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ベルン戦記 〜辺境出身者の成り上がり物語〜  作者: 膝栗毛


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第三章 将軍の眼に映ったもの

引き継ぎお楽しみください

ゲオルグ・ヴァルハイト将軍は、怒鳴り声が大きいことで有名だった。

辺境守備隊の司令部が置かれた砦の中で、彼の声が響かない日はないと言われていた。補給が遅れれば兵站担当を怒鳴り、斥候の報告が曖昧であれば斥候を怒鳴り、天気が悪ければ天気を怒鳴った。副官のエリアスは「将軍は怒鳴ることで呼吸をしている」と言い、古参の兵たちは「あの声が聞こえなくなったら、将軍が死んだときだ」と笑った。

しかしその怒鳴り声の裏に、部下たちは知っていた。

この男は、本物だ、と。

身分を問わない。出自を問わない。能力のある者を、能力のある場所に置く。それだけを四十五年間、愚直に続けてきた男だった。辺境守備隊などという、帝都の貴族たちが見向きもしない僻地に追いやられていたのも、そういう性分が災いしたせいだった。平民出身の兵を正規将校と同じ席に座らせたことが、宮廷の誰かの癇に障ったらしい。

ゲオルグ本人は、気にしていなかった。

「俺は戦に勝ちたい。戦に勝つには、強い兵が要る。強い兵を作るには、正しい者が指揮を執らなければならない。それだけのことだ」

それが、ゲオルグ・ヴァルハイトという男の全てだった。


カルデン村奪還の報告書が届いたのは、作戦から十日後のことだった。

ゲオルグは執務室で書類の山と格闘していた。補給の申請、増援の要請、各部隊の損耗報告。戦場よりも書類のほうが多いと常々思っていたが、それを口にするとエリアスに「将軍が書類を減らしたいなら、まず怒鳴るのをやめてください。怒鳴るたびに弁明書が増えます」と返されるので、黙っていた。

「カルデンの報告書です」エリアスが一枚の紙を差し出した。

「損耗は」

「十七名の死傷。奪還は成功しています」

「十七か」ゲオルグは顔をしかめた。数字の一つ一つが人間だという感覚を、彼は将軍になっても失っていなかった。「相手の兵力は百五十だったな。奪還できたのはわかった。問題は、なぜ十七で済んだかだ」

「そこです」エリアスが珍しく、少し興味深そうな顔をした。「通常、この規模の正面攻撃であれば、三十から四十の損耗が出るはずです。報告書を読んで、少し引っかかりました」

「何が」

「伝令兵の名前が、三箇所に出てきます」

ゲオルグは報告書に目を落とした。

確かに、戦況報告の中に、同じ名前が繰り返し登場していた。

伝令兵アルス・ベルンの進言により、南の湿地への備えを固めた。

伝令兵アルス・ベルンの報告に基づき、西の林道から弓兵の側面を突いた。

伝令兵アルス・ベルンが戦況を把握し、各部隊へ的確な情報を伝達した。

ゲオルグは眉を上げた。

「伝令兵が戦術を動かしたのか」

「そう読めます。隊長のハンス軍曹は、『進言を受け入れた』と書いています。軍曹らしくない、殊勝な表現です」

「ハンスが他人の進言を受け入れたと?」ゲオルグは少し驚いた。あの頑固者が、と思った。「よほど切羽詰まっていたか、よほど説得力があったか、どちらかだな」

「会ってみますか」エリアスが静かに言った。

ゲオルグはしばらく報告書を眺めた。

それから、ぼそりと言った。

「連れてこい」


アルスが司令部の砦に呼ばれたのは、翌朝のことだった。

理由は知らされていなかった。ロイは「お前、何かまずいことしたか」と心配したが、アルスには心当たりが多すぎて絞り込めなかった。伝令の分際で指示を出したこと、隊長の命令より先に動いたこと、あるいはその両方か。

「最悪、懲罰だな」とロイは言った。

「懲罰なら、わざわざ司令部に呼ぶ必要はない」アルスは答えた。「現地で済む話だ」

「じゃあ何だ」

「わからない」

それが正直なところだった。

砦の中は、想像より遥かに忙しそうだった。伝令が走り回り、将校たちが地図を囲んで議論し、どこかで誰かが怒鳴り声を上げていた。アルスは案内の兵についていきながら、目に入るものを全部、頭に入れた。地図の配置。将校たちの顔の向き。怒鳴り声の主の位置。

執務室の前で待たされること、しばし。

扉が開いた。


部屋の中には、二人の男がいた。

一人は、初めて見る顔だった。四十代後半、大柄で、顎に白いものが混じった無精髭。目が鋭い。この男がゲオルグ・ヴァルハイト将軍だと、アルスはすぐにわかった。雰囲気が、纏っている空気が、明らかに違った。戦記の中に出てくる「将」という字が、そのまま人間になったような男だった。

もう一人は、三十代前半。整った顔立ちで、書類を手に持っている。目が細く、観察するような視線を向けていた。こちらがエリアス・ハインだろう、とアルスは思った。

「アルス・ベルンです」アルスは言った。「お呼びと聞きました」

「座れ」ゲオルグが言った。

椅子を勧められるとは思っていなかった。アルスは一瞬だけ戸惑い、それから腰を下ろした。

ゲオルグはしばらく、無言でアルスを見た。

値踏みするような視線ではなかった。何かを確かめるような、静かな眼差しだった。

「カルデンでの話を聞きたい」将軍は言った。「包み隠さず、お前が何を考えて、何をしたか話せ」

アルスは息を整えた。

そして話した。

地形を確認したこと。戦記から湿地での挟撃という戦術を思い出したこと。弓兵の死角を計算したこと。ロイに頼んで南の守りを固めさせたこと。

話しながら、アルスは自分の言葉が相手にどう届いているかを確かめていた。ゲオルグ将軍の表情は動かなかった。エリアスは途中から、手に持った書類を机に置いた。

話し終えると、沈黙があった。

「本から学んだのか」ゲオルグが言った。

「はい」

「何の本だ」

「ハルデン戦役記と、諸国戦術論です。村の老司祭から譲り受けました」

エリアスが口を開いた。「ハルデン戦役記は知っている。七十年前の戦役の記録だ。それを今の戦場に応用したということか」

「応用できるかどうか、実際には不安でした」アルスは正直に答えた。「地形の条件が似ていただけで、敵の判断は違うかもしれなかった。ただ、何もしないよりは試す価値があると思いました」

「外れていたら」

「南の備えが一つ増えるだけです。損失はない」

エリアスは少しの間、アルスを見つめた。それから、ゲオルグの方に視線を向けた。二人の間に、言葉のない何かが通った。

ゲオルグが、ため息とも苦笑ともとれる息を吐いた。

「お前、今まで戦場に出たことはあったか」

「カルデンが初めてです」

「怖かったか」

「怖かったです」

「だろうな」将軍は頷いた。それから、太い腕を組んだ。「一つ聞く。お前が戦いで最も重要だと思うことは何だ」

アルスは、少し考えた。

本に書かれていたこと、老司祭が言っていたこと、カルデンで実際に感じたこと。それらが一瞬で頭の中を流れた。

「情報です」アルスは言った。「地形、敵の配置、自軍の状態。正確な情報があれば、兵力差は覆せる。逆に、情報がなければ、どれだけ兵が多くても判断を間違える」

ゲオルグは、黙っていた。

長い沈黙だった。

アルスには、その沈黙が何を意味するのかわからなかった。怒っているのか、呆れているのか、それとも別の何かなのか。

やがて将軍は、ぽつりと言った。

「俺が三十年かけて辿り着いた答えと、同じだ」

アルスは、何も言えなかった。

「エリアス」ゲオルグは副官を見た。

「はい」

「こいつを斥候情報の整理に回せ。伝令は続けさせていい。ただし、俺への直接報告ルートを一本作っておけ」

エリアスは一瞬だけ眉を上げた。将軍が平兵卒への直接報告ルートを作ることは、異例だった。しかし反論はしなかった。

「わかりました」

ゲオルグはアルスを見た。

「お前に命令する。戦場で気づいたことを、全部俺に報告しろ。くだらないと思うことでも、小さなことでも、全部だ。いいか」

「はい」

「それから」将軍は少し声のトーンを落げた。「その本、大切にしろ。死んだ奴らの知恵は、生きている俺たちより、ずっと賢いことがある」

アルスは、思わず息を呑んだ。

老司祭が書き残した言葉と、あまりにも似ていたから。


執務室を出ると、廊下でエリアスが並んで歩いてきた。

「少しいいか」副官は言った。

「はい」

「お前の話を聞いて、一つだけ気になったことがある」エリアスは歩きながら、視線を前に向けたまま言った。「カルデンでの作戦は正しかった。だが、お前は兵站を考えなかった」

アルスは少し考えた。「兵站、ですか」

「そうだ。戦術は戦場で勝つための手段に過ぎない。しかし戦争は、戦場の外で決まることが多い。食糧、武器、馬、人員の補充。それが続かなければ、どれだけ戦場で勝っても戦争には勝てない」

「……読んだことはあります。ハルデン戦役記にも、補給線の重要性が書かれていました」

「読んだことと、実際に計算できることは別だ」エリアスは立ち止まり、アルスを見た。「将軍があの部屋でお前に聞いたのは、素質があるかどうかだ。答えは合格だった。だが素質と能力は別物だ。わかるか」

「わかります」

「これから俺がお前に、軍の動かし方を叩き込む」エリアスは淡々と言った。「戦術だけじゃない。兵站、組織、情報収集、全部だ。嫌か」

アルスは、少しの間エリアスを見た。

この男は、自分を試そうとしている。あるいは、本気で育てようとしている。どちらかはまだわからない。ただ、この男から学べることは、本に書かれていないことだとわかった。

「喜んで」アルスは答えた。

エリアスは、ほんの少し、口の端を上げた。

笑ったのかどうか、よくわからない程度の変化だったが、アルスはそれを笑顔と解釈することにした。


その夜、アルスは天幕の中で三冊の本を開いた。

ハルデン戦役記。地理誌。題名のない戦術論。

何度も読んだページが、灯火の光の中で揺れた。

今日、将軍に言われた言葉が頭から離れなかった。

俺が三十年かけて辿り着いた答えと、同じだ。

それは褒め言葉ではないかもしれない、とアルスは思った。三十年かけて将軍が辿り着いた場所に、本を読んだだけの十八歳がいる。それは、将軍を貶めることになるかもしれない。

しかし逆に言えば、自分はまだ出発点にいる。

将軍はその後の三十年で、どこまで行ったのか。エリアスはその場所を、どう言語化しているのか。

本に書かれていない答えが、この砦の中にある。

アルスは本を閉じた。

そして初めて、本よりも明日が楽しみだと思った。

次回もお楽しみに

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