静かな時間
本日もよろしくお願いします。
レイモンドに案内され、一行は礼拝堂の隣にある応接室へと入った。
窓から差し込む柔らかな陽射しが、木目の美しい机を照らしている。
壁際には本棚が置かれ、色鮮やかな絵本が整然と並んでいた。その隣には木彫りの動物や積み木、子どもたちが折った折り紙が飾られている。
どれも使い込まれた温もりがあり、この場所で過ごした穏やかな日々を感じさせた。
部屋を見渡したセレナが、小さく微笑む。
「また絵本が増えましたね。」
レイモンドも棚へ視線を向け、穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。街へ行くたびに、『子どもたちが喜びそうだから』と言って買ってきてくれるんです。」
カイルが苦笑する。
「遠征帰りは荷物が増えてると思ったら、大体それだったな。」
「本人は『これは荷物じゃない』なんて言ってましたね。」
セレナも懐かしそうに笑う。
その短いやり取りだけで、まるでアイリスが今もこの部屋へ戻って来そうな気がした。
「少々、お待ちください。」
レイモンドは立ち上がり、棚から茶葉を取り出す。
湯を注ぐ音だけが、静かな部屋に響いた。
やがて湯呑みが人数分並べられる。
「どうぞ。」
一同は礼を述べる。
しかし誰一人として湯呑みに口をつけようとはしなかった。
立ち上る湯気だけが、ゆっくりと揺れている。
静寂が部屋を包む。
「……神父様。」
その沈黙を破ったのは、ダリウスだった。
レイモンドは静かに顔を上げる。
「あの子は……。」
一度言葉を切る。
「最期は、どうだったのでしょう。」
ダリウスはすぐには答えなかった。
視線を机へ落とし、ゆっくりと息を吐く。
「……腹部に、矢を受けました。」
その一言だけで、部屋の空気が張り詰める。
「アイリスはすぐに治癒魔術を使おうとしました。」
「ですが……発動しませんでした。」
レイモンドの表情がわずかに曇る。
「魔力の流れを阻害するようなものだったのか、それとも毒だったのか……俺たちには分かりません。」
ダリウスは拳を握る。
「それでも、あいつは冷静でした。」
「後ろから戦場全体を見渡して、敵の動きや撤退経路を俺たちに指示し続けていました。」
「俺は前衛でしたから、戦況のすべては見えていなかった。」
「だから、あいつの指示がなければ……俺たちは撤退できなかったと思います。」
レイモンドは黙って耳を傾けている。
ダリウスは言葉を続けた。
「撤退を始めて、しばらくした頃でした。」
「急に、アイリスが崩れたんです。」
「出血が原因だったのか、毒が回ったのか……。原因はわかりません。」
部屋は静まり返っていた。
「倒れた、その瞬間でした。」
「足に、もう一本。」
「矢が刺さりました。」
セレナは目を伏せる。
カイルも俯いたまま動かない。
「俺たちは助けようとしました。」
ダリウスは静かに続ける。
「駆け寄ろうとした、その時でした。」
「……あいつは。」
一度だけ目を閉じる。
「『来ちゃ駄目!』って。」
その言葉だけは、今でも鮮明に耳へ残っている。
「……それ以上、何も言いませんでした。」
長い沈黙。
「きっと。」
「助けに来たら、全員助からない。」
「そう判断したんだと思います。」
ダリウスはゆっくりと顔を上げた。
「……隊長として。」
「俺は、撤退を命じました。」
「アイリスを……あの場に残して。」
誰も言葉を返さない。
レイモンドは静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……そう、ですか。」
その一言だけが、静かな部屋へ落ちる。
再び沈黙が訪れる。
時計の針だけが、小さく時を刻んでいた。
その静寂が一区切りついた頃。
エリアスは静かに革鞄へ手を伸ばした。
「レイモンド・ノエル様。」
穏やかな声が部屋へ響く。
「まず、アイリス様がお預けになっていたギルド資産について、ご説明いたします。」
レイモンドは静かにうなずく。
「現在お預かりしておりますのは、所持金、未受領の討伐報酬、個人所有として登録されている装備品および携行品です。引き渡し先として、レイモンド様が指定されています。正式なお引き渡しにつきましては、後日、担当部署よりご案内いたします。」
淡々とした事務的な説明。
だがそれは、一人の冒険者が歩んだ人生を整理するための、大切な手続きでもあった。
説明を終えたエリアスは、一呼吸置く。
「最後に。」
その短い言葉で、部屋の空気が静かに変わる。
「アイリス様より、生前お預かりしていたお手紙について、ご説明いたします。」
革鞄から、一通の封筒を取り出す。
白い封筒は、生命契約の封印は既に解除されているが、今なお固く閉ざされていた。
「このお手紙は、ご本人の意思により生命契約魔法で封印されていたものです。」
「私ども生命契約管理課でも、その内容は確認しておりません。」
レイモンドの視線は、自然と封筒へ向けられる。
「開封されるかどうか。いつ、どこで、どなたと読まれるか。」
「そのすべては、受取人様のご意思に委ねられます。」
エリアスは封筒を両手で持ち直した。
「生涯、開封されないというご判断も、私どもは尊重いたします。」
静かに一歩前へ出る。
「レイモンド・ノエル様。」
「こちらを。」
レイモンドは固まっていた。
しばらくして、震える両手で封筒を受け取った。
壊れ物を扱うように胸へ抱き寄せ、しばらく目を閉じる。
やがて小さく頭を下げた。
「……申し訳ありません。」
「少しだけ、一人にしていただけますか。」
絞り出したような、細い声だった。
誰も言葉を返さなかった。
一同は静かに立ち上がる。
エリアスはレイモンドへ一度だけ深く頭を下げると、音を立てぬよう静かに部屋を後にした。
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