2014年 夏 5
母を失ってから二度目のお盆のすこし前。
このところ塞ぎがちで、あまり神谷家に行きたがらなくなっていたひかりがはしゃいだ声を上げているのを聞き、日明は安堵していた。
「ひかりちゃん大きくなったなあ。お母さんに似てきたよ」
「ほんと、子どもの成長ってあっという間ねえ。私も歳を取るわけだわ」
お盆には来られないからと、母方の叔父夫婦がお参りに来てくれていた。小さいころから可愛がってくれている叔父夫婦に、日明もひかりもよく懐いている。母の死をきっかけに、よかったら家に来るかいと言ってくれたときには大いに悩んだが、「パパひとりじゃかわいそう」と言うひかりに日明も同意した。
父をひとりにしたら母と同じところに行ってしまうような気がして、怖かった。
今ではひかりだけでも預かってもらえばよかったと後悔しているが、今さら言い出すことは責任を放棄するようで日明にはできなかった。
久しぶりのお客さんにひかりはご機嫌で、安心できる大人にすっかり甘えていた。
「ほんとにい?ひかりママに似てる」
「そっくりだよ。今度お母さんが子どものころのアルバム持ってきてあげるね」
「やったあ!約束だからね!」
叔母の膝の上に乗ってはしゃぐひかりに日明はちょっと意地悪を言った。
「ひかり、今日はおじさんとおばさんをおもてなしするんじゃなかったの?」
「あっ、そうだった!おもてなしだった!」
パッと立ち上がり、台所にいる日明のところに走る姿が全力そのもので、ひかり以外のみんなに笑みがこぼれた。
ちいさな仏壇に飾られた母の遺影も、いつもより笑みが深くなっているように見える。
「じゃあこれを持っていってください」
「はい!」
仕事の都合で家をあけている父が買っておいた、ちょっとお高い季節のフルーツゼリー。よく冷えたそれとスプーンを乗せたお盆をひかりが座卓に置くのを見届けて、日明はグラスに麦茶を注いだ。
それぞれの前にあらかじめひかりが決めておいたゼリーが配られる。
「ひかりはモモで、おじさんはパイナップルで、おばさんがメロンで、おにいちゃんはスイカね!」
なんの基準で決めたのかはよくわからないが、モモはひかりの好物だった。
「ありがとう、ひかりちゃん。おじさん夜も眠れなくなるほどパイナップル好きなんだよ」
「初耳なんだけど。いつもイビキかいて寝てるくせに」
「そりゃあなた、あえて言ってなかっただけですよ」
「別に秘密にするようなことでもないじゃない」
すっとぼけたように言うおじさんに小さく笑いつつ、日明はみんなの前に麦茶を配った。グラスに入れた氷がカランと揺れて涼し気な音を立てる。
「日明くんもありがとう。夏と言えば麦茶だね」
「うちでは一年中麦茶じゃない」
「あっ、あれ麦茶だったんだ」
「いったい何茶だと思ってたのよ」
おじさんとおばさんの会話は漫才みたいにテンポがよくてつい笑ってしまう。
「ひかりのうちもそうだよ!」
「安いもんね、麦茶」
日明が座りながら言うと、おばさんがうんうんとうなずいた。
「日明くんも大きくなったわねえ。すっかり所帯じみた言い方するようになっちゃって」
「ポイントカードとかクーポンとかも使ってるよ。あとエコバッグも」
「ちゃんとしてるなあ。えらいぞ、日明くん」
大人たちにほめられて日明がほっこりしていると、ひかりが負けじと口を開いた。
「うんとね、ひかりはお皿出したりテーブル拭いたりしてるよ!」
「そうかそうか、ひかりちゃんもえらいなあ。いや、うん。二人とも、ほんとにえらいよ…。お母さんがいなくなってからも、よくがんばってるよ…」
おじさんが横を向いて目頭を押さえるのに、ひかりが首をかしげている。おじさんは昔から涙脆い。姉の急逝からは一段と。
「あっ、ゼリー美味しーい。果物の女王はマンゴスチンじゃなくてメロンね。ひかりちゃん、おばさんのゼリーひと口食べる?」
「うん!食べるー!」
「はい、あーん」
「あーん」
おばさんがひかりの気を引いている隙に、日明がそっとティッシュ箱をおじさんに滑らせた。おじさんは無言で日明に礼を言い、ティッシュで素早く涙を拭って鼻をかんだ。まるで熟練のバッテリーのように息の合った連携プレー。
「うん、メロンおいしーい!おばさんも、あーん!」
「あーん。うん、モモも美味しいね」
ひかりはみんなの分のゼリーをひと口もらって満足し、残ったモモのゼリーは日明が食べた。
ひと休みしてひぐらしが鳴き始めたころ、おじさんの車で墓参りに行った。
乃木家の墓は海の見える高台にあり、夕方に行くと海に沈む美しい夕陽を拝める。
丁寧に掃除をして花を飾り、線香を上げて手を合わせた。
母がこの冷たい御影石の下にいるということが、日明にはまだ実感が湧かない。夕方くらいになったらひょっこり玄関を開けて、あの懐かしい声で「ただいまー」と帰ってくるんじゃないかと思うときがある。
そんなことあるはずがないと頭ではわかっていても、心がまだ追いつけていない。
自分より幼いひかりは尚更だろうと思うと、胸がきゅっとすぼまった。
「お盆の手前だけど、お母さんも許してくれるでしょ」
「おぼんってなあに?」
自分が知らないことはなんでも気になるひかりに尋ねられて、おじさんはちょっと考えてから答えた。
「死んだ人のたましいが帰ってきて一緒に過ごせる期間、かなあ」
「えっ!?じゃあママが帰ってくるの!?」
「うーん、なんて言うかなあ。帰ってくるには帰ってくるんだけど」
期待に輝く目を向けられておじさんが困った顔になると、広々とした墓地にけたたましい着信音が鳴り響いた。
「あっ、ごめん、電話だ」
おじさんは顔をしかめるとすこし離れたところで電話に出た。仕事の電話らしく背筋が伸びている。忙しいなかわざわざ来てくれたんだなと、日明は頭が下がる思いがした。
「ひかりちゃん、いい子にしてお兄ちゃんのお手伝いしてたら、お母さんはお盆に帰ってきてくれるよ」
おばさんが後ろからひかりの肩に手を置いた。ひかりはおばさんの手に自分の手を重ねて、無邪気に見上げる。
「ほんとう?」
「うん。お姉さんになったひかりちゃんの姿を見せて、お母さんを安心させてあげよう」
「うんっ!ひかりいい子にする!」
ひかりが満面の笑みを浮かべてミミ子を抱きしめると、海を渡る風がさあっと拭いて伸びてきた髪を揺らした。
海に沈んでゆく夕陽が海面を煌めかせ、その上を海鳥たちが飛んでいる。さらにその上の高い空の向こうから、母が自分たちを見ているような気がした。
母のいない季節が、巡ってゆく。




