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ベルン戦記 〜辺境出身者の成り上がり物語〜  作者: 膝栗毛


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第二章 初めての戦場、初めての死

引き継ぎお楽しみください

帝国の徴兵というものは、思っていたより遥かに雑然としていた。

アルスが想像していたのは、戦記の中に出てくるような光景だった。整然と並んだ兵士たち、凛々しい将校の訓示、磨かれた甲冑が朝日に輝く行軍。

現実は違った。

集合場所に指定された街道沿いの町に着くと、そこには農夫あがりの男たちが、ぼんやりと突っ立っていた。年齢もばらばら、装備もばらばら。錆びた槍を持つ者、農具を改造したような斧を持つ者、何も持っていない者。徴兵官らしき男が馬上から怒鳴り声を上げていたが、誰も真剣に聞いていなかった。

「これが帝国軍か」ロイが率直な感想を述べた。

「辺境守備隊だ」アルスは訂正した。「正規軍は帝都と要塞都市にいる。俺たちみたいな辺境の徴募兵は、別枠だ」

「つまり使い捨てか」

アルスは答えなかった。

答えなかったことが、答えだった。


訓練は三週間だった。

短すぎる、とアルスは思った。戦記の中では、兵を鍛えるために最低でも三ヶ月は必要だと繰り返し書かれていた。槍の扱い、隊列の組み方、退却の手順。どれ一つとっても、身体に染み込ませるには時間がいる。

しかし帝国には時間がなかった。

レギオン聖王国の軍が、既に国境を越えていた。

訓練の最終日、教練を担当していた下士官が言った。「お前たちの仕事は単純だ。前の奴が倒れたら、その穴を塞げ。逃げたら後ろから斬る。それだけ覚えていれば十分だ」

それが、アルスへの最初の軍事教育だった。


最初の戦いは、小さな村の奪還作戦だった。

国境から三十里ほど内陸に入った場所にある、カルデン村。聖王国の先遣隊がそこを占拠し、街道の通行を妨害しているという。辺境守備隊の任務は、その先遣隊を叩いて村を取り戻すことだった。

兵力はこちらが三百、相手は百五十ほどと見られていた。

「数では勝っている」隊長の男が地図を広げもせずに言った。「正面から押せば勝てる」

アルスは、その言葉を聞いた瞬間、胃の底が冷えるような感覚を覚えた。

地図を見ていない。地形を確認していない。相手の配置を調べていない。数が多ければ勝てる、という発想は、戦記の中で何度も「敗将の論理」として出てきた言葉だった。

隣に立つロイが、小声で囁いた。

「なんか顔色悪いぞ」

「……悪くもなる」

「どうした」

アルスは唇を引き結んだ。自分はただの一兵卒だ。隊長に意見できる立場ではない。戦記を読んでいても、実戦の経験はゼロだ。自分の判断が正しいとも限らない。

それでも。

「カルデン村の地形を知っているか」アルスは隣の古参兵に声をかけた。三十がらみの、寡黙な男だった。

男は少し驚いた顔をしてから答えた。「昔、一度通ったことがある。村の北側に小高い丘がある。南は湿地だ」

アルスの頭の中で、地理誌の記述と重なった。カルデン周辺は湿地帯が多い。街道は村の中心を通っている。つまり――。

「正面から押したら、丘から矢を射かけられる」アルスは小さく言った。「湿地に追い込まれたら、数の優位が消える」

古参兵は、じっとアルスを見た。

「お前、どこの出だ」

「ベルン村です」

「辺境か」男は少しの間沈黙した。「……その話、俺には言えることじゃないが、伝令の仕事なら口実になるかもしれんな」


アルスが伝令を買って出たのは、そういう経緯だった。

伝令は戦場を駆け回り、各部隊に指示を届ける役目だ。矢面に立たなくていい代わりに、戦場全体を見渡せる。アルスにとっては、この上なく好都合な位置だった。

戦いは、予想通りの展開で始まった。

帝国軍三百が正面から村に向かって前進した瞬間、北の丘から矢の雨が降り注いだ。先頭の十数人が崩れ、隊列が乱れた。乱れた隙を突いて、村の中から聖王国の歩兵が飛び出してきた。

「やっぱりか」アルスは走りながら呟いた。

頭の中は、奇妙なほど冷静だった。恐怖がないわけではない。矢が頭上をかすめるたびに心臓が跳ね上がる。遠くで誰かが倒れる音がするたびに、足がすくみそうになる。それでも思考は止まらなかった。

地形。兵の位置。敵の動き。

丘の弓兵は十五から二十。村の歩兵は五十前後。残りの八十は――どこだ。

アルスは走りながら、村の南側に目をやった。

湿地の葦が、風もないのに揺れていた。

いる。

「ロイ!」アルスは叫んだ。

人混みの中から、大柄な身体が顔を出した。「なんだ!」

「南の湿地から挟まれる!今すぐ第三列を南に向けさせろ!」

「俺にそんな権限は――」

「頼む!」

ロイは一瞬だけ迷った。それから、何かを吹っ切ったような顔になった。

「おい、お前ら!南を向け!俺についてこい!」

怒鳴り声に、周囲の十数人が反射的に動いた。ロイの声には、そういう力があった。


湿地から現れた聖王国の兵が村の南から回り込もうとした瞬間、ロイの率いた一団が正面に立ちはだかった。

数は不利だった。しかし湿地の縁は幅が狭く、大軍が展開できない。ロイ一人が槍を振るって道を塞いでいる間、残りの兵が側面から押した。

南からの挟撃は、防がれた。

一方、アルスは伝令として駆け回りながら、隊長のもとへ向かった。

「北の丘の弓兵は二十人以下です。村の西の林道を使えば死角から近づける。槍兵を二十、そちらに回してください」

隊長は怒鳴り返した。「お前は伝令だろうが!」

「はい。ですが今すぐ動かなければ、弓兵に前線を崩されます」

男は歯を食いしばり、それから吐き捨てるように命令を出した。

西の林道から回り込んだ槍兵が丘を登った。弓兵は接近戦に対応できず、散り散りになった。丘を制圧した瞬間、戦況が変わった。

三十分後、カルデン村は奪還された。


戦いが終わった後、アルスは村の外れに一人で座っていた。

手が震えていた。

戦いの最中は気づかなかったが、今になって身体が怖さを思い出したらしかった。膝を抱えて地面を見ていると、隣にどかりと大きな音がして、ロイが腰を下ろした。

「生きてるか」

「……生きてる」

「俺も生きてる」

しばらく、二人は黙っていた。

村の中から、誰かが泣く声が聞こえた。味方の兵が、何人か死んでいた。アルスは全員の顔を知っているわけではなかったが、朝に並んで立っていた顔は覚えていた。

「初めて、人が死ぬのを見た」ロイが静かに言った。

「ああ」

「……慣れるのかな」

アルスは答えなかった。

慣れてはいけないと思った。慣れた瞬間に、何か大切なものが終わる気がした。ただそれを言葉にする方法が、まだわからなかった。

代わりに、アルスは布袋から一冊の本を取り出した。「ハルデン戦役記」。何度も読み返したせいで、表紙が擦り切れている。

ページをめくると、書き込みだらけの余白が目に入った。七歳のときから積み重ねてきた自分の言葉たち。

その中に、老司祭の字で書かれた一行を見つけた。

いつ書かれたのか、アルスは知らなかった。おそらく、本を譲り渡す直前に、こっそり書き添えたのだろう。

知恵は、死者から受け取り、生者のために使え。

アルスは、その一行をしばらく見つめた。

それから本を閉じ、立ち上がった。

「行くか」とロイが言った。

「ああ」

二人は歩き出した。

死者を弔う祈りの声が、風に乗って流れてきた。アルスはそれを聞きながら、今日の戦いを頭の中で反芻した。何が正しかったか。何が足りなかったか。次に同じ状況が来たとき、もっとうまくできるか。

考えることを、止めなかった。

それが、アルスに唯一できることだったから。


その夜、隊長に呼ばれた。

怒られると思っていた。伝令の分際で指示を出したことを、咎められると思っていた。

しかし隊長は、複雑な顔をして言った。

「お前の読みは当たっていた」

アルスは黙っていた。

「……生意気な伝令だ」男はそう言ってから、視線をそらした。「だが、今日は助かった。それだけだ」

それだけで、十分だった。


その報告が、やがてゲオルグ・ヴァルハイト将軍の耳に届くまで、二週間とかからなかった。

次回もお楽しみに

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