ドジっ娘OL 第八話。
渋谷にある虹色企画、企画営業一課。
病み上がりのひなが出社すると、デスクに座る神崎に頭を下げた。
「おはようございます、神崎課長。先日は、どうもご迷惑をおかけしました。」
神崎は長い髪を掻き上げると、ひなに話しかけた。
「春野、風邪は良くなったの?」
「あっ、はい、おかげさまで。」
神崎が椅子に深く腰掛けひなに聞く。
「そう、ならいいわ。ところで例のナムテックさんの企画は進んでる?」
「キッズ向けのですよね。ドーンと、大船に乗った気でいて下さい。」
ひなは自信満々に両手を腰に当てた。
その様子を見て、神崎は右手を額に当て、不安げに下を向いた。
イベント当日、ひながナムテックの男性社員に挨拶する。
「新島さん、今日はよろしくお願いします。」
「ああ、春野さん。こちらこそ、よろしくお願いします。」
ひながイベント会場を見て回ると、そこには1台のピアノがあった。
「あっ、ピアノあるんだ。」
ひなはピアノの前に座ると、鍵盤を軽く叩いた。
ピンク色のネイルをしたひなの華奢な指が、鍵盤の上を跳ね回る。
美しい音の調べが会場に響いた。
♪♪♪♪♪~。
その様子を見ていた新島が感嘆し、ひなに声をかけた。
「春野さん、ピアノ弾けるんですね。」
「あっ、いや私は……。」
その時だった。
ナムテックの若い男性社員が、大慌てで新島に話しかける。
「新島さん、大変です。ピアニストの方が、急に来れないらしくて。」
「困ったな、時間もないし。」
上を見上げ、悩む新島がひなを見つめた。
何かを察したひなが両手を広げ、顔を引きつらせダメダメと拒否をする。
「いや、その、私は弾けないですから。」
「キッズ向けだから簡単ですし。そこを何とか、ね、春野さん。」
イベントが始まった。
会場には大勢の親子連れがいる。
新島の懇願に押し切られ、ひなは壇上に登った。
♪♪♪♪♪~。
ひなが壇上でキッズ向けのアニソンを弾くと、会場に集まった親子連れがパチパチと拍手する。
「あっ、ありがとうございます。」
ひなは立ち上がると、会場の親子連れに丁寧に頭を下げた。
照れくさそうに笑い、アホ毛を立たせると右手を頭の後ろに当てるひな。
ひなの中のひながボソッと呟く。
(ピアノ練習してて、よかったね~。パワーイズラブ!!)
ひなの頬がピンク色に染まった。
数日後、夕暮れの山吹商事の屋上。
熊谷は屋上のベンチで1人タバコの煙を吐き出し、缶コーヒーを飲んでいた。
青木が熊谷を見つけ声をかける。
「こんな所にいたんですか?部長。」
1人ベンチに座る熊谷。
右隣に青木が座ると、熊谷がボソッと呟いた。
「母さんが死んだんだ……。」
唖然とし、言葉を失う青木。
熊谷は立ち上がり、屋上のフェンスに寄りかかった。
「僕の父は医者でね。母とは学生の時に結婚したんだ。僕が小さい時に母さんと僕を残して、家を出ていったんだがね。」
青木が静かにうなずく。
「母さんはね、1人っ子だった僕の為、寒い日もその小さな手を震わせ、必死で働いてくれた。僕はそんな母さんに楽をさせたくて、勉強も仕事も頑張ってきたんだ。」
そう言って熊谷は涙を浮かべた。
「母さんの手は、しわしわの小さな痩せ細った手だった……。ただ、母さんが死んで思ったんだ。これで、楽になれるって……最低だろう……。」
熊谷の目から涙がこぼれ落ちた。
左のポケットから紺のハンカチを取り出し、涙を拭う熊谷。
そして、右手に持ったタバコを深く吸うと、屋上の灰皿にタバコをジュッと押し当てた。
「これでタバコも終わり。不器用なりに新しい人生を探してみるさ。」
熊谷はそう言って背伸びをした。
「さてと、残りの仕事を片付けるぞ青木。」
ネクタイを締め直すと、青木の横を熊谷が通り過ぎた。
オレンジ色に染まる空を1人見つめ、青木は考えた。
(新しい……人生か……。)
青木のアパート。
1人誰もいないアパートに帰り、扉を開けるとネクタイを緩め、青木は扉にもたれかかった。
窓の外の電灯が部屋を冷たく照らす。
「ふぅ。」
青木は大きく深呼吸した。
そして、スマホを手にすると電話をかけた。
「父さん、俺……後を継ぐよ。」
第八話。 終わり。




