2026年 夏 5
『おつかれさま〜 最近ランプ来てないけど忙しい?』
『おつかれ〜 うん、夏休み前でちょっとレポートとか溜まってて』
『ありゃま 学生さんは大変だ レポートがんばってね〜』
『ありがと〜』
近ごろ店に姿を見せない越田さんとのマインのやり取りを終えて、光希はアイスコーヒーを飲み干した。本当はご飯の約束でも取り付けて日明のことを相談してグチりたかったものの、レポートで忙しそうにしているのに付き合わせるのは気が引けた。
アイスコーヒーのスッキリした苦みが鼻を抜けて、午後もがんばろうとシャキッと気持ちを切り替える。
ランチタイムのピークを過ぎたまかないの時間。ナポリタンを食べ終えた光希は大きく伸びをして皿を片付けた。
「ごちそうさまでした〜。今日も美味しかったです」
「そうですか」
午後のパフェタイムに向けて準備をする日明に声をかけるも、顔も向けずにそっけない。
いくら意中の人がいるからと言って、こうも異性の同僚に冷たくする必要もないだろうと不満が入道雲のようにムクムク膨れ上がる。
しかしそれを表に出しては日明と同じだと、光希はグッと笑顔を作ってねじ込んだ。
日明は今日も小さなミスを重ねていた。
家で悠一がビシッと言ってくれないか期待していたものの、日明の様子はまるで変わっていない。仕事中であってもどこか上の空で、作業に集中できていない。
どうにも悠一は息子に甘い。
日明の事情は概ね悠一から聞いていた。光希にだって日明に同情する気持ちはあるし、がんばってやり直しているのを応援だってしている。
だけどそれにしたって、今の日明には一言ガツンと言って然るべきだろう。
それとなく悠一に水を向けてはいたものの、のらりくらりとはぐらかされてしまっていた。
気の長い悠一らしいことだとは思ったが、あいにく光希は悠一ほどの気の長さを持ち合わせてはいなかった。というか有り体に言って、自分だけが妙に冷たくされるのも、日明に意中の人がいるというのも、ダブルで面白くなかった。飼い犬に手を噛まれる的な不条理を感じるほどに。
仕事のミスは言うほど気にしていない。ミスすることは光希にだって悠一にだってあるし、カバーし合えばいいだけのこと。そのために同僚というものはいると光希は思っている。
問題はそれが続いているのに、誰にも相談しようとしない日明の姿勢だ。
もっと私や悠一さんを、あるいはほかの誰かでもいいから、信用して頼っていいのに。
頑なでひたむきな日明の姿は、誰かに頼ることを忘れていたころの自分を見ているようで、胸が苦しくなった。そうすることで自分を罰して、安心しているように見えて。
もしも日明が誰にも頼らず、心の内を見せないことを自分に強いているのなら、そんなさみしい考えやめてほしかった。それでは人を遠ざけるだけだと、光希は知っていたから。
日明の調子が今ひとつであろうと客足には関係なく、その日の午後もランプは大いに賑わっていた。
「アキラパフェふたつにナポリタンひとつお願いしまーす」
「あっ、ブレンドとナポリタンで」
「ナポリタンふたつとパフェひとつね。パフェは食後でお願い」
つい先日、そこそこ有名なユーチューバーがパフェだけでなくナポリタンも美味しいお店と宣伝してくれたおかげで、ナポリタンの注文が多く出るようになっていた。
利益率が高いナポリタンの注文が増えるのは嬉しいが、そのぶん並行して調理する手間も増える。
ナポリタンの麺はある程度の量を茹でておき、しばらく水に漬けてモチモチ感を出すという一工夫をしていた。しかし予想外の注文の多さに、用意していた麺がこの分だと尽きてしまう。
その前に麺を茹でて水に漬けておかなければならない。
日明はなんとか調理の合間を縫って麺を茹でて、慌ただしくザルにあけようとした。
それがよくなかった。
「あっつ!」
賑わっていた店内に大鍋が転がるけたたましい音が響き、それに日明の短い悲鳴が重なった。
鼓膜を揺さぶる不穏な音に賑わっていた店内は水を打ったように静まり返り、ざわつきが広がった。
「日明さん!」
いち早く動いたのは光希ですぐさま日明に駆け寄った。
日明は麺をザルにあけようとしてお湯を被ってしまったようで、左腕の肘から先が真っ赤になっていた。流しには大鍋が転がり、散らばった麺がもうもうと湯気を立ててその熱さを物語っている。
「冷やして早く!」
「でもパスタが…」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
蛇口の栓をひねって水を出すと、日明を押しやって冷やすように促した。日明は渋々と言ったていで腕を冷やし、痛むのか顔をしかめている。
「大丈夫か日明?」
客を落ち着かせていた悠一がカウンターに入り、心配そうに眉をひそめた。
「うん、ちょっと冷やせばだいじょ」
「大丈夫じゃないでしょう、これだけの範囲を火傷して。病院行かなきゃダメですよ」
「確かに、これは酷いな」
顔をしかめた光希が言下に言い切るのに、悠一も同意した。
「そんな大げさな…」
「大げさじゃないです。無理して悪化したらどうするんですか」
「そうだぞ日明。光希ちゃんの言う通りだ」
二人がかりで言われて、日明はスネたような顔をしてそっぽを向いた。
「タクシー呼ぶから、光希ちゃん付き添ってもらっていいかな?僕は店の方をなんとかするし」
「了解です。悠一さん、タクシーも私が呼んどきます」
「オッケー、助かるよ。ありがとう、光希ちゃん」
「付き添いって、子どもじゃないんだから」
「日明」
珍しく悠一が強い口調で制した。
「頼るべきところではちゃんと周りを頼りなさい。そうしないと僕たちだって日明を頼りづらくなってしまうんだから。いいね」
「はい…」
うなだれるように日明が返事をすると、悠一は優しく微笑んだ。
「まっ、持ちつ持たれつでいこうぜ。とか言いつつ、パフェのことでは日明に頼りっきりなんだけどね」
脳天気な顔をして笑う悠一に、日明の頬がわずかにゆるんだ。
光希はそれを見てほっと息をついてタクシーを呼んだ。事情を説明するとちょうどすぐ近くを流している車があるので、五分もすれば来てくれると言う。
氷をポリ袋に詰めてタオルで巻いて即席の氷嚢を作って渡すと、日明は素直に礼を言って受け取った。
久しぶりに目が合ったなと思い、こんなときなのにすこしだけ胸が弾んだ。




