生命契約
朝の地下書庫は、今日も静かだった。
魔導灯の青白い光が、整然と並ぶ書架を照らしている。
エリアスは帳簿へ静かにペンを走らせていた。
昨日返却した遺書を一覧から外し、新たな保管場所を記していく。
一文字ずつ。
乱れなく。
丁寧に。
「アッシュさん。」
書架の前からミアが声を掛ける。
「昨日返却した棚って、もう空けておいた方がいいですよね?」
「はい。」
エリアスは顔を上げずに答える。
「次の提出がありますから。」
「分かりました。」
ミアは空になった区画へ整理札を差し込んだ。
まだ慣れないのだろう。
札が少しだけ傾く。
「あっ。」
慌てて差し直そうとしたところで、リシェルが小さく笑った。
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ。」
「でも、曲がってると気になっちゃって。」
ミアは照れ笑いを浮かべる。
「アッシュさんの棚って、全部真っ直ぐですし。」
「職業病ですね。」
リシェルが肩をすくめる。
エリアスは帳簿を書き終えると静かに立ち上がり、傾いた整理札へ指先を添えた。
ほんの数ミリ。
真っ直ぐに直す。
それだけだった。
「……やっぱり。」
ミアが苦笑する。
「気になるんですね。」
「はい。」
短い返事だった。
再び静寂が戻る。
紙をめくる音。
ペン先が走る音。
木箱へ封筒を収める音。
地下書庫には、いつも通りの朝が流れていた。
誰も急いではいない。
急ぐ必要のない朝だった。
だからこそ。
その変化は、あまりにも唐突だった。
書架の一角で、青白い光が大きく揺らぐ。
一度。
二度。
三度。
生命契約の魔法陣が、脈打つように激しく明滅する。
次の瞬間。
薄い硝子が砕けたような音が、地下書庫へ響いた。
カシャン。
ミアが思わず顔を上げる。
「……え?」
視線の先。
白梟の遺書が並ぶ棚。
五通のうち、一通だけ。
青白い光が静かに消えていた。
地下書庫が静まり返る。
誰も動かない。
その静寂を破るように。
隣の封筒でも、生命契約が明滅を始めた。
一度。
二度。
三度。
そして再び。
カシャン。
今度はリシェルも息を呑む。
「……二通。」
エリアスは静かにペンを閉じた。
驚いた様子はない。
ゆっくりと書架へ歩いていく。
その背中を、ミアはただ見つめていた。
「リシェルさん……。」
戸惑いを隠せない声。
「今の音って……。」
リシェルは白梟の棚から目を離さないまま答えた。
「……生命契約が途切れた証です。」
その言葉だけで、ミアの表情から血の気が引いた。
エリアスは書架の前で足を止める。
五通。
昨日まで、静かな青い光を宿していた封筒。
今も光を灯しているのは三通だけ。
二通は封印が解け、静かに沈黙していた。
エリアスは一通ずつ確認する。
名前を見た。
もう一通も。
確かめる。
小さく息を吐く。
それは悲鳴でも、ため息でもない。
仕事を始める前の、ごく短い呼吸だった。
「……白梟です。」
地下書庫は今日も静かだった。
けれど、その静けさはもう、朝と同じものではなかった。
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