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トイレを貸して|おじさんはなぜ無事だった?

 僕はまだ九歳だから、お母さんによく「最近は物騒だから知らない大人と話しちゃダメよ」と注意される。


 その一方で、お母さんはこうも言っていた。


「どうしてもトイレが間に合わなかったら、近くの家の人に『貸してください』って頼むのよ」


 その『どうしても』が今、小学校から下校中の僕にまさに起きていた!


 この辺りは田舎で、畑や田んぼの途中に点々と家が建っている。


 もう我慢が限界で遠くへは行けない僕が頼れそうな家は、目の前にあるこの一軒だけだ。


 けれど何度ピンポンを押しても、家の人が出て来ない。


 普通は諦めるべき状況だけど、それはつまりここで漏らすってことだ。


 立ちションはいいけど、外でうんこは無理!


 気付いたら僕は引き戸に手をかけていた。鍵をかけていなかったみたいでガラッと開いた。


 あれ? 玄関が開いているってことは、中に人がいるんじゃないの?


「す、すみません! トイレを貸してください!」


 大きな声で呼びかけると、家の奥から汚らしい身なりのおじさんが慌てた様子で出てきた。


「コラ! 勝手に人の家に入ってくるな!」

「すみません。でも、もう限界で。漏れそうで……」

「男なんだからその辺でしろ」

「だって、うんこなんだよぉぉ……!」


 今にも爆発しそうなお尻を押さえながら半泣きで訴えると、おじさんは動揺しつつも、


「わ、分かった。ちょっと待っていろ」


 と中に入れてくれた。


 けれどトイレを貸してくれるのかと思ったら、おじさんはなぜか家の中をウロウロして、あちこち開けたり閉めたりした。


 トイレを貸してくれるんじゃないの? 何をしているの?


 じりじりしながら見守る僕に、おじさんはようやく「ここがトイレだ」と貸してくれた。


 なんとかトイレを済ませて、お礼を言った後。


「ここでトイレを借りたことは誰にも言うなよ」

「どうして?」

「どうしてもだ」


 僕は変なのと思いつつ、大人しくおじさんの指示に従うことにした。


 その夜。お母さんとリビングでテレビを見ていたら、気になるニュースが流れた。


 ただの殺人なら毎日のように、どこかで起きているけど、


「あら!? これって家の近くじゃない!?」


 お母さんの言うとおり、テレビには今日トイレを借りたあの家が映っていた。


「犯人はまだ捕まっていないんだって。怖いわね。大丈夫かしら?」


 現場の状況的に、犯人は空き巣のために民家に侵入したところ、たまたまその日、仕事が休みだった男性と遭遇して、咄嗟に殺してしまったのではないかとのことだ。


 あの家に住む男性が殺されたって、おじさんのこと?


 僕がトイレを借りた後に殺されたの?


 もしもっとトイレを借りるのが遅かったら、僕も一緒に殺されていたかもとゾッとした。


 親に話すか迷ったけど、殺人のあった家に僕が入ったと知ったら、すごく驚くだろう。


 親に心配かけたくないし、犯行があったのは僕が帰った後みたいだから、警察に教えられることもないだろうと誰にも言わなかった。


 やっぱり事件はあの家で起きたみたいで、勝手に人が入らないように、周りに黄色いテープが貼られて警察の人とか取材の人とかが来ていた。


 遠目に家を見ている僕の背に「坊や」と小さく声がかかる。


 振り返ると、すぐ傍に停まった車の窓から運転手が顔を出していた。


 帽子とマスクのせいで、すぐには分からなかったけど、


「おじさん!? 生きていたの!?」


 驚く僕に、おじさんは不思議そうに首を傾げる。


「生きていたって?」

「だって、あの家に住む男性が殺されたってニュースで言っていたから。でも、おじさんのことじゃなかったの?」

「ああ……それは、おじさんと一緒に住んでいた人のことだ。俺はあの後、その人と入れ替わりに出かけて無事だったんだよ」

「そうなんだ。よかったね」


 反射的に言った後で、僕はすぐに反省する。


「一緒に住んでいた人は殺されちゃったのに『よかった』はおかしいよね。ゴメン」


 しょんぼり謝ると、おじさんは「いや、別に」と答えて、すぐに話を変えた。


「それより、ちょっと頼みたいことがあるんだ。ついて来てくれないか?」

「頼みたいことって?」

「それは後で話すよ。君くらいしか頼めそうな子がいなくてね。俺も君にトイレを貸したし、今度は君が助けてくれないか?」


 それを言われると弱い。


「でも、それ僕にできること?」

「簡単だから大丈夫だよ。時間もそうかからないから、親にもバレない。さぁ、乗って」


 おじさんには恩があるから仕方ないか、と僕は車に乗った。




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■ 解説■

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 鍵のかかっていない玄関を開けてすぐに出て来たおじさんを、語り手はこの家の住人だと認識した。


 しかしおじさんが、この家の住人だとすれば一つおかしなことがある。


 それは語り手をすぐにトイレへ案内できなかったこと。


 語り手は明らかに限界だった。トイレを貸すことにしたなら、普通は真っ先に案内するだろう。


 ところがおじさんは家のあちこちを開けたり閉めたりして、すぐにはトイレを貸さなかった。


 それはおじさんが、この家のトイレの場所を知らなかったから。つまりこの家の住人ではなかったのだ。


 おじさんの正体は、その夜のニュースが暗示している。


 この家の本当の住人である男性を殺害した犯人こそが、おじさんだった。


 警察の見立てどおり、空き巣目的で侵入したところ、住人と出くわしたおじさんは咄嗟に相手を殺してしまった。


 そこに勝手に小学生が入ってきて、パニックになりながらトイレを貸したものの、後で顔を見られたことが気になった。


 あの子どもが、もし自分が犯人だと気付いたら?


 不安になったおじさんは、通学路ならまたこの辺りを通るだろうと、下校時刻に合わせて語り手を待ち伏せ。


 そうして言葉巧みに車に乗せた。もちろん二度と帰さぬために。

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