私が落としたのは|金や銀より重いもの
『金の斧、銀の斧』というお話をご存知だろうか?
木こりが泉に斧を落としたら、美しい女神が現れて「あなたが落としたのは金の斧ですか? 銀の斧ですか」と尋ねられる。
欲に負けず正直に答えれば、女神は人間の善良さに感心して、落とし物を返すだけでなく、金の斧と銀の斧もくれたというお話だ。
てっきり作り話かと思いきや、なんとうちの近所の泉がそうだったらしい。
木を切りに森へ行って泉に斧を落とした夫は、現れた女神に例の問いかけをされたそうだ。
夫は突然のことに驚きつつも、あのお話を思い出して「いえ、自分が落としたのは普通の斧です」と答えた。
すると女神から、これもお話のとおりに、
「素晴らしい。正直者のあなたには、元の斧の代わりに金の斧と銀の斧を差し上げましょう」
と金と銀の斧をもらえたそうだ。
お話では確か普通の斧も返してくれたはずだが、斧と同じ大きさの金と銀が手に入ったのだから、惜しむほどのものじゃない。
魔法の泉を発見した夫は興奮気味に提案する。
「金のなる木ならぬ金が湧く泉だぜ! もっと色々投げ込んでみよう!」
「ちょっと待って。アンタの話が本当なら、もっと金や銀が欲しいなんて泉にドバドバものを投げ込んだら、女神が怒るんじゃない?」
人間の正直さに感心して褒美をくれるような女神だ。欲深いところを見せたら逆に嫌われるかもしれない。
私の忠告に、夫はもどかしそうに食い下がる。
「じゃあ、これぽっちの金銀で諦めるのか? せっかく大金を掴めるチャンスなんだ。もう一回くらいは挑戦したいだろ」
もちろん私もこんな上手い話を諦める気はない。
「ええ、だからもう一回だけ。アンタは女神に顔を知られているから、今度は私が何か落とすの。前とは別の人間がするなら、女神を怒らせる可能性は低いでしょ?」
私の提案に、夫は「なるほどな!」と顔を明るくした。
「じゃあ、今度は何を落とす? 落としたもの分の金銀が手に入るんだから、うちでいちばん大きなものがいいな!」
「木を運ぶ用の荷車がいいわ。あれなら十分な大きさがあるでしょ」
「そうだな! 荷車なら重さの割に持ち帰りも楽でちょうどいい!」
私は早速夫に荷車を引かせて、女神の泉に案内させた。
「ここがその泉なのね」
「じゃあ、俺は隠れているよ」
「待って。あそこ、何か沈んでいる」
泉を指差すと、夫は「どこ?」と水面を覗き込んだ。
私はその無防備な背中をドンと押して、夫を泉に突き落とした。
悪いわね。でも恐らくは一度きりのチャンスだもの。ちゃんと家でいちばん大きなものを落とさないとね。
夫は金づちだったので、無駄にでかくて重い体はみるみる泉に沈んでいった。
ほどなくして夫の言うとおり、女神が現れた。
「あなたが落としたのは最高の頭脳を持つ夫ですか? それとも最強の肉体を持つ夫ですか?」
てっきり夫の大きさ分の金銀が手に入ると思ったのに、生物だと扱いが違うようだ。
せっかく持ち帰り用の荷車を持って来たのに無駄になったな。
まぁでも元の愚鈍な夫よりはいいか。
「いいえ。私が落としたのは特に取り柄のない普通の夫です」
「素晴らしい。正直者のあなたには、元の夫の代わりに最高の頭脳を持つ夫と、最強の肉体を持つ夫を差し上げましょう」
そうして泉から戻ってきたのは、姿はまるきり元の夫のまま、中身だけ高性能になった男たち。
どうせなら見た目も美形にして欲しかったな。
でも最も賢い者と最も強い者を夫として侍らせられるなら悪くないわね。
ちなみに、それぞれ別人のような強さと賢さを手にしたものの、記憶と人格は以前の夫のままのようだ。
それを予め知っていれば、私が金や銀より遥かに重いものを落とすことはなかっただろう。
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■ 解説■
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何かを落とすと、もっとよいものと交換してくれる魔法の泉。
けれど落としたもの自体は、返してくれないようだ。
ということは、元の夫は死んだのである。
その代わりに女神がくれた『最高の頭脳を持つ夫』と『最強の肉体を持つ夫』。
語り手は当然のように彼らが夫として自分に尽くしてくれると考えたが、彼らは元の夫の記憶と人格を引き継いでいた。
だとすれば彼らは語り手が、自分を突き落としたことも知っている。
たとえ夫婦であっても、富のために自分を殺した相手を憎まないはずはない。
彼らは女神に授けられた最高の頭脳と最強の肉体を駆使して、語り手に復讐した。
その結果、語り手は金や銀より遥かに重いもの(命)を落として後悔したのである。




