2014年 晩夏 2
花火大会の当日。てるてるぼうずを作ったかいもなく空には曇天が広がり、ちょっと突けば今にも泣き出してしまいそうだった。天気予報によると夕方からの降水確率は低くなっているが、この分だと怪しい。
せっかくひかりが楽しみにしていたのに、これでは中止になってしまうかもしれない。
吊るしたてるてるぼうずと母の遺影に晴天をお願いしていると、勢いよく玄関が開く音がした。
「おにいちゃん見て見てー!」
「あきらおにいちゃん、ゆかただよー!」
「おじゃまします」
ひかりと麻希のはしゃぐ声に続いて、心司の落ち着いた声が聞こえてくる。
二人は心司の母親に浴衣を着させてもらってごきげんな様子だった。
ひかりは白みがかった緑の地色にひまわりが描かれた浴衣。
麻希は濃紺の地色に水色の朝顔が描かれた浴衣。
活発なひかりと大人しい麻希、それぞれのイメージにぴったりな浴衣だった。
「うん、二人ともよく似合ってるな」
「えへへー」
「ありがとー」
はにかむように笑う二人の横に立つ心司はいつもと同じ、チノパンに黒のポロシャツで日明は安心した。
日明も普段着で、ジーパンに謎の英字の書かれたティーシャツだった。
「心司も、よく似合ってるな」
「うざっ。いつもと同じでしょ」
冷めた調子で言う声がどこか楽しそうに聞こえた。心司もまだ花火大会には浮かれるのかと思うとちょっと面白く、自分だけではないのだと安心した。
「ねえねえ、早く行こうよー!」
「花火始まっちゃうよー!」
花火大会に浮かれている麻希が興奮した様子で心司の手を引っ張った。ひかりはもちろん、さっきから日明の手を綱引きみたいにグイグイと引っ張っていてちょっと痛い。
「ええー、花火にはまだ早くないか?」
「まあ、屋台はもうやっていると思うけど」
花火大会は十九時半からで、今は十八時になろうかといったところだ。花火大会の会場までは歩いて二十分もあれば着く。
「やたいだよ!やたい!」
「チョコバナナ食べたい!」
「わかったわかった。じゃあ行くか。財布とか持ってくるしちょっと待ってて」
「もう、おにいちゃんはやくー!」
「四十秒で支度してこい」
「はいはい」
急かす妹と友人に苦笑いすると、家の固定電話がけたたましく鳴った。
楽しい時間に水を差す電話なんて無視したくなったが、そうもいかずに日明はしぶしぶといった声で応答した。
「もしもし、乃木です」
『もしもし日明か。俺だ。父さんだ』
「父さん?どうしたの?」
「パパ?」
いつもならスマホにかけてくるのに珍しい。何かあったのではと嫌な予感が膨らむ。
父からの電話と聞いてひかりは興味津々といった様子で日明に引っ付いて声を聞こうとしている。
『枝の剪定中にはしごから落ちてしまってな』
「えっ!?落ちたって大丈夫なの!?」
『ああ、下はやわらかい土だったから問題はない。でも足のつき方が悪くて足首を折ってしまった。ついでにスマホも壊してしまった」
「それは、大丈夫じゃないだろ…」
淡々とした声はいつも通りですこし安心したものの、無事とは言えないので言葉に詰まった。
『それで申し訳ないんだが、二週間ほど入院することになる』
「入院…」
入院と聞いて母のことを思い出したのか、ひかりが不安げな顔をして日明のティーシャツを強く引っ張ってきた。
不安なのは日明も同じだったが、ひかりを安心させるために笑みを作って頭をぽんぽんとたたいた。
「大丈夫だよ、ひかり。母さんのときとは違うよ。ただの骨折だから」
「ほんとう…?」
「ほんとう、二週間もすれば退院できるって」
『ひかりも近くにいるのか?』
「うん」
『ちょっと代わってくれ』
促されてひかりに受話器を渡すと、うんうんわかったと二三の言葉のやり取りがあって返された。
それから入院に必要な着替えや日用品を持ってくるように頼まれて電話を切った。
ひかりと麻希が不安げな面持ちで日明を見つめて、心司は眉をひそめている。
「おじさん、骨折したのか?」
「うん、入院するみたい。それで荷物持ってくるように頼まれちゃったから、花火には行けないかなあ」
病院に行くバスにちょうどいい時間のものがあればいいが、この時間だともうだいぶ本数は減っているだろう。
「ええー!花火楽しみにしてたのにい!」
「ひかりちゃん…」
ひかりは泣きそうな顔になって、麻希に背中をぽんぽんされている。どうしたものかと思案していると、心司が助け舟を出してくれた。
「それなら僕がひかりちゃんも連れて会場まで行ってるよ。家には母さんがいるし、日明を病院まで車で乗せて行ってくれるように頼んでみるから、おじさんに荷物を渡して日明も合流すればいい」
病院から花火大会の会場になる海岸までは歩いて二十分もあれば着く。
「それは助かるけど、いいのかな…」
いつも散々世話になっている神谷家に、これ以上迷惑をかけるのは気が咎めた。
そんな日明を気遣うように、心司はやわらかな口調で言った。
「いまさら気にするなよ、そんなこと。僕たちは家族みたいなもんだろ」
「心司…」
ぽんと肩を叩かれると鼻先がツンと熱くなり、ずずっと鼻水をすすり上げた。
「ありがとう。じゃあ、頼んでもいいか」
「もちろん。母さんに言ってくるよ」
心司は家に戻り、日明は急いで荷物をまとめた。まとめた荷物はボストンバッグがパンパンになるほどで、持ってみるとかなりの重さ。
これを持って病院行きのバスが出る停留所まで歩くとなると汗だくになっていたことだろう。日明は心司の母に深く感謝した。
◇
「おにいちゃん、やくそくだからね。いっしょに花火見にいくんだからね」
「ああ、あんまりワガママ言って心司を困らせるなよ」
日明を乗せた軽自動車が出発するのを見送り、麻希たちも出発した。
鉛色の空は気持ちを沈み込ませて、昼間の熱気が残る住宅街は薄暗く蒸し暑い。汗ばんでいるのが自分の手なのか、それとも繋いでいるひかりの手なのかわからない。
しばらく歩いて、やけに静かなひかりをちらりと見ると、もう片方の手にミミ子を抱いて顔をうつむけていた。
「パパ、だいじょぶかなあ…」
家を出るまではわたあめ食べるんだとはしゃいでいたのがウソみたいに沈み込んでいる。
時間が経って父親が入院するということがようやく事実として染み込んできたのかもしれない。
「まきちゃん、パパもいなくなっちゃうのかなあ…」
「ひかりちゃん…」
ぎゅっと強く手を握って、麻希は笑みを浮かべた。ひかりをすこしでも安心させるために。
「だいじょうぶだよ、ひかりちゃん。パパはかえってくるよ」
「そうだよ、ひかりちゃん」
二人の後ろを歩いていた心司がひかりの肩に手を置いた。
「足首の骨折で二週間くらいで退院だって言ってたし、命に別状はないよ」
「うん、でも…」
「そんなに心配なら、ちょっと遠回りになっちゃうけど病院にパパのお見舞いに行ってみる?」
心司の提案にひかりが明るい顔になってこくこくとうなずいた。
病院までの道中には見通しが悪いせいで事故が多発している魔の交差点と呼ばれている場所があり、子どもだけで行っちゃダメだと口酸っぱく言われていた。麻希は心配になったが、心司も一緒なら大丈夫だろうと思い直した。
それに遊びや近道のために通るわけではなくて、お見舞いだから許されるだろうと納得した。
「よし、ついでに日明も迎えに行ってやろう」
「うん!おにいちゃんびっくりするかな?」
「ああ、腰を抜かすだろうね」
イタズラっぽい顔をして笑い合う二人を見て麻希はホッとした。なぜか二人は近ごろあまり話さなくなり、麻希の知らないところでケンカでもしたのかと心配していた。
それが以前のように自然に会話をしているのが、麻希は嬉しかった。
「それじゃあ車通りの多いところを歩くから、僕がひかりちゃんと手を繋いで行こう。麻希は後ろからついてきて」
「うん、わかった」
「ええー、ひかりがひとりでも平気だよ。まきちゃんがしんじおにいちゃんと手つなぎなよ」
ただでさえ落ち着きのないひかりが一人では不安だったから麻希はあっさりうなずいたものの、それが面白くなかったのかひかりがぶーたれた。
「ひかりちゃんはほら、ミミ子をだっこしているからそのぶん危ないだろう。麻希と違って片手が塞がっているわけだしさ」
「それはまあ、たしかに…」
「ちゃんとエスコートさせていただきますよ、お嬢さま」
心司が少女漫画みたいな気取った仕草で手を差し出すと、ひかりはしかめっ面をしながら握り返した。
「そこまで言うならしょうがないわね」
くだらない小芝居になんだこれと笑いあいながら三人は海岸に続く道でなく、病院へと続く道へと曲がった。
鉛色の空はその濃さを増し、遠くからゴロゴロと雷の音が聞こえてきた。
夕立の予感に麻希の顔が険しくなり、ひかりが怯えた声を上げる。麻希はなぜだか急に嫌な予感がしてきて、引き返そうと言いたかった。だけどパパのお見舞いに行くんだと、雷に負けずに張り切るひかりを見て何も言えなくなった。




