2014年 夏 2
日明にとって数少ない夏休みの息抜きは、ひかりと一緒に神谷家に遊びに行くことだった。
神谷家は日明が小学二年生のとき、隣の空き家に引っ越してきた。
小学二年生の男の子とよちよち歩きの女の子に両親と、家族構成が似通っていたので両家は自然と交流を持つようになった。
神谷家の男の子、心司は真っ白な顔をしていつも無表情で日明は苦手だった。同い年の男の子が隣に越してくると聞いてワクワクしていたのに、心司は初対面から日明が何を言ってもニコリともせず、何を聞いても反応が薄くてとっつきにくかった。
こいつとは仲良くなれそうにないな。
初対面で見限って仲良くなるのを諦めたものの親同士の付き合いがある手前、邪険にもできず一緒に登校していた。でも学校ではひとりでいる心司から離れて別行動していることが後ろめたかった。
親から学校での心司の様子を聞かれるたびに、ウソをついて取り繕うのが苦痛でならなかった。心司を交えないで行っていた遊びの中に彼も参加していたていで話をするたびに、重く湿って濁ったものが胸に溜まっていった。
それでも日明は、同級生の間で評判が悪い心司と仲良くする気にはなれなかった。爬虫類みたいで気持ち悪い、人形みたい、何を考えてるかわからない、などと言われている心司と仲良くし、自分もそんなふうに言われるのを恐れていた。
そんな心司と仲良くなるきっかけは突然やってきた。
その日はプールの授業があって、日明はすごく楽しみにしていた。だけど着替えの時間になって水着を忘れてきたことに気がついた。
プールの日はズボンの下に水着を履いてきていたのが、その日は朝寝坊したせいで忘れてしまっていた。ズボンの下は普通のパンツ。履いてくるつもりだった水着はプールセットの中に入っていない。
水着に着替えた友だちが次々に出ていってしまい、教室に取り残された日明はため息をついた。
「どうかしたの?」
「うわっ」
てっきりひとりになったと思っていた日明は、後ろから声をかけられて跳ね上がった。
声をかけてきたのは夏でもほとんど日焼けしておらず、青白い顔をした心司だった。
「脅かさないでよ、神谷くん」
「ごめん。いつも最初に教室を出ていくのに、なかなか行かないなと思って」
「水着忘れちゃってさ。あーあ、プール楽しみだったのになあ」
「ああ、それで」
スネた顔をして机につっぷす日明に心司は提案してきた。
「それなら乃木君、僕の水着貸してあげようか?」
「えっ、なんで?神谷くん水着二枚持ってるの?」
「ううん、一枚だけ」
「だめじゃん。それじゃ神谷くんが授業受けられなくなっちゃうよ」
「いいよ、僕水泳の授業嫌いだし」
「いやでも、それってなんかズルいような…」
「でも乃木君は水泳の授業に出たいんでしょう?」
「うん、そうだけど…」
じっとこちらを見つめてくる心司の目が、深い湖のように澄んでいるのに初めて気がついた。綺麗だけど、見つめ続けていると深いところに吸い込まれてしまいそうで怖くて、少し目をそらした。
「それならそうするのが一番いいよ。僕は仮病を使ってサボるのは気が引けるけど、乃木君に水着を貸して受けられないならしょうがないと堂々と休める。乃木君は楽しみだった水泳の授業に出られる。サボりたい僕と授業に出たい乃木君、どっちも得をする。これって一石二鳥ってやつじゃない?」
ペラペラと無茶苦茶な理論を展開する心司を、日明はぽかんとして見つめた。
「えっと、だめかな…?」
さっきまでの勢いがウソみたいに自信をなくす心司がおかしくて、笑いが込み上げてきた。
「あははは!神谷くんって変なやつだね!」
「えっ、そう…?」
「うん、大人しいやつだなと思ってたら急にこんなこと言い出すんだもん」
目尻に涙を溜めて笑う日明に、心司は嬉しそうに小さな笑みを返した。
いつも無表情で人形みたいにのっぺりした顔が、笑うとえくぼができて急に人懐こくなった。
「神谷くん笑うとえくぼできんだね」
「あっ、ごめん。気持ち悪いよね…」
「なんで?かわいくていいと思うよ」
「そ、そうかな?」
「うん。無表情でいるよりずっといい」
「そんなこと言う乃木君のほうが、よっぽど変なやつだよ」
「おっ、意外と言うじゃん」
照れたようにそっぽを向く心司から水着を借りて、日明は水泳の授業に出た。プールサイドで見学している心司と目配せをして、声を出さずに笑いあっているとクラスメイトから声をかけられた。
「どうしたんだよアキちゃん。あんなやつと目合わせて」
「意外と面白いやつだよ、あいつ」
怪訝そうに首をかしげるクラスメイトに笑い返すと、日明は水しぶきをあげて思いっきり泳いだ。
水泳の心地よい疲れを抱えて家に帰り、洗濯をした母から「どうして心司くんの名前が書いてある水着がうちにあるの」と問い詰められた。日明は心司みたいに口が回らなくて正直に答えると大目玉を食らった。
母と一緒に水着を返しに行くと、心司も自分の母親から大いに怒られて二人はバツとして一週間それぞれの家の前の掃除を命じられた。
早朝にほうきとちりとりを持って家から出ると、同じように出てくる心司を見つけて日明はニコリと笑って声をかけた。
「おはよう、神谷」
心司は戸惑ったような顔をしたあとえくぼを向けてきた。
「おはよう、乃木君」
それから二人は一緒にいたずらをして怒られたり、ゲームに熱中したり、どちらが先に九九を覚えるか逆上がりができるようになるかを競い合ったりして仲を深めていった。日明と遊ぶ心司にクラスメイトも興味を示し、自然とクラスの輪の中に加わっていった。
二人の妹たち、ひかりと麻希も兄たちのように仲良く育ち、お互いの家は勝手知ったる我が家になっていった。
それは日明が中学二年生になって家庭の様相が大きく変わった今でも続いている関係だった。




