

――そして、相変わらず見上げれば首が痛そうなほどに巨大なだらっち。


 彼らは当たり外れ合わせても、統一性がなかった。当たり前のように出身世界は出鱈目で、存在の規格もサイズも種族さえも違っている。


 正に理不尽なランダム召喚の犠牲者たち。

 けれど、だからこそ皆リリムと繋がっている救済希望者たちだった。


「アヒャヒャヒャ。はずれも多いが当たりも十分だぜい。フヒヒ。これなら――」







「――いい加減気づけってのよ。あんたがそうだから、私に当たり前のように覆されるんだって!」


 紅眼を見開き、新しいペルソナで望む自分を演じ始める。相手が誰であろうともはや関係はなかった。


 リリムの掲げた右手の剣が光に変わる。それは、彼女のもっとも得意な鞭状に変化し、魔神を除く彼女の敵の数に会わせて分裂。延々と空の彼方まで伸びていく。


 木の幹から伸びる枝のように、枝分かれして敵群の数に合わせ、届かせるためにひたすらに何処までも何処までも伸びていく。遂にそれは山を越え、雲を越え、海の空を越えて星の外にまで勢い余って飛び出した。


 何せ彼女の敵はこの世界中に鬱陶しいほどに蔓延っている。それらを駆除するのだから、その数は百や千で到底足りない。


「――ちょ、おまっ……」


 いざ攻撃を命じようとした魔神が、呆気に取られた顔でそれを見上げる。

 リリムの掲げる鞭の先は、それこそレグレンシアを覆い尽くす程に長く枝分かれしている。もはやその長さはだらっちの全長さえ越えていた。


 きっと、この世界に住む人々は今日この日に空を見て驚いただろう。

 だが、当たり前のようにその異常な空を見て恐怖を感じた者は居なかった。


 何故なら、空を白く染めるその光の鞭は、彼らの願いを叶えるためのものだと無意識に識っていたから。


「誰だってね、無理やりは痛いから嫌なのよ」


 カンナヅキ・アキヒコが言ったように召喚とは理不尽な拉致で誘拐だった。

 全ては一瞬で、偶然選ばれてしまった者は抵抗する間もないほどにすぐ犯行を終えられる。たとえ物理的な痛みを伴わなくても、あるべき場所から切り離された痛みが心を深く傷つける。ならば、その苦痛に怯えない者がどれだけ居るだろう? 今この瞬間も、当たり前のようにその犠牲者になるかもしれないという現実がそこにはあるというのに。


 確かに好き好んで望む者が居ないとは限らない。既に前例があることをこの世界は知っている。


――けれど、それは間違っても大多数ではない。


 ならば、当たり前のように救済を求める個体は出てくるだろう。それこそがレグレンシアの外側の者たちがリリムと繋がる理由。現在過去未来並行世界。そこに済む命たちは、異世界召喚という理不尽へ対抗するために、自らを救済できる存在として彼女を偶然にも選んだのだ。


「そりゃね、慣れたら病み付きになる痛みだってあるかもしれないわ」


 そして、レグレンシアの中に初めから住む者たちは異世界から運ばれてくる危険を排除するための救いを彼女に求めた。けれど、それだって誰かはわからなかったから少女の中の力は、自分の生命力で代用しなければならなかった。もはや彼女に枷はない。制約は完全に消え去り、ここに成約は成立した。


「けど、やっぱり普通は比べれば拒んじゃう。今居る場所の暖かさを知っていれば知っているほど、その場所が自分の居場所だって思うのよ。それを好きに選べたり、帰れたりするならまだしも、あんたはきっと帰せないんでしょ。そりゃ皆反発するってのよ」


 帰せるならきっと、カンナヅキ・アキヒコを魔神マリスは帰している。それほどに彼は少年と馴れ合った。泣いていたのはそのせいだろう。失ったことへの悲しみも確かにあっただろうけれど、誰よりも彼の願いを知っていたはずの魔神は、帰してやれないことにも後悔していたのではないか? マリスとも双方向に繋がっているリリムは、だからこそ漠然とそう読み取れていた。


「……フヒヒ。面白い推理だな名探偵。だぁが、だからなんだってんだ。いいや、そもそも、お前はそのアホみたいに長いのでどうする気だぁ。長すぎてどう考えても振るうことさえでいないだろ。つーか、せっかくの力を集束させるんじゃなくて広げて使うってなんだそりゃ」


「そんなの決まってるじゃない。何せ、私は――」


 天帝夜光は空元の者たちの願いの集束点。

 槍娘マリアルはエルネスカの者たちの願いの集束点。

 そしてリリムは、レグレンシアの内と外を巻き込んだ召喚幻想を拒む者たちの願いの集束点であり、彼らが最後に縋るとある概念を押し付けられた者。即ち――、


「――連中の『希望』通りにそいつらをシバキ帰す力を貰っちゃったのよ。だからさぁ、まとめて全員自分の世界にぃぃ」


 光鞭に込めるイメージは『開放』『必中』『帰宅』の三つだけ。この期に及んで倒すとか傷つけるとかは、もはや少女は望んでさえ居ない。


「気持ちよく往っちゃいなさい!」


 リリムが鞭を振り下ろす。

 瞬間、魔神が一斉に召喚した下僕共に回避を命じる。

 だが、それは当たり前のように叶わない。


 鞭は与えられたイメージに従って発動。世界中で荒れ狂い、マリスが今使役する全ての手駒の背中を打ち据えて苦痛と快楽で悶えさせ、呼ばれる前の場所へとことごとく強制的に送還し尽くしてしまう。それはもう、避けるとか防ぐとか、そういう行動の一切を無視する不条理な一撃だった。


「なっ……――もうやだこのチビ」


 マリスはこのときようやく納得した。心底理解し、認めざるを得なかった。


(あー、そっすかぁ。よりにもよって希望っすかぁぁ。……勝てるかヴォケ)


 仮に正義ならただの力だ。タダの力にできることは奪い、壊し、脅して押しつけることぐらい。対立する全てを悪とする醜悪極まる概念故に、まだ組しやすい。そして反対の悪ならばマリスの領分。ほとんど性質が変わらぬが故に恐ろしくもない。


――だが『希望』は違う。


 最後まで誰からも奪えず、善人も悪人も老いも若いも男も女も魔神さえも、命尽きるその瞬間まで当たり前のように持っている。どれだけ暗い絶望に塗れさせても、それだけは最後まで無意識レベルで残リ続ける不屈の概念。


――それはきっと、存在するどの概念にも消すことができない最後の光。


「さぁて、邪魔者はいなくなったし覚悟はいいわね。ブ・タ・ま・じ・ん♪」


 たった一人、手駒を全て失った孤独な魔神の眼前で、救世のミニ女王様がいつの間にか手馴れたサイズへと変化した光鞭を右手で構え、威嚇するように振るう。それは当たり前のようにシュッシュッと空気を引き裂き、虚空に漂う魔神の器の耳朶を叩いた。


 可愛らしい顔を少しだけ愉悦で染め上げている癖に、その内側で渦巻く感情は当たり前のようなほどに黒い。振るう鞭が奏でる音と行動が示すとおり、少女の機嫌は最悪だった。だから彼女は、据わった眼で魔神を見ながら花も恥らう程艶やかな笑みを浮かべて命令するのだ。


「まずは跪きなさい。行儀が成ってないわよこの豚野郎!」


 一拍遅れて鞭が唸る。

 瞬間、持っていた剣で防ごうとした魔神。だが、鞭は目の前で掻き消え、理不尽にもいきなり彼の背中を痛打した。


「いてぇっ! このジャリ調子に……はぁ!?」


 気づけば、まだ暖かい地面の上で土下座させられていた。その背中を、聖浄気を纏った編み上げの硬いブーツが、グリグリと踏みつけている。全裸でないことだけが唯一の救いとでも言うべき圧倒的服従体勢。マリスは絶叫した。


「な、なんじゃこりゃぁぁぁ!?」


 理解さえもはや超越した。奇跡は理不尽にも行使され、当たり前のように断罪の場を整えた。この不条理、この理不尽。それの顕現こそが彼女の特性。勝率が零でも勝率の計算式を無視して結果をたたき出す願いの極限。それこそが奇跡なのだ。


「ねぇ、誰が人間の言葉で喋って良いって言ったのよ豚魔神」


「ざけ――痛ぇぇ!?」


 鞭が飛来。

 魔神の背中を容赦なく痛打し、調教を開始する。

 もはや勝手に動くことさえ許されない。


「もう一回聞くけど、誰が人間の言葉で喋って良いって言ったのよ豚」


「ブヒ! ――いや、待てなんだ今の声。勝手に出――痛ぇぇ!?」


 調教のために鞭が唸る。


「そうだわ。とりあえず、死人に鞭打ってもアレよね。他人の皮被って隠れてないでさぁ、素直に出て来なさいよ。ほらぁ、恥ずかしがらなくていいのよ。私はあんたがどんな不細工な魔神でも差別なんてせずに可愛がってあげるからさぁ!」


「誰が出るかブヒ! うわぁ泣きてぇブヒ。語尾直らねぇブ――痛ぇぇ!?」


 鞭が飛来。

 豚の如き鳴き声と共に、器から無理やりに叩き出された闇が、少年の死体の上に浮かび上がってくる。影法師のようなそれは、揺らめきながら不定形に揺れていた。恐怖で、無理やりな快感で、そして当たり前のような怒りで。


 鞭が唸る。

 闇は土下座体勢を強要され、また再びブーツでグリグリと踏んづけられる。


「まずはあんたに剣でブッ刺された罰ね。次は、魔物をけしかけてきた罰。それから、無駄に色々と迷惑をかけた罰、それから――」


 一々罪状を挙げてリリムがシバく。その度に、ヒリヒリと存在その物を削られながら、魔神が不気味に悶え狂わされる。マリスはそれに抗うことができない。何故なら、もはや彼女の総力がマリスを当たり前のように圧倒しているからである。


「あー、リリム。さっさと止めを刺すべきだと思うがどうだろう」


「まだ取り込み中よ! 後で可愛がってあげるから、シュレイダーはそこらへんで正座して待ってなさい」


「むぅ……しかし、外壁の上から様子を伺っている連中が引いているのだが……」


 見かねて空から降りてきたシュルトが律儀に正座しながら言うが、彼女は聞かない。闇が消えるまで鞭でシバキ、徹底して調教を施す。魔神のヘイト値とM度がその度に上がっていくが彼女の知ったことではない。泣いて懇願させてまでそれを続けた。


「も、もう勘弁してくださいブヒ――」


「しょうがないわねぇ」


 笑顔で頷くと、最後に一言尋ねる。


「じゃ、聞くけど私はあんたの何?」


「ご、ご主人様ですブヒ」


「そう。じゃ、はい――」


 少女は泥塗れのブーツを突き出す。 


「どっかの豚魔神のせいで汚れてるのよ。舐めて綺麗に出来たら許してやるわ」


「よ、喜んで。くそったれブヒ。声が勝手に出て体も動きやが――ブヒィィ!?」


「あんた馬鹿ぁ? アンタなんかに舐められたら汚過ぎて余計に汚れるでしょうが。そんなことも分からないなんて、あんた豚以下の存在よ。生きてて恥ずかしくないの?」


「ちょ、お前いい加減にしろよぶッ殺すぞこのチビジャ……ブヒィィ!?」


 鞭打ちは続いた。

 最後の最後まで忠誠心の忠の字も見せなかった魔神は、そうして鞭でシバキ倒されて、悔しげな様子でビクンビクンしならが逝った。最後は微妙に、悦んでいたように見えた。


 それを黙って正座で見届けたシュルトは、通夜のような鎮痛な面持ちのまま右手で目頭を押さえる。


「なんということだ。私の嫁が、魔神を鞭打って調教したあげくにシバキ倒したドSな救世主として、レグレンシアの歴史にその可愛らしい名を刻んでしまった……」


 どうせならもっと、伝説に残るような終らせ方にして欲しかった。


「ふぅっ。やっと終ったわ。悪い奴を改心させられなかったことだけが心残りだけど……ま、いっか。二度と召喚できない体にして、私に絶対服従するようにしてやったしね。うふふ。奇跡って最高! これでこの世界はもう私に跪いたも同然ね」


「そういう問題なのかどうかが、激しく疑問に残るがな」


 こんな救世主は見たことも聞いたことも無い。吸血鬼は光鞭で消し飛んだ魔神の、その可哀想な最後だけは哀れんだ。これでは復活しても、二度とリリムの前に姿など見せられないだろう。


「後は、最後の仕事を終らせるだけね」


「……最後? もう今ので終わりだろう」


「器の子よ。せめて、家族の所には帰してあげましょ」


 光鞭を剣に戻し、少女が奇跡を行使。祈るように手を前に組み。すると、彼女の剣は光に還り、少女の体へと吸い込まれて消える。その直ぐ後、発動した奇跡の光が遺体を包み込む。体の外傷が消え、ただの少年の遺骸へと復元される。


 ただ、少女は救世主ではあるけれど神ではない。


 もしかしたら、今ならばノーリスクで少年を生き返らせることさえも可能な域に到達しているのかもしれない。けれど、それだけは絶対にしてやれなかった。


 カンナヅキ・アキヒコは確かにこの世界の被害者なのかもしれない。

 でも、同時に彼は加害者だ。この世界の全てに敵対し、無関係な者の命を奪った。 それをこの世界の無実な者たちの意思が許さない。


(でも……)


 その一方で、外側で同情した者たちの意思はせめて故郷への帰還だけはと少女に無意識に訴えていた。


 彼でなければならない理由などなかった。もしかしたら他の誰かだっただろう。

 彼は生贄の羊ではないが、恨みながらも狂気の中で後に続くかもしれない誰かのために戦い、その未来を守ろうとした。その意思は、その願いだけは、彼らにも通じたのだろう。


 少年の二度と動かない体がゆっくりと、白い光を纏って天に上っていく。

 彼が望んだ、その青き惑星にあるはずの島国へ帰還するために。


 これで少年の無念が晴れるわけではないだろうが、それでもこの世界で土に帰るよりはマシだろう。彼が心底憎んだこの世界に眠るよりは。


「これで本当に終わりね」


「ああ、お疲れ様」


 空の彼方へと消えた少年を見送って、リリムがシュルトに振り返る。正座から立ち上がった彼は、少女の肩を抱きながら頷く。だが、ふと彼は気づいた。


「……む? 少年の剣も一緒に消えたぞ」


「ほんとね。あいつの持ち物だったからかな。まぁ、どうでもいいわ」


 人々の歓声と共に、レブレたちやシュルトの教え子たちが飛んでくるのが見える。


「ねぇ、それよりシュレイダー。私ちょっと疲れちゃったわ」


 少女が小悪魔っぽく笑って手を広げ、催促する。シュルトは頷き、花嫁様を両手で抱き上げる。すると、リリムが両手を伸ばしシュルトの頬に手をやった。


「とりあえず、オプション代貰うわよ」


「……むぅ? 何故か色々と釈然としないが一応は聞こうか。何が欲しいんだ」


「まずはそうね。安心って奴を頂戴――」


 そう言って、降りてくる者たちの前でキスをする。そのせいで帝都の空から黄色い悲鳴と本物の悲鳴がいくつか上がるが、彼女は完全に無視。大胆にも所有権を主張するかのように見せつけてやった。








――グリーズ帝国東部。


 もうすぐイーストリンドの港町が見えるという頃だった。一人は、プラチナプランドの少女であり、そしてもう一人は黒髪の子供だった。


 昼過ぎの街道をのんびりと歩いていた二人は、そこに突然一本の剣が落ちてきたことに気づいて歩を止めた。


「あら、この剣は……」


「あいつだよミライ」


「アキヒコ? あいつって誰」


 ミライと名づけられた二代目クイーンが、二代目キングに尋ねる。初代の死の間際までの記憶を受け継いで生まれた彼は、黒い闇が残るその剣に手を掛けながら答える。


「あのチンピラ口調の魔神。マリスだよ」


「私と貴女のキューピットさんね」


 納得顔で、ミライが笑う。

 ヴァンパイア・クイーンはマリスによって守られたアキヒコを番に選んだ。自分が犯せない相手。自分が勝てない相手。自分と、肉体的な番として機能しうる相手として。全ては魔神の加護ゆえのこと。けれど、何故かそこから二人の恋は始まった。


 そのために彼女は数日もしない内に進化し、苗床の体の機能と自身の力を掛け合わせてより高度な進化複製型ウィルスを生んだ。そして同時に、初代と交わり二代目アキヒコの生産と、兵たちたちのウィルスの置き換えも帝都に残った者以外は終了させていた。


 もう兵隊などいないけれど、既にこの世界へ適応し終えている。燃費の悪さだけは残ったが、もう太陽だって怖くない。魔力と気を併せ持つウィルス派生の新人類として彼らはこの世界に生まれ変わっていたのだ。


「律儀な奴だな。初代が死んだら狙われないように別の大陸に送ってやるって言ってたもんなあいつ。はは。魔神の癖に、アフターサービスとかマメな奴だよ」 


 地面に刺さった剣を抜く。瞬間、ミライと子供姿の黒髪の少年が何処とも知れぬ場所へと飛ばされた。


 見たこともない川が目の前を流れ、月が二つある空が見える。大きなその川の向こうには海があり、見渡せば山もあった。遠くには馬のような何かの群れが草を食んでいる。


「じゃあ、ここが彼と約束した地なの?」


「かもしれないね。マリス、ここはどこだよ」


『フヒヒ。聞こえるか二代目アキヒコ。その星とその支配剣はお前にやるよ』


「星ってマリス……まさか、本当に?」


『勿論だぜい。ドリームメイカーが夢の苗床にしようと思っていた候補の一つさ。人類種がいないからッてんで、先に地球に近い環境にしようって、動植物ばら撒いてた場所だ。魔物も一通りいるが、進化したお前と二代目クイーンならどうとでもできるだろ。その剣はこの星を監視している人工衛星のデータバンクに繋がっている。他にもなんか奴らの技術知識やら魔法やらの知識なんかの全てがある。後は、それつかって試行錯誤しながら二人で仲良くどうにかしろや。俺様からの結婚祝いって奴だな。フヒヒ――』


「そっか。ありがとな。それでお前はどうするんだよ。また俺とくるのか?」


『まさか。愛し合う二人の邪魔はしない程度には俺様紳士だぜ。それに決まってるだろ。あのアホを待たなきゃいけないから向こうでしばらく眺めとくさ。ああ、安心しろ。この星は召喚対象から除外したからもうお前らは呼ばれねぇ。俺様関係の奴以外に呼ばれたらまぁ、その時は頑張れ。俺に会えたらなんとかしてやれるが、それ以外は自力でこなせよぉ』


「精々頑張ってみるよ。この剣は……ああ、お前のアレと似たような感じで動くな」


『あそれとなぁ、一応初代の願い、できる限り叶えたぜ。邪魔が入っちまったけどよ、少なくとも脅威は刻んだはずだからこれでいいだろ。後は、奴の夢が叶うまで俺は待ち続けるだけだ。じゃあな。また遊ぼうぜアキヒコ。フヒヒ――』


 剣が小さな闇を纏う。消えない闇が、なんだか魔神のお節介のようでアキヒコはそっと刀身を撫でた。


 初代と二代目は別人ではあるけれど、記憶と人格は変わらない。だから、奇妙な友情にただ感謝した。


「行こうミライ。本当に、君と俺はこの世界の女王と王になったみたいだよ」


「そうなの?」


「ああ。ここなら前よりかは理不尽に怯える必要も、奪われもしないはずさ。多分、この世界はあそこよりは俺たちに優しいよ――」


 何処とも知れない星の上で、アキヒコの記憶を持つ二代目の少年は、少女と手を繋いで歩く。


 だが、途中で衛星軌道上にある人工衛星に対地レーザー砲やら戦艦やら、人型の機動兵器、そして夢のメイドロボなんかが完備されていることに気づいて噴出した。


「ちょっ、夢のためっていったってやりすぎだろドリームメイカー!」


 剣と魔法と魔物の世界ではなく、そこはどうやらSF重視な世界の苗床だった。


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