ドジっ娘OL 第九話。
つくし野にある春野家の2階。
ひなの部屋から電子キーボードを弾く音が聞こえる。
♪♪♪♪♪~。
ひなは子供の頃から使っている≪コイズミ≫の学習机の上に電子キーボードを置き、ピアノの練習をしていた。
「ふん、ふん、ふん~♪♪♪。」
鼻歌交じりに機嫌よく練習するひな。
1階から母、裕子がひなを呼ぶ声が聞こえた。
「ひなちゃ~ん、晩御飯の時間よ。」
「今、行きま~す。」
1階のダイニングに降り、晩御飯を食べるひなと両親。
父、浩志が間を置き、少し真剣な表情をすると、ひなに話しかけた。
「ひなちゃん、ちょっといいかな?お父さんね、会社を辞めることにしたんだ。」
ひなは突然の父の話にショックを受けた。
「幸い、声をかけてくれる会社の研究所が大阪にあってね。そこへ行こうと思う。」
そう言って食事を終え、浩志は箸を静かに置いた。
「お父さんはお父さんらしく、不器用なりに残りの人生、頑張ってみるさ。お母さんと楽しくやるんだよ、ひなちゃん。」
浩志は立ち上がり、ひなの横を通り過ぎた。
ひなは振り向き、父親を見てうつむくと呟いた。
「不器用なりに、頑張るかぁ……。」
渋谷の老舗洋食店に入るひなと青木。
ひなはライトベージュのコートを脱ぎ、淡いピンクのニットに花柄のスカート姿になると、ダークブラウンの木製の椅子に腰掛けた。
ひなの前にはネイビーのジャケットを着た青木がいる。
「こちら、トロトロ卵のオムライスになります。」
洋食店の従業員がオムライスをひなの前に出した。
「うわぁ、美味しそう!!」
ひなは目をキラキラと輝かせ、アホ毛をピョンピョンと揺らした。
美味しそうにオムライスを食べるひな。
「うん、美味しい!!トロトロ卵、最高!!」
青木が意味ありげな表情でひなを見つめた。
ひながオムライスを食べ終わる。
「春野さん、この後、渋谷スカイに行きませんか?」
「えっ、あっ、はい!!」
ひなの顔に満面の笑みがこぼれた。
ひなの中のひなが呟く。
(ナイス!!やるじゃない、この男!!)
2人は洋食店を後にし、渋谷スカイへ向かった。
屋上に着くと、2人の眼下に東京の街並みが広がる。
ひなは思わず声を出した。
「わぁ、凄い。」
「そうですね……。」
どこか寂しげな表情で青木が答えた。
2人で過ごした時間は、溶けるように過ぎていった。
夜、つくし野バス停の満開の桜を街灯が照らす。
ひなから父の話を聞く青木。
「そう、お父さんにそんなことが……。」
「お父さんが大阪に行っても、お母さんと楽しくやりなさいって。」
ひながニコニコ笑いながら青木に言う。
青木はうつむきながらひなに話しかけた。
「春野さん。少しいいかな?」
ひなは青木の雰囲気が変わったことに気づいた。
「俺、会社を辞めて、香川にある実家の酒蔵を継ごうと思うんだ。」
青木がひなを見つめて言う。
唖然とするひな。
「ごめんね……。」
青木は両手で謝る仕草をした。
「……ピアノ聞けなくて。」
あまりのショックで、声が出ないひな。
青木は右手を小さく上げた。
「元気でね。ありがとう……春野さん。」
ひなに背を向け、歩き出す青木。
桜舞うバス停で、ひなは1人立ちすくむだけだった。
コートの裾が春風でひらひらと揺れた。
第九話。 終わり。




