21話 - 嵐の前
「……まあ……見てください、ロヴィ! ヴァロン王国の首都グランプールは、運河が入り組んでいるそうです! ここを船で巡るのはとても楽しそうではありませんか!? (ふ、2人で)」
城の庭、柔らかな午後の日差しが差し込む、いつもの木陰。
部屋から逃げてきたアイリーンは、ヴァロン王国の資料に目を落としていた。
それに、いつものように付き添うロヴィ。
「はい。……えーっと」
「まあ紅茶が有名……!? ロヴィは紅茶はお好きですか? やはりコーヒーのがお好きですか?」
「俺はコーヒーのが……あの、」
「有名なクレープのお店があるそうですよ!」
本に視線を落としながら、きゃー! とアイリーンは頬に手を当てる。
「アイリーン姫?」
「はい、何でしょう? ロヴィ?」
やや苦笑いを浮かべたロヴィが、アイリーンへ視線を向けた。
「旅行へ行くのではありませんよ?」
「知っていますよ?」
アイリーンは本からきょとんとした顔を上げる。
「あと――」
そう言うと、ロヴィは2人の間の芝へ視線を落とした。
ぎく、とアイリーンは視線を泳がせる。
「なぜ今日はそんな離れて座っているのですか?」
困り顔のロヴィと目が合う。かああ……、とアイリーンは頬を染めた。
(ついうっかり、いつものようにロヴィの脚の間に吸い寄せられてしまったけれど……――)
ロヴィの脚の間におさまり太腿を枕にしながら、アイリーンは赤い顔を隠すように顔に手を当てていた。
(私ったら、今まで何て大胆な体勢をしていたのかしら!? 恥ずかしいわ!!!)
きゃ――!!! と、勢いよく左右にごろごろ転がる。
「いだだだ姫髪飾り! 髪飾り当たってます!!!」
すると横を向いた瞬間、パチッ、と音がして、すっと髪飾りが外された。
アイリーンの息が止まる。
女性のアクセサリー系って凶器だよな……と呟くロヴィをよそに、アイリーンの顔がみるみる耳まで真っ赤に染まる。
(……ロ……ロヴィ…………大胆!!!)
ぷるぷると震えながら、いたたまれなくなって小さく丸まった。
少しして、頭上からため息が降ってきた。
髪にさらりと触れる大きな手に、わずかに身体が強張る。
「……今日、どうしました……?」
ロヴィの呆れた声に、アイリーンははたと我に返った。
「いつも以上に行動が不審ですが」
むっ、と口を尖らすと、ロヴィの頬をつねる。
「いつも以上に、は余計です」
「……すみません」
じっ、と見下ろすロヴィの表情に、どき、と小さく胸が跳ねる。
いつものように優しく髪を撫でられ、アイリーンは目を細めた。
「カーティス殿下を婚約者に、という話を気にしているのですか?」
「え?」
「確かに驚きましたけどね……普通第1王子を指名してきますかね? でもアイリーン姫が気に病むことはないと思いますよ。そんなことにはならないでしょうから」
そう優しい口調で告げるロヴィを見ながら、ぱちぱちと目を瞬く。
(まるでそんなことは考えていなかったが)いつも自分のことを第一に考えてくれるロヴィの温かさが、胸にじんわりと広がった。
(ロヴィは……本当に優しい)
じ――……、とロヴィを顔を見つめると、途端に頬が染まり、照れたように視線が泳ぐ。
「……何ですか?」
「ロヴィ」
「はい、アイリーン姫」
「ロヴィは……カーティスお兄様がヴァロンの王女様の王配となり、わ……私が国王候補となるとしたら……あのその、ど、どうですか?」
「……いや、無理でしょう」
「…………」
きょとん、と見合う2人。
次の瞬間、アイリーンはむきゃー!!! とロヴィに跳びかかった。
うわ……! と呻きながら背中から芝へ倒れ込むロヴィ。アイリーンはその勢いのままロヴィの上へ座り込んだ。
「なな……なぜですか!? そんな考えもせず即答――」
「考えもせずともわかるでしょう……! アイリーン姫が国を愛していることは知っていますが、国王陛下とは、時には恨みを買ってまで動かなければならない立場ですよ? 笑顔で跳び回るアイリーン姫には合いませんよ。それに、カーティス王太子殿下が国を離れて一番悲しむのは、アイリーン姫でしょう……!」
何を言い出すかと思えば……! と困ったように眉を下げるロヴィ。
その表情を見つめながら、アイリーンはきゅうっと口をへの字に曲げた。
「でも……なら、どうやって……――」
そこまで口にして、はたと動きを止める。
(…………え? お兄様がいなくなる?)
そこでようやく、アイリーンは重大なことに気がついたのだった。
「アイリーン!」
「カーティスお兄様!」
城内。
嬉しそうにカーティスへ跳びつくアイリーン。
がし! とカーティスの顔にしがみついた。
(カーティスお兄様がいなくなるなんて……ありえませんわ。いけないいけない)
ロヴィと一緒になる方法は、きっともっとよい別の方法があるはずですわ……! と目を伏せ、ぴたっとカーティスに顔を寄せる。
ははは! 相変わらずアイリーンはやんちゃだな! と全く前が見えていないカーティスは、楽しげに笑う。
いやそれ怒らないんですかライオン殿下……!!! とはらはらして見ているカーティスの護衛騎士たち。
「ヴァロンの知識教育は順調か?」
「はいお兄様! 広大な敷地と、有数の特産物が多く豊かな国を象徴した、とても強みのある国ですのね!」
おお……! とカーティスは目を丸くした。
その様子を見ながらイライザは、この護衛に就く前のアイリーンを思い返していた。
『ヴァロンにはとっても大きな運河があり、紅茶やクレープなどデート……じゃなくて散策にとても良さそうな国ですよ! イライザは知っていました!?』
きらきらと(妄想に花を咲かせて)瞳を輝かせていたアイリーンが、脳裏をよぎった。
目の前では、さすがアイリーンだ! と、アイリーンをくるくる回しているカーティス。
(さすがアイリーン姫……知識教育が嫌いすぎて、それっぽく発言する技術だけはめきめき上達してますね)
そしてまるで疑わない王太子殿下……ある意味さすがです、と、状況を冷静に俯瞰するイライザであった。
一方、子供をあやすように高々と持ち上げるカーティスに、アイリーンは、むうっと頬を膨らませた。
「もう……! お兄様は一体私を何歳だと思っているのですか!」
「はははっ! 何歳になってもアイリーンは可愛い妹なのだから! だめか?」
きゅん……! と頬を染める。
「だめではありません……!」
「お前もブラッドリーから聞いているとは思うが……明日から数日間滞在する、ヴァロンの王女、王子ともに、少々厄介な外交相手かもしれん。お前にも、外交の場で負担をかけるかもしれんが、頼んだぞ」
「はい、お兄様……! お任せください!」
そう息巻くと、再び顔を覆うように、カーティスにぎゅっとくっついた。
(カーティスお兄様は……私にとってもナヴランドにとっても、なくてはならない大切なお兄様……! 慣れない恋に浮かれて、あらぬ妄想にうつつを抜かしていましたが、お兄様が他国の王配として国を離れるなど、あってはならないことでした。カーティスお兄様にしても、クライヴお兄様にしても、我が国には貴女のお眼鏡にかなう殿方はおりませぬと、この私からきっぱりと王女様にお伝えせねばなりませんね)
内心めらめらと闘志を燃やすアイリーン。
お兄様は私が守ります……! とくっつくアイリーンに、ははは! アイリーン前が見えないぞ? と笑うカーティスであった。
――この時、アイリーンはまだ知らなかった。
ヴァロンの王女が想像以上に厄介な人物であり、また、あのような誰も予想だにしない展開が待ち受けていようとは――。
一方。
「あああ! あっぶな!」
大量の書類を両手いっぱい抱えたロヴィが、港街を歩いていた。
その隣には、大きな荷物を片手に下げたミックが並ぶ。
ロヴィはめんどくさそうに、書類を膝で整える。
「……あー……持ちにくい……! 何でこの山のような書類の束、直で手渡してくるんだ、本隊の奴ら……」
「嫌がらせじゃね?」
「いや、だろうけど……しかも、何で俺たちが行く羽目に――」
「みんなドナに関わりたくないんじゃね?」
「いや、だろうけど」
けらけら笑うミックに突っ込むロヴィ。
ロヴィとミックは、少し前の武器商ギルドでの一件の調査報告書や輸入経路確約、輸入許可申請書等々、諸々の書類や返却物を持って武器商ギルドへと向かっていた。
にや、とミックはロヴィの顔を覗き込む。
「まー、俺はロヴィと久々にここぶらぶらできてラッキー、って感じだけど」
「ぶらぶらっていう気楽さ微塵もないだろ」
「確かに?」
「まー……――」
ロヴィも、ちらっとミックを見る。
「――入団前は、ここでほぼ毎日顔会わせてたからな」
「何してたんだろーな? なっつかし」
「そして、入団後の休みのなさ……!」
「俺らの部隊の絶対数が少なすぎんじゃね?」
「気づいてたけどな……!」
いやでもできる限り姫の近くにいたい俺としては、これ以上増えるのも……いやでも姫の安全には代えられない……!? と自問自答するロヴィに、眉を下げながら無意識に笑みを漏らすミック。
その時。
突如、悲鳴に近い複数人の叫び声の後に、大きなどよめきが周囲に響き、2人は揃って身構える。
同時に、人々の視線が集まる先へと、勢いよく振り返った。




