突破
「囲まれてる。」
カイルの一言で、森の空気が変わった。
ダリウスは一瞬だけ周囲へ視線を巡らせる。
前方。
左右。
そして、自分たちが歩いてきた道。
どこにも敵の姿は見えない。
それでも、カイルがそう言うなら間違いない。
「突破する。」
判断は一瞬だった。
「来た道は使えねぇ。右前方を抜ける。」
「セレナ、足止め。」
「アイリスは最後尾を見ろ。」
「ルークは俺の左だ。」
「了解!」
返事が重なった、その時だった。
森の奥から乾いた笛の音が響く。
ピィ――。
その音を合図にしたかのように、木々の陰から十数体のゴブリンが姿を現した。
「来るぞ!」
ダリウスが踏み込む。
大剣が大きく弧を描き、先頭の二体をまとめて薙ぎ払う。
「セレナ!」
「はい!」
地面を走る水魔術。
ぬかるみに足を取られた魔物へ、カイルの矢が次々と突き刺さる。
「ルーク!」
「はい!」
ルークは盾を構え、ダリウスの死角へ回り込もうとした一体を受け止めた。
重い衝撃。
それでも踏み込ませない。
ダリウスの大剣が振り下ろされ、魔物はその場へ崩れ落ちた。
「そのまま押せ!」
突破口は見えている。
あと少し。
その瞬間だった。
再び笛が鳴る。
短く、二度。
ピッ、ピィ。
ゴブリンたちが一斉に左右へ散った。
「散開するな!」
カイルが叫ぶ。
その声とほぼ同時だった。
森の奥。
葉の隙間から黒い影が走る。
「矢――!」
ルークの視線は正面のゴブリンへ向いていた。
避けられない。
「ルーク!」
アイリスが迷いなく飛び出す。
ルークを突き飛ばした、その直後。
鈍い音と共に一本の矢が脇腹へ深く突き刺さった。
「アイリス!」
セレナが駆け寄る。
アイリスは息を詰めながら矢を引き抜き、すぐに治癒魔法を展開した。
淡い光が傷口を包む。
いつもなら、これで血は止まる。
肉は塞がる。
痛みも引く。
――だが。
何も変わらない。
「……え。」
セレナが息を呑む。
アイリスは術式を組み直した。
より強い治癒術。
魔力は正常に流れている。
術式も崩れていない。
それなのに。
傷口だけが、光を拒むように血を流し続けていた。
アイリスは傷へそっと触れる。
指先に付いた血は、どこか黒ずんで見えた。
(……そう、ですか。)
神官である彼女には分かった。
回復魔法を阻害する特殊な毒。
自分では治せない。
この場にも解毒できる者はいない。
その事実だけを、静かに受け入れた。
恐怖は、不思議となかった。
胸をよぎったのは一つだけ。
(皆さんを、帰さないと。)
ゆっくりと息を吸う。
表情を整える。
そして、いつも通りの穏やかな声で言った。
「ダリウスさん。」
「突破してください。」
「馬鹿言うな!」
ダリウスが叫ぶ。
「まず治療だ!」
アイリスは小さく首を横へ振る。
「……間に合いません。」
その一言だけで十分だった。
ダリウスの表情が凍り付く。
アイリスはすぐに周囲へ視線を戻した。
「カイルさん、左から三体!」
「セレナさん、そのまま前を!」
「ルーク、盾を下げないで!」
「矢には絶対に当たらないように!」
傷を押さえながら、それでも全員へ指示を飛ばす。
いつもと同じ。
いや、それ以上に冷静だった。
「ダリウスさん。」
「止まらないでください。」
「皆さんが帰ることを優先してください。」
ダリウスは唇を強く噛み締める。
リーダーとしての判断と、仲間を見捨てたくない感情が胸の中でぶつかり合う。
だが、迷っている時間はなかった。
「……突破する!」
その声で全員が走り出す。
ダリウスが前を切り開き、ルークが盾で援護する。
セレナは後退しながら魔法を放ち、カイルは最後尾を何度も振り返っていた。
「アイリス!」
「大丈夫です。」
即座に返ってくる声。
その声に嘘が混じっていることを、カイルは見抜けなかった。
いや、見抜きたくなかった。
白梟は一歩、また一歩と森を駆ける。
しかし、アイリスの足取りだけが、少しずつ重くなっていた。
呼吸が浅い。
視界が霞む。
それでも歩みは止めない。
(あと少し。)
(皆さんだけでも。)
その願いを嘲笑うように、三度目の笛が森へ響いた。
短く。
静かに。
まるで獲物を追い詰めたことを知らせる合図のように。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。




