2014年 夏 1
乃木日明は疲れ切った顔をした中学二年生だった。
日明が中学生になるのを待っていたかのように持病が悪化して母が亡くなり、それからは父と六つ歳の離れた妹のひかりと三人で暮らしていた。
母の死から一年。周囲の人達の協力もあってなんとかやってこられたが、日明の心は軋んで張り裂けそうだった。
日明は歳の離れた妹の世話や家のことをするために、同年代の子どもたちよりも早く大人になることを強いられていた。誰にも疲れを見せずに、誰にも心の内を漏らさずに、常に明るさの仮面を被ることを心がけていた。そうすることで自分すらも欺くかのように。
手間取りながらなんとか慣れない家事をこなし、ひかりを風呂に入れたり添い寝したりと、家にいるときの日明には自分の時間というものがほとんどなかった。
元から甘えんぼうではあったが、母を亡くしてからのひかりは心細いのかずっと日明にくっつくようになっていた。兄妹仲は良く、日明は歳の離れた妹を可愛がっていた。母を亡くしたさみしさは日明も同じで、最初のころは悲しみを分け合うように寄り添っていられた。
けれどすぐに、母に会いたいと夜泣きするひかりをあやすのに疲れ、赤ちゃん返りしたかのようにおねしょをするのを片付けなければならないことに辟易するようになった。睡眠不足と朝から増える余計な仕事は、岩が波に削られていくようにゆっくりと日明の心をすり減らしていった。
庭師をしていた父は妻の死後、心を病んだ。働くことだけで精一杯で日明とひかりを支える余裕なんてなかった。家に帰ってきても日明の作ったご飯にはもろくに手をつけず酒をあおり、気絶するように眠るか、古いアルバムを開いて亡き妻との思い出を偲ぶばかり。家にいるときは常に酒の臭いをさせて、暗い目をする父をひかりは怖がり、日明への依存をますます深めた。
ガッシリと頼もしかった父がやせ細っていくのが心配だったが、親子の対話は日に日に減っていった。父は日に日に身にまとう影を濃くして自分の殻に、あるいは幸せだった過去にこもるようになっていった。家にいるときの父は妻と使っていた寝室から出てくることがほとんどない。
自分に依存する妹と、殻にこもっていく父。
日明のまだ華奢な双肩には、十四才の少年が背負うにはあまりにも重たい荷物が乗っていた。
どうして死んだんだと母の遺影に向かって恨み言をぶつけて、そんな自分が嫌になって涙を流すことがあるほどに、日明は追い詰められていた。
日明にとって自分の家は息苦しく、手足を縛り自由を奪う鎖のように思えた。
だけど日明は家で笑顔を絶やさないようにしていた。日明は母に託されていたから。
『お母さんがいなくなった後の、この家をお願いね。お父さんは心が不安定だし、ひかりはまだちっちゃいから、あなただけが頼りなの。日明、あなたがこの家の、光になって』
子どもながらに責任感の強い日明は、その言葉をひたむきなまでに守り続けていた。家を照らす太陽だった母の代わりになろうと必死に努めていた。
それが母との、最後の約束だったから。
日明にとって学校は唯一の年相応でいられる場所だった。
友だちと他愛のないことを話して、何も考えずにばか騒ぎをして笑っていられる場所。何の責任も負わなくていい、無理に明るく振る舞わなくていい、のびのびと息を吸って吐ける場所。
できることならずっと学校にいたいくらい、日明は学校に癒されていた。
しかしそれも夏休みになると奪われてしまった。おまけに中学校とだいたい同じ期間、小学校にも夏休みがある。
ひかりと過ごす、長く暑く、吐き気のする夏。
毎日の晩ごはんの献立を考えるだけでも頭が痛くなるのに、昼まで考えなければならないのが日明にとって一番の重荷だった。日明は外食や惣菜を買ってくることは甘えだと思い込み、できるだけ頼らないようにしていた。母もそうしていたから、自分もそうしなくてはと思い込んでいた。
ひかりは好き嫌いが多く、家だとわがままを言って決まったものばかりを食べたがる。給食ならみんなにつられてだいたいのものは食べてくれるのに。
ひかりは特にケチャップ味のものを好み、リクエストに応えていると延々とナポリタンとオムライスを食べることになってしまう。家庭科の教科書を開いて栄養バランスを考えるほど真面目な日明にとって、それは許容できないことだった。
「お兄ちゃんのナポリタンとオムライスひかり大好きー!」
でも屈託のない笑顔でそう言われると嬉しくなり、作ってしまうのが日明だった。けっきょくお昼の大半はナポリタンかオムライスを作っていた。
ケチャップで口の周りをベチャベチャにしたひかりの顔を拭いてやるとき、日明は胸の奥から湧き上がってくるあたたかくてやさしいものを確かに感じた。きれいになった顔で笑うひかりを見ると、なぜだか母を思い出して切なくなった。
うるさいしウザいしいなくなればいいと思うこともときどきあったが、日明にとってひかりは大切な妹だった。




