現代の人魚姫は|その別れに俺は胸を抉られた
今から一年前。乗っていた飛行機が墜落し、乗客たちは海のど真ん中に投げ出された。
それなのに俺だけは、なぜか墜落した地点からずっと遠くにある浜辺に打ち上げられて奇跡的に生還した。
それ自体も不思議で驚くべき話だが、俺は今日それを超える事態に遭遇した。
「えっ? 君があの事故から俺を助けてくれたの?」
どこかの童話よろしく魔法で人間になった自称・人魚は「ソウ!」と覚えたての日本語で答えた。
普通なら信じがたい話だけど、この子の顔を見た瞬間に思い出した。
この子が俺を海のど真ん中から浜辺まで引っ張って泳いでくれたことを。
ちなみに、なんで海底まで探索されるこの現代で人魚が見つからないでいるかというと、それも魔法だそうだ。
この子が俺だけを助けたのは、そもそも墜落した時点で乗客のほとんどが死んでいたのと、単に異性として好みだったかららしい。
「人魚、本当は人間に関わってはいけナイ。でも私、アナタ好きになってしまた。アナタ死ぬ、嫌と思てしまた」
それで助けた後も、俺を忘れられなかったそうだ。
それから海の魔女に相談して、俺の居場所を知るとともに、例の人魚姫と似た魔法をかけてもらって会いにきたと言う。
「じゃあ、君は俺に愛されないと海の泡になっちゃうの?」
人魚は首を振りながら、こう答える。
「魔法が完全になるの、相手と契ってから。契る前なら人魚、代償なく海に帰れる」
ただ契りを結ばれなければ、魔法が解けて人魚に戻ってしまうので、陸では暮らせないそうだ。
「だからアナタ今決める。私と結婚するか断るか?」
俺が断れば残念だけど、大人しく諦めて海に帰るそうだ。
自分は例の人魚姫のように、愛を裏切られて泡になるのは御免だからと。
いくら命の恩人だからって、いきなり現れた国籍もない女と結婚なんて普通はあり得ない。
けれど人魚は、とんでもなく可愛かった。しかも向こうは住み慣れた世界を捨ててまで俺に会いに来てくれたのだ。その健気さにも絆されてしまう。
「陸の暮らしは結構過酷だから、俺と結婚したらかなり苦労することになるよ? 大丈夫?」
この子は戸籍がないのだから、共働きはできない。
必然的にかなり貧しい暮らしをさせることになるだろうと聞いてみると、人魚は天真爛漫な笑顔で言う。
「どんな苦労も構わナイ! 私、望むの、アナタの愛だけ!」
グゥ、やっぱとんでもなく可愛い。
正直もっとよく考えたかったが、この機会を逃したら人魚はすぐに帰ってしまう。
見送るには惜しすぎる美女だったので、俺は人魚の求愛を受け入れた。
……しかし、ここだけの話。俺には遠距離恋愛中の恋人がいた。
一年前、飛行機に乗ったのも、海外にいる彼女と会うためだった。
やることやった後で「実は付き合っている人がいるんだけど、ちゃんと別れるからいい?」と尋ねた俺に、人魚は急に怖い顔になった。
「なぜソレ先に言わない? アナタ私、騙した?」
「違う! 騙す意図はない! ただ恋人と夫婦は違うから、結婚までに別れればいいかなと思っただけで!」
弁解する俺に、人魚は不服そうにしつつもこう返す。
「……ちゃんと別れるなら許す。いつ別れる?」
「彼女は今海外……遠くの国にいるから戻って来てからかな」
「……アナタの言葉信じる。でも私たち、もう契ってしまた。私ただでは帰れない。だから裏切らないで……」
彼女はか細く言うと、縋るように俺に抱き着いた。
「だ、大丈夫だよ。絶対に君を裏切らないから」
ところが帰国した彼女に話すも、簡単には別れてもらえなかった。
ずっと男に依存しないサバサバしたタイプだと思っていたのだが、
「もし私を捨てたらアンタの両親や友だち全員に浮気のことを話して泣き喚いてやるから!」
と力いっぱい脅された。
まさか彼女がこんな怖い女だったなんて……。
彼女はとても社交的で、俺の両親や友だちにもメチャクチャ気に入られていた。
そんな彼女が「俺に浮気されて捨てられた」と泣いて訴えれば、仲間内で俺の評判はガタ落ちになる。
どうやら穏便には別れられなさそうで頭を抱える俺に、人魚はこう申し出る。
「アナタ、困っている? 私、海に帰って欲しい?」
「海に帰るって……でも俺に裏切られたら、君は泡になって消えてしまうんじゃ」
「私は泡にはならナイ。ただ悲しい想いをスルダケ。だからアナタ別れたいなら構わナイ」
「あっ、じゃあ、やっぱりいいかな? 帰ってもらっても」
「……分かた。サヨナラ」
そうして人魚は海に帰った。
俺はその別れに胸を抉られて、人魚を裏切るべきではなかったと、自らの過ちを深く悔やんだ。
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■ 解説■
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童話の人魚姫は泡になって消えてしまったが、他の選択肢がなかったわけではない。
姉たちが持ってきたナイフで、王子を殺せば人魚に戻り海に帰れたのだ。
本作の人魚は『自分に愛を裏切られたら泡になってしまうのでは?』と尋ねる語り手に、
「私は泡にはならナイ」
と答えている。
これは童話の人魚姫と違って、自分が死ぬくらいなら相手を殺すという意味。
裏切らないという誓いを破った語り手は、人魚にナイフで胸を抉られて殺された。




