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ベルン戦記 〜辺境出身者の成り上がり物語〜  作者: 膝栗毛


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第八章 機密と証拠

引き継ぎお楽しみください

報告書の提出期限は、五日後だった。

ルシアンが砦の執務室を占領し、将校たちを一人ずつ呼んで事情聴取を始めた。穏やかな口調で、丁寧な言葉で、しかし確実に、ゲオルグ将軍の判断ミスという絵を描いていった。

アルスは、その様子を離れたところから観察した。

ルシアンの手法は精巧だった。将校たちに嘘をつかせるのではなく、事実だけを話させる。しかし質問の順序と角度を変えることで、事実の積み重なりが将軍の失策という結論を導くように設計されていた。

「あの男は、裁判官のような仕事をする」アルスはロイに言った。

「裁判官?」

「証拠を集めるのではなく、証拠を組み立てる。素材は全部本物だが、並べ方で全く違う絵になる」

ロイは難しい顔をした。「それを崩すには」

「並べ方が恣意的だと証明するか、別の絵を示すか」アルスは言った。「前者は難しい。後者を狙う」

「別の絵とは」

「今回の作戦が、将軍の判断ミスではなく、最初から罠だったと示す。罠を仕掛けた者を特定できれば、将軍は被害者になる」

ロイは少し考えた。「証拠はあるのか」

「これから集める」

「五日で」

「五日で」

ロイは大きなため息をついた。「無茶だな」

「いつもそうだ」

「それもそうだ」ロイは立ち上がった。「俺に何かできることはあるか」

アルスは少し考えた。「ルシアンの従者を見ていてほしい。砦に来てから、どこへ行き、誰と話したか。できるだけ細かく」

「尾行か」

「目立たないようにやれるか」

ロイは不服そうな顔をした。「俺は目立つ」

「それはわかっている」アルスは言った。「だから、お前が直接やる必要はない。口の堅い部下に頼め」

「グルンバッハで一緒に動いた連中なら信用できる」

「頼む」

ロイは頷いた。「お前は何をする」

「補給の記録を掘り返す」アルスは答えた。「不正の証拠は、必ず数字の中にある」


最初の一日は、記録との格闘だった。

砦の倉庫番に頼み込んで、過去半年分の補給記録を借り出した。膨大な数字の羅列が、何十枚もの紙に並んでいた。

アルスは、農業の手引書を思い出した。

最初に読んだ、あの退屈な本。エリアスが言っていた。「戦争で負ける原因の半分は、兵站の失敗だ」。しかしそれは逆も言える。兵站の数字には、戦場では見えない真実が隠れている。

数字を追い始めて二時間後、アルスは最初の異常を見つけた。

小麦の納入記録だった。

帝都から送られてきた公式記録では、三月に小麦五百袋が砦に届いたことになっていた。しかし砦の受領記録には、四百二十袋とある。八十袋の差があった。

一度なら誤差かもしれない。

アルスは別の月を調べた。

同じだった。毎月、公式記録より実際の受領数が少ない。差の割合は常に、ほぼ一定だった。

「意図的に抜いている」アルスは呟いた。「しかも、割合を固定して。目立たないように」

次に、輸送業者の記録を探した。

倉庫番は首を傾げた。「輸送業者の記録は、別口で管理されています。砦の書類じゃない」

「どこに」

「帝都の商務部、だと思いますが」

届かない場所にある。

アルスは別のアプローチを考えた。

輸送業者が補給品を横領しているとすれば、横領した物資はどこへ行くか。市場に流れるはずだ。

「この近隣の町で、軍用の規格に合った小麦や武器が、市場に流れたという話はないですか」アルスは倉庫番に聞いた。

男は少し考えた。「……ランゲ町の商人が、去年の秋から急に小麦の取引量が増えたという話は聞いたことがあります。軍の規格袋に入ったやつが、市場に出回ったとかで、一時期噂になった」

「その商人の名前は」

「確か、モルト商会、だったかと」

アルスは書き留めた。


二日目、エリアスが書類の束を持ってきた。

「お前が何を探しているか、見当はついていた」エリアスは言った。「こちらでも動いた」

束の中身は、過去三年分の補給契約書の写しだった。

「どこから」アルスは聞いた。

「将軍が赴任したときから、密かに複写を取っていた。万が一に備えて」

アルスは書類を広げた。

契約書には、輸送業者の名前が記載されていた。

グライム商会系列の業者が、補給契約の大半を占めていた。そして契約金額は、相場より明らかに高い。その差額がどこへ消えているか、書類の上では見えない。しかし数字の歪みが、確かにそこにあった。

「これで将軍を守れますか」アルスは聞いた。

「それだけでは弱い」エリアスは言った。「数字の歪みは状況証拠に過ぎない。ルシアンなら、別の説明を用意してくる」

「では何が必要ですか」

「グライム公爵とルシアンを直接結びつける証拠だ。命令書か、書状か、あるいは」エリアスは少し間を置いた。「証言者か」

「証言者」

「ルシアンの側にいて、内情を知っている人間がいれば、話は変わる」

アルスは、ロイに頼んでいた従者の話を思い出した。


三日目の朝、ロイが戻ってきた。

顔が少し険しかった。

「見つけた」ロイは言った。「ルシアンの従者の一人が、昨夜、砦の外に出た。一人でだ」

「どこへ」

「街道沿いの宿場町。小さな居酒屋に入った。中で誰かと会っていた」

「誰と」

「顔まではわからなかった。ただ」ロイは少し言いにくそうに続けた。「その男が出てきたとき、懐に何かを入れているのが見えた。書状か何かだ。入るときは持っていなかった」

アルスは考えた。

「その男は今日も砦にいるか」

「いる」

「今夜また出るかもしれない」

「見張るか」

「頼む。ただし、今度は声をかけてみてほしい」

ロイは眉を上げた。「声をかける?」

「その男が怖がっている可能性がある」アルスは言った。「ルシアンに使われている立場なら、自分も罪に問われることを恐れているはずだ。逃げ道を示せば、話す気になるかもしれない」

「何を話させる」

「ルシアンが何をしているか。命令の出処がどこか」アルスは言った。「ただし、無理強いはするな。怖がっている人間を追い詰めても、嘘をつかれるだけだ」

ロイは少しの間アルスを見た。「お前、いつからそんなに人の扱いが上手くなった」

「本に書いてあった」

「どんな本だ」

「商売の指南書だ。老司祭の蔵書の中にあった」

ロイは呆れたような顔をした。「商売の本まで読んでたのか」

「つまらない本にも、一つは学べることがある」

「神父様の言葉か」

「ああ」

ロイは立ち上がり、伸びをした。「わかった。今夜、話しかけてみる」


四日目の明け方、ロイがアルスを揺り起こした。

「来い」

眠い目を擦りながら着いて行くと、砦の裏手の物置に、一人の男が縮こまって座っていた。

三十代前半、細身で、顔が青白かった。ルシアンの従者の一人だった。

「話してくれるそうだ」ロイは言った。

アルスは男の前に膝をついて、目線を合わせた。

「怖い思いをさせて申し訳なかった」アルスは静かに言った。「無理に話さなくていい。ただ、あなたが知っていることで、助かる人間がいる」

男は、しばらくアルスを見ていた。

それから、ぽつりと話し始めた。


男の名はヨルク、もともとは帝都の小役人だったという。ルシアンに見出され、従者として雇われた。最初は単純な書類仕事だったが、徐々に「別の仕事」を任されるようになった。

「どんな仕事ですか」アルスは穏やかに聞いた。

「……書類を、書き換えることです」ヨルクは小さな声で言った。「補給の記録とか、輸送の記録とか。元の数字を消して、別の数字を入れる。それだけです。自分は、内容が何を意味するか、深くは考えないようにしていました」

「グルンバッハへの出兵命令書は」

ヨルクは、膝の上の手が震えた。「……あれも、自分が書きました。ルシアン様の指示通りに」

「帝都からの直命という形式で」

「はい。でも、帝都からの指示は、ありませんでした」ヨルクは顔を上げた。目が赤かった。「ルシアン様が、内容を口頭で言って、自分がその形式に整えました。皇帝陛下の印章も、模造したものです」

アルスは、静かに息を吸った。

「その証拠は、残っていますか」

「模造の版木が、ルシアン様の荷物の中にあります」ヨルクは言った。「自分には触れられませんが、場所は知っています」

アルスはロイを見た。

ロイは頷いた。

「あなたは勇気を出してくれました」アルスはヨルクに言った。「必ず、あなたが不当に罰せられないよう、将軍に話します」

「本当ですか」ヨルクは、子供のような目でアルスを見た。

「約束します」


その朝、アルスはエリアスと将軍を呼んだ。

ヨルクの証言を伝え、補給記録の数字の歪みを示し、グライム公爵と輸送業者の契約書の写しを並べた。

ゲオルグ将軍は、黙って全てを聞いた。

エリアスは書類を一枚一枚確認しながら、時折質問した。

全て話し終わると、しばらく沈黙があった。

「版木の確保は、できるか」エリアスが言った。

「ロイが動いています。今夜中に」

「ヨルクの証言は、書面にするか」

「本人が同意しています。ただし」アルスは言った。「先に、身の安全を保証する必要があります」

「わかった」エリアスは将軍を見た。「いかがですか」

ゲオルグは、しばらく天井を見ていた。

それから言った。「一つ聞く、アルス」

「はい」

「お前は今、俺を守るために動いている。しかし、これをグライム公爵に突きつければ、公爵は本気でお前を潰しにかかる。今まで以上に」将軍は静かに言った。「それでも、やるか」

アルスは少しも迷わなかった。

「やります」

「なぜだ」

アルスは答えを探した。感情的な言葉ではなく、自分が本当に思っていることを。

「将軍がいなければ、俺の出発点がなくなると言いました」アルスは言った。「それは本当です。でも、それだけじゃない」

「続けろ」

「今日まで死んだ兵士たちが、何人もいます。カルデンの十七人も、グルンバッハで戻らなかった騎馬の者たちも。彼らは嘘の命令書で動かされた。その死は、正しく清算されなければならない」アルスは言った。「グライム公爵やルシアンがやったことを、そのままにしておくことは、俺には、できません」

将軍は、長い間アルスを見ていた。

やがて、ゆっくりと頷いた。

「わかった」

将軍は立ち上がった。

「エリアス、帝都への直書を用意しろ。俺の名前で出す」

「グライム公爵を飛び越えて、皇帝陛下直々への上奏ですか」

「そうだ。時間がない。証拠を揃えて、今日中に使者を立てる」エリアスは頷いた。「それと」将軍は付け加えた。「ルシアンには、今日一日、何も気づいていない顔をしろ。証拠が揃うまで、普通に過ごせ」

「わかりました」


その日の昼間は、嘘をつき続ける時間だった。

ルシアンが事情聴取を続ける中、アルスは普通の顔で伝令の仕事をこなした。

一度だけ、廊下でルシアンとすれ違った。

ルシアンは、いつもの涼しい目でアルスを見た。

アルスは、何も知らない伝令兵の顔を作った。

二人の視線が、一瞬だけ交わった。

ルシアンは何も言わず、通り過ぎた。

しかし数歩行ったところで、振り返った。

「ベルン」ルシアンは言った。

「はい」

「お前は、本を読むそうだな」

「村の神父から、少し教わりました」

「どんな本を」ルシアンは微笑んだ。「戦術書か」

「農業の手引書です」アルスは答えた。「村の出ですので」

ルシアンは、一瞬だけ目を細めた。

「そうか」

それだけ言って、今度は振り返らずに去った。

アルスは、その背中を見送りながら、静かに息を吐いた。

信じたかどうか、わからなかった。

しかし今夜中に、証拠は揃う。


深夜、ロイが戻ってきた。

手に、小さな木箱を持っていた。

「あった」

箱の中には、精巧な版木が入っていた。皇帝の印章を模造したものだ。

アルスは版木を取り出し、ランプの光にかざした。

本物の印章との違いは、微細だった。ルシアンが用意した職人は、腕が良かった。それでも、本物を知っている者が見れば、わずかな差異がある。

「これで、揃った」アルスは言った。

エリアスが書いた将軍名義の上奏文に、証拠の写しが添えられた。補給記録の歪み、グライム公爵との契約書、模造版木、ヨルクの証言書。

使者は夜のうちに砦を出た。


翌朝、報告書の提出期限の日、ルシアンは執務室でゲオルグ将軍と向き合った。

報告書の完成を告げ、将軍の署名を求めた。

将軍は書類を受け取り、一読した。

それから、静かに机の上に置いた。

「サインはしない」

ルシアンの表情が、わずかに動いた。「閣下、これは帝都への提出が義務付けられた」

「承知している」将軍は言った。「しかし、この報告書には事実と異なる記述がある。俺はそれにサインするつもりはない」

「事実と異なる、とはどういう」

「グルンバッハへの出兵命令書は、帝都からのものではなかった」将軍は言った。「皇帝陛下の印章は、模造だった」

ルシアンは、しばらく黙っていた。

その沈黙の中で、アルスは扉の外に立って、全てを聞いていた。

ルシアンが次に何を言うか、考えながら。

「証拠が」ルシアンは静かに言った。「おありですか」

「ある」

またしばらく、沈黙があった。

「……なるほど」ルシアンは、やがて静かに言った。感情のない、落ち着いた声だった。「よく揃えましたね。五日で」

将軍は答えなかった。

「ただ」ルシアンは続けた。「これが帝都に届いたとして、公爵閣下が黙っているとは思わないでください。証拠を揃えたとして、帝都での力関係は、現場の証拠より強いことがある」

「知っている」将軍は言った。「それでもやる」

ルシアンは、少し間を置いた。

それから、予想外のことを言った。

「将軍、一つだけ聞かせてください」涼しい目が、初めてわずかに揺れた気がした。「あなたの伝令兵は、どこまで伸びると思いますか」

将軍は答えなかった。

ルシアンは、それ以上聞かなかった。

踵を返し、執務室を出た。


廊下で、ルシアンとアルスがすれ違った。

今度は立ち止まらなかった。

ただ通り過ぎる瞬間に、ルシアンは小さく、ほとんど聞こえないくらいの声で言った。

「面白い」

称賛なのか、宣戦布告なのか、アルスにはわからなかった。

おそらく、両方だった。


ルシアンが砦を去ったのは、その日の午後だった。

帝都への使者はまだ道中だった。結末は、まだ先にある。

グライム公爵が黙っていないことは、わかっていた。これは終わりではなく、始まりだった。

しかしその夜、砦の中は久しぶりに静かだった。

アルスは天幕の中で、三冊の本を前に置いた。

表紙の剥がれた戦術書を開いた。

最後のページの、老司祭の言葉。

この本を読んでいる者へ。正しいことのために、使ってほしい。

アルスは、その言葉を指でなぞった。

今日一日、正しいことのために動けたかどうか、自分ではよくわからなかった。間違いもあったかもしれない。もっとうまくやれたかもしれない。

しかし、死んだ兵士たちの死が、少しだけ正しい方向に向かったとは思いたかった。

「神父様」アルスは呟いた。声には出さず、心の中で。「俺は、あなたが望んだ通りにやれているでしょうか」

答えは、もちろんなかった。

ただ、本のページが夜風に、かすかに揺れた。


翌朝、エリアスが来た。

「帝都から返書が来た」

アルスは顔を上げた。「もう?」

「早い。それだけ、向こうも動いているということだ」エリアスは書状を開いた。「皇帝陛下直々の返答ではない。ただし、グライム公爵以外の宮廷貴族から、調査を行うという連絡が来た」

「将軍は」

「当面の職務を継続できる。身分は保全された」

アルスは、静かに息を吐いた。

「ただし」エリアスは続けた。「調査の結果次第では、状況が変わる。公爵はまだ動いている」

「わかっています」

「それともう一つ」エリアスは書状を畳んだ。「調査の対象に、お前の名前も含まれている」

アルスは、少しだけ沈黙した。

「そうですか」

「怖くないか」

アルスは、少し考えた。

「怖いです」正直に答えた。「でも、やったことに間違いはないと思っています」

エリアスは、アルスを見た。

「ガレン・ロースも、同じことを言ったらしい」静かな声だった。「二十五年前に」

アルスは、エリアスの顔を見た。

この人が、老司祭を知っていた本当の理由を、まだ聞いていなかった。

しかし今は、聞かなかった。

エリアスが話せるときに、話してくれる。そう信じることにした。


その日の昼、アルスはロイに全てを伝えた。

ロイは黙って聞いた後、大きく伸びをした。

「つまり、まだ終わってないってことだな」

「ああ」

「公爵は次の手を打ってくる」

「おそらく」

「お前の名前も調査される」

「そうだ」

ロイは、しばらく空を見ていた。

それから、いつもの顔で言った。

「飯食うか」

アルスは一瞬だけ間抜けな顔をして、それから笑った。

「食うか」

「腹が減っては戦はできないと、どこかの本に書いてあっただろ」

「書いてない」

「書いてそうだろ」

「書いてない」

二人は並んで歩き出した。

戦いは続いている。

公爵はまだ動いている。老司祭の秘密は、まだ全部は明かされていない。

しかしアルスは今、少しだけ確かなものを持っていた。

三冊の本と、隣を歩く幼馴染と、信じられる先輩と、守るべき将軍。

それで十分だと、思った。

次回もお楽しみに

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