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ベルン戦記 〜辺境出身者の成り上がり物語〜  作者: 膝栗毛


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第九章 帝都の影と、将軍の過去

引き継ぎお楽しみください

調査の使者が砦に到着したのは、返書から十日後だった。

二人組だった。一人は帝都の文官、もう一人は近衛騎士団の制服を着た若い男。どちらも、グライム公爵の派閥ではないことは、着ている紋章でわかった。しかしそれが安心材料になるかどうかは、まだわからなかった。

宮廷の人間は、どの派閥であれ、複数の顔を持つ。

エリアスはアルスにそう言った。

文官の名はフォルカー、四十代の痩せた男だった。近衛騎士は名をカルロスといった。二十代後半、真面目そうな顔をしていた。

調査は三日間の予定だった。


一日目は、将軍とエリアスへの聴取だった。

アルスは呼ばれなかった。

その時間を使い、アルスは補給記録の整理を続けた。調査に提出する証拠を、より明確な形に整えるために。数字を並べ、注釈を書き、どこが不正でどこが正常かを一目でわかるように図にした。

老司祭に文字を教わったとき、図を描いて説明しなさいとよく言われた。言葉だけでは伝わらないことが、絵には宿ることがあると。

夕方、エリアスが戻ってきた。顔が少し疲れていた。

「どうでしたか」アルスは聞いた。

「フォルカーは公平だと思う」エリアスは椅子に座った。「ただし、カルロスの方は読めない」

「近衛騎士団の」

「あの男の目が気になった。フォルカーの話を聞きながら、別のことを考えていた」エリアスは言った。「俺の勘が正しければ、彼はフォルカーの調査とは別の目的でここに来ている」

「誰の使いですか」

「まだわからない」エリアスは少し間を置いた。「ただ、一つ気になることがある。カルロスが砦に入ったとき、真っ先に見た方向がある」

「どこですか」

「お前の天幕の方向だ」

アルスは、少し黙った。

「俺に何か用がある、ということですか」

「可能性がある。何かを確認しに来た、という感じだった」エリアスは立ち上がった。「気をつけろ。ただし、怖がる必要はない。今のところ、害意は感じなかった」


二日目の朝、カルロスがアルスのところに来た。

朝の点呼が終わった直後だった。真面目な顔のまま、まっすぐアルスの前に立った。

「少し話せるか」

「はい」

二人は砦の外の、石垣の側に移動した。風が強い日で、周囲の声が聞き取りにくかった。

カルロスは、しばらく黙っていた。何かを測るような沈黙だった。

それから言った。

「ガレン・ロースを知っているか」

アルスは、表情を動かさなかった。

「村の神父様です。子供のころ、文字を教わりました」

「それだけか」

「他に何があるんですか」アルスは逆に聞いた。

カルロスはアルスをじっと見た。少しの間そのままでいて、それから小さく息を吐いた。

「俺の父親が、ガレン・ロースと知り合いだった」カルロスは言った。「二十五年前の話だ」

アルスは、黙って聞いた。

「父親は帝国軍の下士官だった。ガレン・ロースが参謀部にいたころ、一時期同じ部署にいたことがある。ガレンが失脚したとき、父親も巻き込まれた。地位を失い、帝都を離れることになった」

「それで」

「父親は去年、死んだ」カルロスは淡々と言った。「死ぬ前に、一つだけ頼みがあると言った。ガレン・ロースが最後に行き着いた場所を探して、本人が生きていれば礼を言ってくれ、と」

「礼を」

「父親が帝都を離れるとき、ガレンが密かに金を渡したらしい。自分は何も持っていない状況だったのに。その礼を、ずっと言いたかったと、父親は言った」

アルスは、しばらく空を見た。

「ガレン・ロースは、もう死んでいます」アルスは言った。「五年前に、ベルン村で亡くなりました」

カルロスの顔が、わずかに動いた。

「そうか」短く言った。「……父親の願いは、果たせなかったな」

「ただ」アルスは続けた。「あの人は、最後まで正しいことのために生きていたと思います。俺が知っている限り」

カルロスはアルスを見た。

「お前は、ガレン・ロースから何を受け取った」

「本を三冊と、死んだ人間の言葉を聞く方法を」

カルロスは、その答えを聞いてしばらく黙っていた。

それから、わずかに表情が柔らかくなった。

「今回の調査でお前の名前が挙がっていると聞いて、俺は確認しに来た」カルロスは言った。「グライム公爵の派閥が、お前を処罰の対象にしようとしている。ヨルクの証言を無効にして、お前に書類改竄の罪を着せるつもりだ」

「それは」

「フォルカーは公平にやろうとしている。しかし帝都の力関係を考えると、フォルカー一人では押し切れない可能性がある」カルロスは言った。「俺は近衛騎士団の人間だ。皇帝陛下の直属だ。フォルカーの調査書に俺の署名が加われば、グライム公爵でも簡単には覆せない」

アルスは、カルロスの意図を測った。

この男は、助けようとしている。父親への義理から来るものなのか、それとも別に何かあるのか。

「なぜ、そこまで」アルスは聞いた。

「父親の話もある」カルロスは言った。「だがそれだけじゃない」彼は少し間を置いた。「ガレン・ロースがどんな人間だったか、父親から散々聞いた。正しいことのために動いて、力ある者に潰された人間だ。二十五年前、帝国はその人間を失った。今また、同じことが繰り返されようとしている」

アルスは、何も言わなかった。

「俺はそれを、見ていたくない」カルロスは静かに言った。「それだけだ」


調査の三日目、全員が執務室に集まった。

フォルカー、カルロス、ゲオルグ将軍、エリアス、そしてアルス。

フォルカーが調査の結果を読み上げた。

補給の不正は、輸送業者によるものと認定された。砦側の管理に一部不備があったが、故意の横領ではない。グルンバッハへの命令書は、模造印章によるものと確認された。ヨルクの証言は、信憑性ありとされた。

読み上げが終わると、フォルカーはカルロスを見た。

「署名をいただけますか」

カルロスは、迷わず署名した。

フォルカーも署名した。

将軍への処分はなし。アルスへの嫌疑も、晴れた。


使者たちが砦を出た後、ゲオルグ将軍はアルスとエリアスを呼んだ。

三人だけになると、将軍は珍しく、椅子に深く座った。疲れたわけではなく、何か重いものを下ろしたような座り方だった。

「一つ、話しておくことがある」将軍は言った。

エリアスは黙っていた。何が来るかわかっているような顔だった。

「ガレン・ロースのことだ」将軍は言った。

アルスは、静かに将軍を見た。

「俺とガレン・ロースは、一度だけ会ったことがある」将軍は言った。「二十五年前、俺がまだ若い将校だったころだ」

「どんな状況で」アルスは聞いた。

「ガレンが失脚する、直前だった」将軍はゆっくり言葉を選んだ。「当時、俺は辺境の小さな戦場にいた。ガレンは参謀部の人間として、視察に来ていた。一晩だけ、同じ野営地で過ごした」

「その夜に」

「ガレンは俺に言った」将軍は続けた。「『あなたは正しい将軍になれる。ただし、帝都の権力から遠ければ遠いほど、その才能は生きる』と」

アルスは、その言葉の重さを感じた。

「それから数週間後に、ガレンが失脚したと聞いた」将軍は言った。「理由はわかっていた。同じ構造のことが、俺にも起きた。帝都の要職から、辺境守備隊に回された。それが二十年前だ」

「将軍が辺境にいる理由は」アルスは言った。「グライム公爵に遠ざけられた、ということですか」

「そうだ」将軍は頷いた。「ただし、今ならわかる。ガレンの言葉通りだった。辺境にいたから、俺は腐らずに済んだ」

エリアスが静かに口を開いた。「私がゲオルグ将軍の副官になった理由も、話すべきかもしれません」

アルスは、エリアスを見た。

「ガレン・ロースは、私の師です」エリアスは言った。「失脚する前、私が幼いころ、父親と親しかった。父親を通じて、子供の私に手紙を送ってくれた。本の読み方、考え方の作り方。文通のようなものです」

「エリアス先輩の師が」

「直接会ったのは、二度だけです。それでも、師だと思っています」エリアスは少し目を伏せた。「ガレンが失脚した後、行方がわからなくなった。ずっと探していました。ゲオルグ将軍のもとに来たのも、将軍がガレンと接点があったと知ったからです」

「俺はそれを知っていた」将軍は言った。「だからエリアスを副官にした」

アルスは、二人の顔を交互に見た。

二十五年越しの繋がりが、この砦の中にあった。

老司祭は、辺境の村で静かに老いながら、自分の影響が遥か先まで届いていることを知っていたのだろうか。

「最後に一つ聞かせてください」アルスは言った。「ガレン・ロースは、なぜベルン村に来たのか。帝国の最果てでなければならなかった理由が、あるはずです」

将軍とエリアスは、目を合わせた。

しばらく沈黙があった。

エリアスが答えた。

「それについては、一つの手がかりがある」エリアスは言った。「ガレンが失脚させられた理由は、貴族たちの利権に反する戦略を立案したから、というのが表向きの理由です」

「表向きでない理由は」

「ガレンは、ある機密文書を発見していた」エリアスは言った。「皇帝の側近が、レギオン聖王国と密かに通じていたという証拠です」

アルスは、息を呑んだ。

「敵国と」

「二十五年前から、帝国の内部に、聖王国と繋がった者たちがいた」エリアスは続けた。「ガレンはその証拠を掴んだ。しかし持ち出す前に、罠にはまった。証拠は没収され、ガレン自身は失脚した」

「証拠は、消えた」

「消えたと、思われていた」エリアスは言った。「しかし、ガレンは一部を手元に残していたかもしれない。それを持って、誰も探せない場所に隠れた。帝国の最果て、誰も見向きもしない辺境の村に」

アルスは、布袋の中の三冊を思った。

表紙の剥がれた戦術書。帝国参謀部・機密戦術集覧第三巻。

老司祭が最も大切にしていた一冊。

「その証拠が」アルスは言った。「あの本の中に、ある可能性があるということですか」

エリアスは答えなかった。

しかしその沈黙が、答えだった。

アルスは、しばらく動けなかった。

老司祭が文字を教えてくれた理由。本の読み方を教えてくれた理由。三冊の本を選んで渡した理由。

全てが、一本の線で繋がろうとしていた。

「確かめなければなりません」アルスは言った。

「ああ」将軍は頷いた。「ただし、慎重にやれ。その本の内容が本物だとすれば、今この戦争の意味が変わる。帝国内部の裏切り者が、聖王国の侵攻を助けているとすれば」

アルスは、将軍の言葉の先を引き取った。

「今の戦争は、外側からだけ戦っても、勝てないということになります」

「そういうことだ」

三人は、しばらく黙っていた。

窓の外で風が鳴っていた。戦場の遠い音が、低く響いていた。


その夜、アルスは天幕に一人で座り、三冊目の本を最初から最後まで、もう一度読み直した。

何度も読んだはずのページが、今夜は違う意味を持って見えた。

戦術の記述の合間に、小さな書き込みが散らばっていた。老司祭の字で、断片的な言葉が記されていた。

単体では意味をなさない言葉たちが、今夜初めて、繋がって見えた。

人名の断片。日付。場所の名前。

アルスは余白に書き写し始めた。

一時間後、一つの名前が浮かび上がった。

帝国の中枢に近い、ある人物の名前が。

アルスはその名前をしばらく見つめた。

知っている名前だった。

今この瞬間、帝都で権勢を誇っている人物の名前だった。

グライム公爵ではなかった。

もっと、深いところにいる人間の名前だった。


翌朝、アルスはエリアスのところへ行った。

書き写した名前を見せた。

エリアスは、それを見て長い時間動かなかった。

やがて、低い声で言った。

「ガレンは、これを二十五年間、ベルン村で持ち続けていたのか」

「はい」

「そして、お前に渡した」

「俺が気づくかどうか、わからないまま、渡したんだと思います」アルスは言った。「俺が読み解けなければ、それまでだった」

「読み解いた」

「読み解きました」

エリアスはしばらく黙っていた。

それから顔を上げた。その目に、アルスが見たことのない種類の光があった。

「将軍に話す」

「はい」

「これは、戦場だけの話ではなくなった」エリアスは言った。「帝都を動かさなければならない。しかしそのためには、お前がもっと上に行く必要がある。一兵卒の証言では、誰も動かない」

「わかっています」

「怖くないか」

アルスは少し考えた。

「正直に言えば、怖いです」アルスは言った。「ただ、考えることは怖くない。前に進むことも、怖くない」

エリアスは、アルスをしばらく見ていた。

「お前は」エリアスは静かに言った。「ガレンが育てたかった人間に、なっている」

アルスは、その言葉をどう受け取るべきかわからなかった。

ただ、老司祭の顔を思い浮かべた。

礼拝堂の椅子に座った老人が、七歳のアルスに言った言葉。

死んだ人間の言葉も、遠くにいる人間の言葉も、ここに入っている。

本の中に、死んだ人間の言葉がある。

老司祭が二十五年間、本の余白に書き残した言葉が、今ここで動き始めようとしていた。

アルスは布袋を持ち直した。

三冊の本が、手の中で重かった。

次回もお楽しみに

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