2026年 夏 4
この前の休みから日明の様子がおかしい。
無口で無愛想なのはいつも通りではあるものの、明らかに光希に対してよそよそしい。
ようやく慣れてきてくれたと思ったのに、まるでふりだしに戻ってしまったかのように、いや、初対面のころ以上によそよそしい。
仕事に関すること以外ではほとんど口を聞かなくなり、ようやく合うようになってきた目がまるで合わない。合ってもすぐにそらされる。
そのくせふと気がつくと、何かもの言いたげな顔をして光希を見つめていることがある。「どうかしました?」と聞いても、「何でもないです」と拒絶するような強さで返されて会話の糸口にならない。
一緒に食べることが増えてきたまかないも、忙しさを理由に断られるようになった。別にその作業、いまやらなくてもいいのに。
それらが光希にとって大いに不満ではあったが、百歩譲って許してやろう。しょせん仕事の付き合いと思えば、さみしくはあるが納得できないことはない。
問題は仕事に関してはしっかり者の日明らしくないミスを連発していることだ。
オーダーにないものを作る。具材を焦がす。パフェの盛り付けを間違える。淡々とこなしていた並行しての調理が上手くできなくなっている。そのせいで注文を捌き切れずに焦り、またミスが増える。するとわかりやすく落ち込む。
悠一や光希がドンマイと励ましても、ミスをズルズルと引きずってしまうのが日明の悪いところだ。光希なんて一日に何度もポカをやらかして、笑ってごまかしているというのに。
それだけでなくこれまではほとんどなかった包丁で指を切ったり、火傷まで増えてきているのが気になった。両手のあちこちに絆創膏やガーゼが貼られて痛々しい。
傷口から滴る血を眺めて、ホッとしたような顔をしていたときにはゾッとした。まるでそれで自分を罰して、安心しているように見えて。
上の空になることが増えているだけでなく、心のバランスまで崩しているように思えてならない。
何かあったなら話してくれればいいのに、日明は何をどう聞いても頑なに抱え込んで話してくれない。
付き合いの浅い自分に対してならそれもしょうがないと思えたが、悠一に対してもそうらしい。
「何かあったのか聞いても『別に』だって。いや、困ったもんだね。遅れてきた反抗期かな」
おどけたように言って肩をすくめている。
珍しく日明が体調不良を理由に休みを取った日の午後。日明がいないと人手が足りずにパフェを売り出すことができないため、ランプには久しぶりにゆったりした時間が流れていた。
話題となるのは当然、近ごろ様子のおかしい日明のことだった。
「悠一さんにもそうなんですね。日明さん、ほんとにどうしちゃったんだろう…」
何か悩みがあるのなら話してほしい。元カレの件で助けてもらったから、今度は遠慮なく自分を頼ってほしい。自分にも日明の荷物を持たせてほしい。
光希はそう思っているのに、日明は話すどころか遠ざけようとしている。
「わたしなにかしちゃったかな…」
シュンとうなだれる光希を見て、悠一が甘酸っぱいものを食べたような顔になった。
「日明にも光希ちゃんみたいに心配してくれる女の子ができるなんて、青春だ…」
「べ、別に心配ってわけじゃないです。仕事に差し支えるのはわたしも困るから、なんとかしなきゃって思ってるだけです」
「うんうん、わかってるよ」
「その顔、ぜんぜんわかってないですよね」
悠一のニヤけ面を光希が仏頂面で睨みつけているとカランコロンとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
すぐさま営業スマイルを作り、入ってきたのが常連とわかって自然と笑みが深まった。
「あっ、新垣さん!」
「こんにちはー」
「いらっしゃい、新垣さん」
常連の一人である新垣さんはスツールに座るやいなや、カウンターから身を乗り出さんばかりの勢いで話し出した。
「ねえねえ、光希ちゃんもマスターも聞いて聞いて。大ニュースよ」
手をパタパタと振りながら興奮する新垣さんに光希は首をかしげた。
「えっ、なんです新垣さん。大ニュースって」
「とりあえずアイスコーヒーでいいかな?」
お冷を出しながら悠一が聞くと、新垣さんはうなずいてからキョロキョロと店内を見回した。
「日明くんはいない、ね。よし」
光希と悠一は顔を見合わせて、新垣さんに向き直った。
「なによ新垣さん、大ニュースって日明のことなの?」
「そうなのよ悠一さん。一昨日の月曜日、アタシ主婦友とパフェが美味しいって評判のカフェに行ったんだけどさ、そしたらいたの、日明くんが」
「日明さんはパフェの勉強のために食べ歩きをしていますから、いても不思議は…」
「違うのよ光希ちゃん」
どちらかと言えばドライな新垣さんが言葉を遮るなんて珍しく、光希は面食らった。よっぽどのものを目撃したのだろうか。
「日明くんね、なんと女の子と一緒にいたの。それもすっごくかわいい、お嬢様みたいな子と。もちろん二人きり。あれはデートよ、デート。間違いない。顔を寄せ合ってメニュー見たり、パフェをあーんなんてしちゃってねえ。もうアタシ、甘酸っぱい気持ちになってたまらなかったわよ。ああ、アタシもあの頃に戻りたい。キュンキュンしたいわあ」
「へえ、日明がねえ」
うっとりと指を組む新垣さんにアイスコーヒーを渡して、様子がおかしかったのはそのせいかと悠一は納得した。
深刻そうな顔してたくせになんてことはない、ただの恋わずらいとはなんて人騒がせな。
しかしそれも無理もないのかと思う。
日明の人間関係は不登校になった中学三年生のころからほぼストップして、ようやく広がりを見せてきたのはここ数年のこと。彼女という存在は悠一が知る限りいたことがないし、デートともたぶん縁はなかった。
日明は専門学校に通っている最中もひたすら勉強やバイトに集中して、久しぶりの学生生活を謳歌している様子はみじんもなかった。たまにある学校もバイトも休みの日は、電池が切れたかのように家で寝ていることがほとんどだった。
まるで修行僧を思わせるストイックさに、学費を払っている側の悠一が「もっと遊んでいいんだぞ」と諭す始末だった。
そんな日明がデートだなんて。仕事も手につかないほどの激しい恋ををする日がくるなんて。
「青春、だな…」
目を細めてうなずきながら、光希のリアクションがないのが気になった。
この手の話は女子の好物なはずなのに、光希は特に色恋沙汰が好きそうに見えるのに、まさかのノーリアクション。
横目でちらりと見ると、光希は能面のような顔をしていた。
目は瞬きを忘れたように開かれて中空をじっと見つめ、口は真一文字に引き結ばれている。この上ない無の表情。
「あらあら光希ちゃん。その顔はまさか…」
ニヤニヤする新垣さんに、光希は目の笑っていない笑顔を返した。
「まさか、なんですか新垣さん。私はただ、プライベートなことで業務に支障をきたしていた日明さんに呆れているだけです。恋愛なんかで仕事をおろそかにするなんて、童貞じゃあるまいし。今日休んだのだって、まさかデートじゃないでしょうね」
「そ、そうね。うん、仕事にも影響があるのは、困っちゃうわよね」
「み、光希ちゃん。ほんとに日明にしては珍しくしんどそうだったからね。えっと、熱もあったし」
熱があるかは知らなかったがあることにしておいた。日明のためだ。
「そうなんですか。確かにこのところ忙しくはありましたもんね。それで慣れないデートまでなさっていたら、お疲れになられて熱が出るのも無理はないでしょう」
あっ、ダメだこれは。たぶん何を言ってもトゲのある返事しか返ってこない。
その後、悠一と新垣さんでなんとか光希の機嫌を取ろうとしたものの暖簾に腕押しに終わった。




