置いていく者
三度目の笛が森へ響いた。
短く。
静かに。
まるで獲物を追い詰めたことを知らせる合図のようだった。
「来る!」
カイルが叫ぶ。
その瞬間だった。
左右の茂みからゴブリンたちが一斉に飛び出す。
今度は一直線に突撃してこない。
石を投げる者。
槍を投げる者。
木々を盾に回り込もうとする者。
先ほどまでとは明らかに違う。
「散らされた!」
カイルが舌打ちする。
「完全に俺たちを崩しにきてる!」
「構うな!」
ダリウスが叫ぶ。
「前だけ見ろ!」
大剣が唸りを上げる。
一体。
二体。
薙ぎ払う。
ルークが盾で飛来した石を受け止める。
鈍い衝撃が腕へ伝わった。
「くっ……!」
「そのまま!」
アイリスの声が飛ぶ。
「止まらないでください!」
彼女自身は、すでに呼吸が乱れていた。
傷口を押さえる左手は赤く染まっている。
それでも歩みは止めない。
止めれば終わる。
それだけは分かっていた。
セレナの水魔術が背後へ広がる。
地面を滑るように走った水が泥濘を作り、追撃してくるゴブリンの足を奪う。
「あと少し!」
出口は近い。
森の木々もまばらになり始めている。
その時だった。
アイリスの膝が、大きく崩れた。
「……っ!」
片膝をつく。
立とうとする。
力が入らない。
血が止まらない。
毒は確実に体を蝕んでいた。
ルークが振り返る。
「アイリスさん!」
「来ちゃ駄目!」
その叫びと同時に。
森の奥から、もう一本の矢が放たれた。
一直線。
アイリスへ。
彼女は避けない。
避けられない。
矢は右脚を貫いた。
「……っ!」
鈍い音と共に体が揺れる。
膝から崩れ落ちた。
立てない。
もう、分かった。
ここまでだ。
それでもアイリスは顔を上げた。
「セレナ。」
名前を呼ぶ。
セレナが振り返る。
二人の視線が重なった。
ほんの一瞬。
言葉はない。
けれど。
セレナには全て伝わった。
助からない。
置いていかなければならない。
「……嫌。」
小さく漏れる。
アイリスは、少しだけ笑った。
「お願い。」
その一言だけだった。
セレナは唇を強く噛む。
目尻が震える。
それでも頷いた。
「……うん。」
涙を拭うこともしない。
ダリウスへ向き直る。
「隊長!」
強く叫ぶ。
「アイリスの言う通りです!」
「行きましょう!」
ダリウスの足が止まる。
アイリスを見る。
ルークを見る。
隊長として。
一人の仲間として。
二つの感情が胸の中で激しくぶつかる。
その時だった。
「隊長!!」
カイルの声が森へ響く。
普段の呼び方ではない。
その一言だけで十分だった。
ダリウスは目を閉じる。
ほんの一瞬だけ。
そして歯を食いしばる。
「……行くぞ!」
苦渋の決断だった。
三人は再び駆け出す。
その背中を見送りながら、アイリスは静かに笑う。
「ありがとうございます……。」
その声は誰にも届かない。
ルークだけが、その場に残っていた。
「何やってるんですか!」
叫ぶ。
ルークはアイリスの隣へしゃがみ込み、その肩へ腕を回す。
「立ってください!」
「帰りましょう!」
必死だった。
新人らしい。
真っ直ぐな優しさだった。
アイリスは小さく首を振る。
「ルーク!」
「あなたも……、行って!」
「嫌です!!」
即答だった。
「見捨てられるわけ、ないじゃないですか!」
アイリスは困ったように笑う。
その笑顔は、ルークが初めて見るものだった。
優しくて。
どこか寂しい笑顔。
「さぁ、立って下さい!」
ルークが腕に力を入れて立ち上がろうとした、その瞬間。
森の奥で弓弦が鳴った。
カイルも。
ダリウスも。
もう間に合わない。
放たれた矢は一直線に飛び、
ルークの首筋へ深く突き刺さった。
声も出なかった。
ルークの体がゆっくりと崩れ落ちる。
アイリスの手が、その肩へ伸びる。
「……ごめん、なさい。」
震える声で、そう呟いた。
神官なのに。
助けられなかった。
その悔しさだけを残して。
森には再び、静寂が戻った。
前を走るダリウスは、一度だけ振り返る。
二人の姿は、もう木々の向こうだった。
足を止めそうになる。
その肩を、カイルが強く掴んだ。
「隊長!!」
「......クソが!!」
それ以上の言葉はいらなかった。
ダリウスは唇を噛み締め、前を向く。
三人は走る。
ただ、生きて帰るために。
仲間が命を繋いだ、その未来へ向かって。
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