2026年 晩夏 5
「ごめんごめん、待った?」
「ううん、わたしもさっき着いたとこ」
久しぶりに会う越田さんは眼鏡をかけて、ドレープのシャツにジーパンというラフな服装だった。光希はおろしたてのスタンカラーのシャツにスクイーズパンツと少し気合を入れた服装をしている。
待ち合わせ場所は越田さんの要望で『ハーヴェスト』という喫茶店。パフェのおいしいお店で、以前に日明と入ったことがあるらしい。
確かにパフェの種類が豊富でどれも美味しそうで、日明と来たら楽しいだろうなと想像すると頬がゆるんだ。
「いやあ、外はあっちいねえ。光希ちゃん、まだ注文してない?」
ハンドバッグを荷物入れに置いて席に座り、越田さんはお冷をひと口飲んだ。
「悩み中。パフェおいしそうだなって思って目移りしてた」
「わかるー。迷うよね、どれも美味しそうで。あたしマンゴーパフェにしよっと。前に日明さんと来たときに見つけて気になってたんだよね」
「おっ、麻美ちゃん太っ腹」
優越感の滲む越田さんの言葉を光希は軽くスルーした。越田さんは気にした様子もなくニヤリと笑う。
「ぐふふ、バイト代が出たからねえ」
「おおー、塾講師さまは稼いでそう」
「まあねえ。ランプの時給よりはだいぶいいだろうね」
「ちぇっ、わたしはフリーターらしくチョコバナナかレモンにしよっと」
越田さんは光希をちらりと見て眉をひそめたが何も言わなかった。奇しくも光希が選択肢に並べたのは日明が迷っていたのと同じパフェだった。
「よし、夏らしくレモンパフェにしよう。すいませーん」
それぞれ注文をして、久しぶりに会うまでの時間を埋めるように言葉を交わした。
「それにしても会うの久しぶりだね。ひと月ぶりくらい?」
「そうだね、最後にランプ行ったのは夏休み入る前だったし」
「あっ、そっか。学生さまには夏休みがあるんだった。いいなあ」
「試験もレポートも片付けて、悠々自適な夏休みですよ」
「マジで羨ましい。わたしも夏休み欲しい」
「と言いたいところだけどね、インターンやら企業研究やら面接対策やらでやること目白押しですよ」
「あっ、そっか。就活か。あれでも、麻美ちゃんまだ三年生だよね?早くない?」
「光希ちゃん、ぜんぜん早くないよ。みんなもう就活漬けの毎日でおおわらわだよ」
「へえー、それはお疲れさまです」
学生のする就活というものをしたことがない光希に明確なイメージは湧かなかった。大変なんだろうなとぼんやり思い、忙しいと言いながらもどこか楽しそうな越田さんが羨ましかった。
学校という場所では常に悪意に晒されていた光希には、誰かと何かをした記憶がほとんどなかったから。
「ほんと、あたしがもう一人欲しい。もう一人のあたしに就活に専念してもらって、本体は夏を満喫したい」
「麻美ちゃんがもう一人いてもどっちも夏を満喫したがるんじゃないかな」
「ははっ、それはそうだ。どっちが遊ぶかで大ゲンカしそう。それで最後に生き残ったあたしが最強のあたしだ」
「そんな蠱毒じゃないなんだから」
「それいいね。蠱毒の果てに呪術的なものを身につけて、大企業のお偉いさんを脅したりマインドコントロールしたりして就活一発クリア…」
「なんて現代っ子な夢見がちな思考…」
邪悪な笑みを浮かべる越田さんに小さく笑いながら、光希は首をかしげた。
「ていうか麻美ちゃんって実家住みだっけ?」
「ううん、アパート借りてひとり暮らし。なんで?」
「いや、就職で地元に戻っちゃうならさみしくなるなって思って」
「しない」
言下に否定されて光希はキョトンと目を丸くした。
「地元になんか戻らない。嫌な記憶しかない場所だし。もう一生、あたしがあの場所に戻ることはないから安心して」
「そ、そうなんだ…」
強い口調で重ねられて鼻白み、会話が止まった。顔はにこやかでもピリピリした雰囲気を漂わせる越田さんに戸惑い、光希は間をつなぐようにお冷をひと口飲んだ。
そのタイミングを見計らったかのようにパフェとコーヒーが届いた。
「わあー、美味しそう!やっぱマンゴーってテンション上がるわ!」
越田さんはスマホで何枚も写真を撮っている。楽しそうにしながらも、撮り終えてスマホをいじる顔には義務感が見え隠れしていた。たぶんウィスパーに投稿しているのだろう。友だちとグループを作ったせいで、何も投稿しないでいると怒られるって言っていたし。
付き合いでするSNSほど面倒なものはないだろう。
「いただきまーす」
そんなものとは無縁な光希は手を合わせて、食べるのがもったいないほどキレイに飾り付けられたパフェをザックリとスプーンですくった。レモンピールの乗ったホイップクリームはコクがあるのに爽やかで、ふわりと淡雪のように口の中でとけていく。
「おいしーい!レモンの風味がすっごく爽やか!麻美ちゃんも食べる?」
「ありがと。でもいいや。この前、日明さんが頼んだレモンパフェ食べさせてもらったし」
「えっ?」
ああ、そうだった。新垣さんが言っていたではないか。『パフェをあーんなんてしちゃってねえ』と。
「あっ、ふーん。そうなんだ」
「マンゴーあまーい!ヤバこれ、めっちゃ美味しい!美味しい以外出てこないくらい語彙力が死滅する。光希ちゃんも食べる?」
「ううん、わたしだけもらうのも悪いしいいや」
「そう?遠慮しないでいいのに」
「ありがとう。でもあんまり食べると太っちゃうし、気持ちだけ」
「奥ゆかしいやつじゃのう」
あれこれと他愛もない話をしながらパフェを食べ終えた。このまま買い物とかカラオケにでもいけたら楽しいだろうなと空想し、それはできないと弱い自分を叱咤した。
何もかもを見て見ぬふりして蓋をすればひとときの楽しい時間は手に入るが、それはただの問題の先延ばしに過ぎない。先に延ばした分だけ痛みは増えて、決意は揺らぐ。
「ねえ、麻美ちゃん。聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな」
「なあに光希ちゃん。そんな改まって、なんか怖いよ」
おどけたように肩をすくめる越田さんを、光希はじっと見つめた。
「はいはい、おとなしく聞きますよ。話があるって言ってたもんね」
「ありがとう、麻美ちゃん」
光希がする話を、越田さんはさして驚く様子もなく淡々と相づちを打ちながら聞いていた。
掲示板の書き込みが事実であること、自分の兄が日明の妹を間接的に殺したこと、日明の妹と自分が姉妹みたいな間柄だったこと。
光希の話を聞き終えた越田さんは、冷めた目をしてアイスコーヒーをすすった。
「それで、あたしにその話をして、光希ちゃんはどうしてほしいの?」
温度のない声にすくみそうになるのをこらえて、光希は頭を下げた。
「このことは誰にも言わないでほしいの。どうかお願いします」
「ふーん」
越田さんがグラスを置くとカランと氷が鳴った。
「それってさあ、光希ちゃんの保身のため?それともランプのため?」
「それは…両方、かな」
ランプのためだけだとはきっぱり言い切れない思いが自分の中にあって、ごまかさずに打ち明けた。
「わたしにとってランプはひかりちゃんとのつながりを感じられる大切な場所だし、常連さんたちも大好きだし一緒にいたい。そして何よりも、日明さんたちへの償いをしたい」
言っているうちに自分はそうしたいんだと気がつき、声が熱を帯びた。
「どうすれば償えるのかなんてわからないし、償えるようなことでもないと思う。でもそれでも、なにかしなきゃ、見つけなきゃって思うの。私にできるなにかを。日明さんたちに赦されたいとかそういうのじゃなくて、ひかりちゃんのためにそうしたい。あの子の友だちとして。だからわたしは、ランプを離れたくないの」
「はははっ、正直だね光希ちゃん」
越田さんは乾いた声で笑い、射るような眼差しを光希に向けた。
「自分に都合がいいことをのたまって。犯罪者の身内っていうのはみんなそうなのかな」
「麻美ちゃん…?」
越田さんの態度に、声に、何者をも寄せ付けない孤独のトゲが張り巡らされていた。
「五百万円」
「えっ?」
「それにさらに口止め料の三百万円。合わせて八百万円で、あたしは両親に売られた」
なんのことかわからないが不穏な言葉に眉をひそめる光希に、越田さんは透明な笑みを向けた。
「ねえ、光希ちゃん。光希ちゃんの話をきいてあげたんだから、今度はあたしの話を聞いてよ。大嫌いで最低最悪な、あたしの地元の話を」
越田さんの声には煮えたぎる怒りと深い悲しみが潜んでいるように思えて、光希は黙ってうなずくことしかできなかった。




