2026年 秋 1
季節がまたひとつ進んだ。
街路樹はすっかり鮮やかに色づき、吹く風にはふんわりと金木犀の甘い香りが乗るようになった。ホットコーヒーを求める客が大半になり、そこからも秋を感じる日々。
残暑の影響はすっかりなくなり、朝夕はもう寒いくらいの日もある。寝苦しい夜がなくなったのはありがたいことだったが、暑さとは別の寝苦しさが悠一を襲うようになっていた。
「痛たたた…」
ランチタイムのピークをやっとこさ乗り越えた店内でうめいて腰をさすった。
寝ても覚めても腰が痛い。
できるだけ冷やさないように、筋肉が凝り固まらないように、頻繁にストレッチをしたりぬるめのお風呂にゆっくり入ったりして予防していたものの、それをあざ笑うかのように襲ってきた腰痛。
ぎっくり腰ほど絶望的なものではないが、じゅうぶんに活力を奪ってやまない悠一の宿敵。ただ横たわっているだけでも痛み、そのせいで睡眠不足気味になって疲労が溜まり、ますます腰が悪くなっていくという悪循環に陥っていた。
座り仕事から立ち仕事になったので改善してくるのを期待していたが、そんなことはまったくなかった。接客や調理でしゃがんだり前かがみになったりすることが増えたせいか、いっこうに楽にならない。
コルセットを付けているから仕事に支障はきたしていないものの、痛みがないわけではない。ずっとじんわり痛くて、だんだんとうんざりした気持ちになってくる。腰痛とうつには相関関係があるのではないかと悠一は本気で疑っている。
「大丈夫ですか、悠一さん。あれなら座って休んでもらっても…」
光希から優しい言葉をかけてもらって、胸がじんわり温かくなった。ついでに腰も温まってくれないかと思ったが、そんな奇跡は起こらなかった。
「ありがとう、光希ちゃん。でも座ったら座ったで立つとき痛いし、立ってたほうがむしろ楽だったりするんだよね」
「はあ、そういうものなんですね…」
腰痛と無縁な若者にこの感覚はわからないだろう。だけど気遣いは嬉しくて、すこしだけ腰の痛みがやわらいだ。
それに今日はイベントもあるしと口に出して、自分を鼓舞した。
「楽しみだね。秋の新作アキラパフェ」
新しいパフェの開発に四苦八苦していた日明を思い出して頬がゆるむ。
ランプには新たにレギュラーメニューとして、チョコバナナパフェと二色のおだんごパフェが加わっていた。
甘さ控えめのチョコがダークラムを効かせたホイップクリームと相性抜群のチョコバナナパフェと、普通の白玉と抹茶の粉を混ぜた抹茶白玉を使った二色のおだんごパフェはすっかりランプの名物に仲間入りしていた。
その二つのレギュラーパフェの開発が終わったところに季節限定の秋パフェという難問が降りかかり、ここのところ日明は常にしかめっ面になっていた。だけどどこか楽しそうで、いいアイデアを思いついたときには口元にうっすらと殺し屋みたいな笑みを浮かべていてちょっと怖かった。
二人でランチタイムの名残りの溜まった皿を洗いながら話を続けた。日明はパフェ疲れのせいで奥で一眠りしているので、少し控えめな音量で。
「光希ちゃんも完成形はまだ食べてないんだっけ?」
「はい。試作品はいただきましたけど、完成形はまだです」
「そっか。どうなったんだろうねえ。せっかくだしハロウィンをテーマに、って光希ちゃんから言われて頑張ってたけど」
「無茶ぶりしちゃいましたかね?」
パフェを作るにしても闇雲に考えるのではなくて、何かテーマがあったほうがやりやすいと言う日明に光希が出したテーマがハロウィンだった。
「まあ、ハロウィンとは縁もゆかりも無い子だからねえ。でもまさか、最初に紅しょうがを使った流血パフェなんてものを作るとは思わなかったなあ…」
「日明さんのハロウィン観どうなっているんでしょうね…」
「ハロウィンに何か強いトラウマでも抱えているのかと思ったよ…」
「ジャックオーランタンの目と口から紅しょうが垂れているのは黒魔術みたいでした…」
紅しょうがとブラッドオレンジを使ったパフェは意外な美味しさではあったものの、見た目のポップさに欠けたのと季節物を取り入れていないという二点でボツになった。
「無難にかぼちゃとさつまいもに落ち着いてくれてよかったよ」
「ですね。ちゃんと秋らしさがあって親しみやすいですし、かぼちゃはハロウィン感ありますし」
日明は何かワンポイント加えたいと渋っていたが、応用は基本ができてからにしなさい、という悠一の助言に従って土台となるパフェを完成させていた。
そこから日明がどんなワンポイントを加えたかは本日お披露目になる。
「常連さんたちも都合がついてよかったよ」
常連たちの意見もいただきたいということで、今日はパフェの試食会を開くことになっていた。なのでランチタイムを過ぎての営業は休みにしてあった。こんな午後もたまにはいい。自営業の特権だ。
約束の十五時を前にして三山さん、新垣さん、越田さんが揃い、テーブル席に着いておしゃべりを繰り広げている。日明のパフェ待ちの時間。岸さんは仕事の都合がつかずに遅れる、最悪不参加になると連絡が入っていた。
「岸さんが一番楽しみにしていただろうに、まったく諸行無常だこと」
「ほんと残念ねえ。でも仕事じゃしょうがない。その分アタシたちが堪能してあげましょ」
三山さんがしみじみと言うのに、新垣さんが少しイジワルな顔をして笑った。その隣に座った越田さんはどこか遠い目をしていた。
「日明くんの新作パフェ楽しみだなあ。就活のストレスをおいしいパフェでぶっ飛ばしたい」
「そういえば越田の嬢ちゃんは就活中だったな。どんな塩梅よ?」
「あさちゃん確かいい大学通ってたわよね。就活なんて楽勝なんじゃないの」
隠居して悠々自適な三山さんと、専業主婦で最近コンビニでパートを始めたという新垣さん。就活とは無縁な二人から聞かれて、越田さんは深々とため息をついた。
「いや、ダメっすねえ。あたし自分で思ってたよりあがり症みたいで、練習では平気なのにいざ面接本番では上手くいかなくて…」
「ほお、それは意外や意外」
「ね、物怖じしない感じするのに」
「そう、自分でもそう思ってたし、これまでもこんなことなかったの。でもなんかダメで…。三山さん、ガッキーさん、なんかいいアドバイスないです?」
三山さんは禿げ上がった頭をツルリと撫でて、新垣さんは腕を組んで首をひねった。
「わしはもうずっと人前で話すのが仕事だったからなあ。若い頃からそういうのは慣れてたし、すまんがあがった経験というものがない」
「ああー、三山さんお坊さんだったもんねえ…そりゃいちいちあがってたら商売にならないか…」
二人の視線が新垣さんに集まり、組んだ腕をほどいてお腹にあてた。
「アタシの場合は子ども産んでからはそういう感覚ってほとんどなくなっちゃった。なんかどれも、出産と比べりゃ屁みたいなもんよって感じで。まさに腹が据わるってやつね」
「お、さすが新垣さん。上手いこと言ったな」
「ふふん」
三山さんにほめられてニヤリと笑う新垣さんを見て、越田さんは自分のお腹に手をあてた。
「出産かあ。でも就活終わるまでにできることじゃないしなあ」
「さもありなん」
「がんばれ若者」
「くうー、他人事だと思って。いいもん、いざとなったらランプの経営コンサルタントになってチェーン展開してやるもん」
「当店ではそのような募集はしておりません」
やわらかに釘を差しつつ、光希が三人の前に湯気の立つカップを置いた。カップには琥珀色の液体が注がれ、春の草原みたいに爽やかな香りを漂わせている。




