2026年 晩夏 8
「あたしと真凜はすれ違ったまま、受験のときが刻一刻と迫っていた。あたしたちは制服がかわいくて、難関大学への進学率も高いので有名な女子校を受けることにしていた。真凜もきっと、同じ高校を受けてくれると信じて願書を提出した。
同じ高校に入れば、時間をかけて関係を修復できると信じていた。だけど真凜は推薦で違う高校を受けて合格していたことを、共通の友だちから聞かされた。
真凜さえいればそれでいいと思っていた。他には何もいらないって、本気で思っていた。だけど真凜は違った。真凜にとってあたしは、切り離せる存在だった。真凜はあたしが訴える真実じゃなくて、くだらない嘘に踊らされるような人間だった。
真凜はあたしを裏切った。
怒りで目が眩むなんて経験はあれが最初だった。本当にね、目眩がしてくらくらして、立っていられなくなるの。目眩から覚めたあたしの頭にあったのは、復讐することだけだった。
あたしを犯した海斗に、あたしを信じてくれなかった真凜に、金ですべてを解決しようとした奴らに。
あたしは無事に狙っていた高校に合格して、憧れの都会に引っ越した。
もしもそうしている間に怒りが収まったら、何もかもを忘れて新しい生活を謳歌しようって思っていた。だけどそんなことはなかった。
新しい生活の中に楽しみを見出せても、ずっと頭の片隅でくすぶって消えてはくれなかった。誰と何をして過ごしていても、あたしを貶めた奴らへの怒りがチラついて、素直に楽しめなかった。
中学生の頃にね、真凜と一緒にアングラな感じがするサイトや掲示板を見て回るのに一時期ハマっていたの。その中には闇から闇に葬られて明るみに出なかった事件の被害者が集まる掲示板があった。事件の全容を書き込むと、誰かがその犯人に嫌がらせをしてくれるかもしれない、っていうものすごく性格の悪い掲示板。
そこにあたしがされたことを友だちがされたってことにして書き込んだ。そのまんまを書くのはさすがに怖いし、あたしが何かしらの罪に問われるんじゃないかって怖くて名前や地名はぼかしたけど、すぐに特定された。
偶然あたしの地元に住んでいる人がそれを見て、すぐに勘づいた。真凜はあたしがされたことを仲の良かった同級生に言いふらしていて、そこからある程度話が広がっていたからその人も知っていたみたい。あたしの名前が被害者としてイニシャルで掲示板に載ったときには冷や汗をかいたものだった。
だけどそれで真実味が増したのか、犯人やその家族の情報がすぐに特定されて晒された。真凜が進学した高校まで特定されたのにはゾッとしたけど、いい気味だと思い直した。
それから磯部水産は不当な労働形態が発覚して訴訟にまで発展。それによって大幅にイメージダウンし業績は著しく悪化。海斗は飲酒運転で事故を起こして逮捕。市議会議員に当選していた磯部水産の先代社長は不祥事が明るみに出て任期を満了する前にリコールされた。真凜は高校でいじめに遭い不登校になり地元に戻った。
あたしが掲示板に書き込んだこととの因果関係はわからないけど、あたしにとっては胸のすく話ばかりだった」
深い溜息をつく越田さんの目は暗く淀んでいた。
「だけどそれを知っても、あたしの中にくすぶる怒りは消えなかった。なぜだか虚しい思いばかりが広がって、まるで満たされることがなかった。
それからあたしは暇さえあればその掲示板を覗くようになり、書き込んだ人に同情していた。あたしとよく似た思いを抱えている人がいることに安心して、癒されていた。
ある時あたしと同じような目に遭った人の書き込みを見て、絶対に赦せないと思って躍起になって犯人の痕跡を辿った。ネットの痕跡から辿る作業は根気のいるものだったけど、パズルを解くのによく似た楽しさがあった。
一瞬のひらめきと粘り強い洞察。そのどちらもが必要で、犯人の情報を得られたときには難問が解けたときみたいな満足感に浸れた。
そしてあたしの成果を見た人たちが褒めてくれて、犯人にバチが当たったと思えるような出来事が起こったときには脳髄が痺れるような快感があった。まるで自分が裁きを与える神様になったかのような万能感。それはたぶん麻薬みたいなもので、一度知ってしまったら抜け出せなくなっていた。
大学の学部はそれで決めたの。より効率的に情報収集ができるようになるために、情報技術科に。
だけどその掲示板は、大学受験のあれこれで見られなかった間に閉鎖されてしまっていた。あたしの最低な拠り所が、跡形もなく消えた。
だからあたしは大学で学んだ知識を用いて、自分で掲示板を立ち上げた。あたしみたいな人が恨みを晴らせるように、犯罪者とその身内の行方を追う掲示板を」
「まさかそれって、日明さんや秀人が見た掲示板…」
驚愕に目を見開く光希に、越田さんは濁った笑みを返した。
「そう、その通り。あたしね、出会った人の名前をネットや過去の新聞記事をあたって徹底的に調べるのがくせになっているの。性格悪い趣味でしょ。
それで日明さんの名前を検索しているうちに事件を知った。当時十三歳だった被疑者、神谷心司に間接的に妹を殺された悲劇の子。友人であった悪魔の子に妹を殺された、かわいそうな人。
この人ならあたしが受けた痛みを、悔しさを、怒りを、悲しみを、わかってくれるんじゃないかって思った。
あたしはその事件について徹底的に調べ始めた。事件後の犯人の足取り、犯人家族のその後を何としても掴んでやるって張り切っていた。
調べているうちに、光希ちゃんがバイトとしてランプに雇われたの。当然あなたのことも調べた。だけど奇妙なまでに検索に引っかからない。SNSから辿ろうとしても今どき珍しいことになんにもしていない。そんな人もいるんだなって感心してあなたに興味が湧いた。過去を辿れないなら直接話して、聞き出すしかないと思って。
でもあなたは人当たりはいいくせにガードが硬くて全然昔のことを話してくれなかった。まるで過去をなかったことにしたいみたいに。それがあたしと似ていると思った。だから勝手に親しみを覚えて、仲良くなれるんじゃないかって期待してた。
でも日明さんの事件を調べているうちに、繋がってしまった。あなたが悪魔の子の妹、神谷麻希だって。
そりゃいくら調べても向井光希の過去なんてほとんど存在しないし、SNSもやろうと思わないし、過去のことも話したがらないわけだって納得した。納得して、強い怒りが湧いてきた。
光希ちゃんはいったいなんのつもりでランプでバイトをしているのか、って。被害者の家族の前で、どうしてあんなにニコニコ笑っていられるのか、って。
それで掲示板に書き込んだの。誰かが光希ちゃんを懲らしめてくれないかって、期待して。そうしたらあのホスト崩れが来て面白いことにはなったけど、つまらない結果に終わっちゃった。
だから日明さんに教えたの。あなたの過去を知った日明さんが、どうするのか知りたくて。被害者の家族にその判断を委ねたの」
「麻美ちゃん…」
「あっ、安心して光希ちゃん。光希ちゃん関係の書き込みはもう削除しておいたから。これ以上晒してランプに迷惑がかかっちゃ悪いし」
越田さんは形だけの笑みを浮かべて、喋り疲れたと言うように伸びをしてアイスコーヒーを飲んだ。
知らず知らずのうちに喉が乾いていた光希もひと口すすった。強い苦みが口に広がり、泥水をすすっているような味がする。さっきまではそれを美味しいと感じていたはずなのに。
越田さんから聞かされた話が渦潮のように頭をぐるぐる回り、感情の整理が追いつかない。
ひょっとしたら掲示板に書き込みをしたのは越田さんじゃないかと疑っていた。だけどそれ以上の真実を聞かされて呆然となった。
生まれ育った地元と両親と、親友との決別。それに至った経緯はまるで違うものの、光希は越田さんに自分と近いものを感じていた。
自分と同じような孤独と絶望を、越田さんも抱えていた。
そう感じつつも、被害者と加害者という絶対の立場の違いが立ちはだかり、おいそれと同情めいたことを口にするのはためらわれた。
「ねえ、麻美ちゃん」
「んっ?」
「もうやめよう、そんな悲しいこと」
だけどこれだけは、越田さんに伝えたかった。
「そんなことを続けても、越田さんも、きっと誰も、救われたりなんかしないよ」




