遺書課という仕事
朝の地下書庫は、今日も静かだった。
魔導灯の青白い光が書架を照らし、整然と並ぶ封筒を浮かび上がらせている。
新人のミア・ローウェルは書類の束を抱えたまま、小さく伸びをした。
「うーん……やっぱり地下って眠くなりますね。」
「それ、毎朝言ってますよ。」
リシェルが苦笑する。
「だって本当に静かなんですもん。」
「静かな方がいい部署ですから。」
「まあ、それはそうなんですけど。」
ミアは周囲を見回す。
棚いっぱいに並ぶ封筒。
最初にここへ来た日は、ただ怖い場所だと思った。
けれど、一か月働いてみると少し印象が違ってきた。
怖いというより――皆が驚くほど丁寧なのだ。
書類一枚。
封筒一通。
机に置く音一つまで気を遣う。
まるで、この部屋そのものが誰かの想いを預かっているようだった。
「アッシュさん。」
帳簿へ目を落としていたエリアスが顔を上げる。
「はい。」
「一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ。」
「遺書課って、正式名称じゃないんですよね?」
エリアスは答えようとしたが、その前にリシェルが笑って口を開いた。
「正式には『危険任務管理局・生命契約管理課』です。」
「長っ!」
「だから誰も正式名称で呼びません。」
リシェルは机の上へ簡単な組織図を書き始める。
「ギルド本部には受付局、総務局、財務局、調査局、救助局……いろんな部署があります。」
「危険任務管理局は、その中で危険任務だけを専門に扱う部署。」
「その下に生命契約管理課、救助連携係、任務記録係なんかがあって――」
さらさらと線が引かれていく。
「生命契約管理課が、通称『遺書課』。」
「へぇ……。」
「ちなみに外部の人まで普通に遺書課って呼びます。」
ミアは苦笑した。
「正式名称の意味ないじゃないですか。」
「ええ。」
リシェルも笑う。
「誰も覚えてくれませんから。」
地下書庫に、小さな笑い声が響いた。
その空気を壊さないように、エリアスは一冊の台帳を閉じる。
「仕事の内容の方が知られているのは、良いことですよ。」
ミアが首を傾げる。
「そうなんですか?」
エリアスは台帳を閉じながら答える。
「ええ。」
「それは、この組織が形骸化していないということです。」
「皆さんが名前ではなく、仕事を見てくださっているということですから。」
ミアは「なるほど」と頷く。
確かにその通りだと思った。
「もう一ついいですか?」
「どうぞ。」
「生命契約って……結局どういう魔法なんです?」
リシェルは近くの空の封筒を一通手に取る。
「難しい理論は私も分かりません。」
「えっ。」
「術式を作るのは魔術師ですから。」
二人で笑う。
「私たちが知っていればいいのは運用だけです。」
封筒の中央を指差す。
そこには、小さな魔法陣が刻まれていた。
「危険任務へ出る前に、遺書を入れた封筒に本人の血判を押して、生命契約を結びます。」
「契約が成立すると、この封印は本人の命と繋がります。」
「生きている限り、誰にも開けられません。」
「亡くなると?」
「封印が解けます。」
ミアの表情が少しだけ引き締まる。
この一か月で何度も見てきた光景だった。
けれど、改めて聞くと、その意味はやはり重い。
「ちなみに、Bランク以上の危険任務に行く方には生命契約が義務になっています。」
「それ、ずっと気になってました。」
「Aランクの方が危険なのに、どうしてBランクからなんですか?」
リシェルは少しだけ視線を上へ向けた。
「統計です。」
「統計?」
「過去の記録では、一番死亡率が高いのはBランクへ昇格したばかりの冒険者。」
「えっ?」
「実力は足りても、経験が足りない。」
「だから無理をしてしまう人が多いんです。」
ミアは小さく息を呑む。
「逆に、Aランクまで上がる人は、自分の限界を知っています。」
「だから生還率は少し上がるんですよ。」
しばらく地下書庫に沈黙が流れた。
「……なんだか、不思議ですね。」
「え?」
「遺書課って。」
ミアは書架を見渡す。
「最初は、人が亡くなった後のための部署だと思ってました。」
その言葉に、リシェルは静かにエリアスを見る。
エリアスは帳簿を閉じ、静かに立ち上がった。
「それも間違いではありませんが、少し違います。」
ミアもリシェルも、その声へ視線を向ける。
「帰ってきた方へ、遺書をお返しする事も私たちの仕事です」
それだけだった。
短い一言。
けれど、その言葉は地下書庫の静けさよりも深く、ミアの胸へ残った。
返すために預かる。
その発想は、ここへ来る前の自分にはなかった。
書架に並ぶ無数の封筒を見つめながら、ミアは小さく思う。
――全部、持ち主のところへ帰れますように。
それはきっと、遺書課で働く者だけが抱く願いだった。
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