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ロスト  作者: みそ
2026年 春
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2026年 春 2

 雨宮日明(あめみやあきら)は人が怖い。

 腹の底では何を考えているのかわからず誰も信用ならない。どんなに信じて一番の友だちだと思っていても、裏切られることはあるのだから。

 あまり人と目を合わせられない。その目の奥底にあるものを見たくない。また人を信じて裏切られるのが、たまらなく怖い。

 もう傷つくのは嫌だった。瞼の裏に浮かんだのは蒼白く整った顔。かつての親友。今ではなんと呼んだらいいのかわからない相手。

 ランプでは日明の事情を知る悠一が人との関わりが必要最小限で済むように気を配ってくれていた。基本的に日明がコーヒーの抽出や調理を行い、接客は悠一が担っていた。

 日明はひたすら一人の作業に没頭していられるそのスタイルが落ち着いた。抽出されるコーヒーの馥郁(ふくいく)たる香り、材料を刻むときのリズム、出来上がった料理の鮮やかさ。自分の仕事にだけ没頭していられるその時間が日明は落ち着き、店内に何人の客がいようとも一人でいるような気持ちになれて、何時間でもそうしていられた。

 悠一はそんな日明のことをよく理解してくれていて、必要最小限のことしか日明に声をかけず、客との会話もできるだけ一人で完結させるようにしていた。

 うっすら何か事情があるのだろうなと察している常連たちも無理に日明と話そうとはしなかった。挨拶と美味かったよの声かけくらいで、あとは放っておいてくれた。

 ランプは日明にとって落ち着ける職場だった。

 だと言うのに、新しく入ってきたバイトの向井光希(むかいみつき)はやたらと明るく賑やかで、なにかと日明に声をかけ、客との会話に巻き込みたがった。

 客と音楽の話をしていて、「ええー、わたしその曲聴いたことないかも。日明さん聞いたことあります?」と水を向けられらたときには「ないです」とだけ答えた。日明の好きな曲だったが早く会話を終わらせたかったから。

 客のテッパン話に「あはは、日明さん今の聞きました。傑作ですよね」と肩をたたいて同調を求められたときには「聞いてませんでした」と素っ気なく答えた。その話はしっかり聞いてて、日明のツボだったが表情を微塵も変えずに。

 調理をしていると「わっ、すごい!おいしそう!」とよだれをたらさんばかりの目で見てくるのは悪い気はしないが、どう答えていいかわからないから小さくうなずいていた。気の利いた言葉は日明から出てこない。

 などなど、そんなことをされて日明は一人の世界に入り込むことができなくなり、ランプは地雷原を歩くような落ち着かない場所になっていた。


 光希はパーソナルスペースが狭く、それも日明を落ち着かなくさせていた。

 狭いカウンターの中を行き来するときには仕方がないが、それ以外のとき、例えば出勤してきて挨拶をするときとかムダに距離が近い。


「おはようございまーす」


 わざわざちょっと手を曲げれば握手できるくらいの距離まで近づいてきて、


「今日もよろしくお願いします」


 と朝日よりも眩しい笑顔を向けてくる。日明はいつもちょっと目をそらして一歩引きながら挨拶を返している。

 日明にとって他人との適切な距離感は前ならえ二回分くらい。数字にするとだいたい1.5メートル。大抵の人がちょっと遠いなと感じるくらい。それくらいが日明にとっては落ち着いて話しやすい。

 対する光希のパーソナルスペースは腕を伸ばしきっての前ならえでなく、肘で曲げて半ならえくらいの距離感。

 人が怖いとはいえ日明も健康な成人男性。それくらいの距離に近づかれるとどうしても意識してしまう。いい匂いがふんわりと漂って、ドギマギと挙動不審になってしまう。

 だから日明は絶対変なやつだと思われていると思いつつ、できるだけ光希と物理的な距離を取るようにしていた。

 六歳も年下の光希と何を話していいかわからなかったし、異性に免疫もないし、その年齢差は日明に辛い記憶を呼び起こさせるものでもあったから。

 二十歳。もしも生きていれば、この子と同い年。あいつもこんなふうに明るく、人懐こい子になっていたのだろうか。

 そんな思いが脳裏をよぎり、過去が呼び覚まされる。

 辛く悲しいその記憶をいたずらに思い出したくなかった。大切な思い出であっても、いつまでも血を流して鮮烈な痛みを呼び起こすから。

 決して忘れたいわけじゃない。忘れられるわけがない。でも思い出すのが苦しい。あの日のことを夢に見ると、眠れなくなるくらいに。

 けれど屈託なく人懐こい光希とどう距離を取ればいいのか、日明にはわからなかった。

 来るものを受け入れることも突き放すことも、今の日明にはどちらも難しい。どちらもそれなりのエネルギーを要する。

 どちらも選べないまま、日々息苦しさばかりが募っていった。

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