第63話 裏路地のビアホール
「良い天気だ。 昨日のことがまるで悪い夢だったかのように...あれ? 昨日、何があったっけ?」
―林冠から差し込む柔らかな木漏れ日に、フレッドはゆっくりと瞼を持ち上げる。
だが半日近く論文を書かせられ続け、その後もハードな体験をした彼に、汽車での記憶など微塵も残っていなかった。
手持ち無沙汰になった、彼は胸元に潜めた懐中時計のチェーンを手繰り寄せると、その文字盤に視線を投げる。
短針は既に"ⅩⅠⅠ"の数字を通り越し、寝坊助な主を嘲笑っていた。
「起きたら12時って...本当に何してたかな?」
―彼は重い身体を無理やり起こすと、粘つく感覚を振り払うべく指先を鳴らす。
「洗剤の防汚性まで落しちゃうけど..."クリーン"!」
―淡い青色の魔力がフレッドの全身から溢れ出し、埃や知らぬ間に付けられたキスの跡を一瞬で叩き落してゆく。
「ノットは...屋敷のガラスで直すとしよう。」
ローズの祝賀会は...15時まで、って言ってたか...?
1度起きてしまったからには、この空き時間を有効活用しなければ!
確か、彼女のオススメは東方面だったはずだ。
「よし、まずはメインストリートを攻略しよう。
ここからだと南..."イマイケ"という街まで行くか!」
...................
―辿り着いた先でフレッドを待っていたのは、異様な光景だった。
「警官隊が長銃身のライフルを携えて巡回...?
そんなに治安が悪いのか?」
アスファルトを鳴らすブーツの音と、艶消しされた黒の樹脂製被筒...
この世界に銃が存在することは知っていたが、やはり魔法による遠距離攻撃が魔力を大幅に消耗する以上...物理的な弾丸は極めて合理的な殺傷手段なのだろう。
もっとも、一般市民が手にすることなど許されないだろうが。
――イマイケ――
そこは多様性が煮詰められたような混沌の街...
頭にターバンを巻いた"ヒッピーエルフ"から、昼間からスナックに入り浸る"泥酔ドワーフ"まで。
有象無象がひしめく中には当然、招かれざる不審者も混じっているのだ。
「そこな御仁...その耳飾り、強力な愛の呪いが掛けられておるぞ!」
―イマイケ駅の郵便局前出口に陣取っていた老婆が、フレッドの耳元で囁いた。
「呪い? これは大切な人からの贈り物です! 侮辱は許しがたい。」
「まあそう怒るでない。 このカップとソーサーを買えば、あんたの運気は...「結構です。」」
「さらにこのポットを買えば...「それで、あなたの商売運は上がりましたか?」」
―フレッドの冷ややかな返しに、老婆は口を噤む。
そのまま彼はさらに東の"イケシタ"の街へと足を向け、老婆のもとから去っていった。
だが"イケシタ"の住人もまた、小綺麗なエルフのことを歓迎するのであった。
「おい、坊主! "女刑事シリーズ" のスロット新台...「興味ないです。」」
「ならサッカーの賭けなんて...「しつこいですよ。」」
(まったく...危なそうだったから"イケシタ"まで来たのに、一駅じゃ、そう変わらないのか。)
「きゃあ! そこのイケメンさん、ちょっと私とお茶シバきに...「我は風に流離う運命のマリオネット...貴様へ続く糸はない!」」
「グハッ...色んな意味で、ドストライク!」
おっと、同志か?
いや、待てアルフレッド!
ナンパ女は信用するな。
「目を瞑って、もう一度大声で言ってもらってもいいですか?」
「え? ええ、喜んで!」
―女性が期待に胸を膨らませて目を閉じた瞬間、フレッドは音も立てずに早歩きでその場から離脱した。
「そこのイケメンさん、ちょっと私とお茶シバきに行かない!!」
―直後、背後で別の男の声が響く。
「やぁお姉さん、中々にカワウィィね!」
「...あんた誰よ? ちょっと、私はエルフのお兄さんに声掛けてたんだけど?」
「我が名はウィロー=グリューネヴァイデ...しがない菓子職人である。
さぁ、冬限定の"メレンゲ入りウイロ"を堪能せよ! そして、ご感想を!!」
「ぎゃぁぁぁぁあ!?」
―断末魔のような悲鳴が聞こえた気がしたが、フレッドは振り返らない。
「悲鳴が聞こえたような...」
だが想い人がいて、他の女性と関わりを持つなど紳士の風上にも置けない。
何よりこれで"周旋"の責任からも逃れられる。
まさに一石二鳥だ!
「それにしても、この通り、"ハイロコージィシュトラーセ"だったか...?」
おそらく"広小路通"を転生者が無理やり、それっぽく言い換えたのだろう。
ドイツ語なら発音に無理があるが、大陸語は多言語のミクスチャーだ。
今さら突っ込むのは野暮というものか。
この通りも両脇にはグリッド状にコンクリート製の中高層のビルが立ち並んでいる。
だが、チクサ区まで来ると雰囲気が一変し、入り組んだ路地にレンガ造りの家々...本来のこの世界の街並みが顔を出す。
まさに、言語だけでなく街並みまでも混ぜられているのだ。
だからこそ、僕の嗅覚は訴えている!
"この裏通りにこそ、良い店がある"と。
そして、それは当たりだったようだ...
「ビアホール"ヴルストの誓い"...当たりに違いない!」
―巨大な木製のドアが彼を吸い込む。
するとそこには熱気と麦芽の香りが渦巻く、活気溢れる酒場が広がっていた。
「ここは誰か座っていますかね?」
―彼は空いている席を見つけ、先客に声をかける。
「ん? お前さん、この国の奴じゃねぇな。イングランディアか、それとも合衆国か?」
典型的な酔っ払い...これもまた、ビアホールの歓迎か。
「ここは常連席だぜ、エルフの坊っちゃん! 生のポテトでも食いに来たのか? ハッハッハッ!」
「おぉ、これは気付きませんでした。」
「おいケヴィン、相席させてやれよ! お友達だぜ?」
「あぁ...いいだべ!」
「あんた、名前は?」
「僕は...アル...」
―名前を言いかけたその瞬間、フレッドの脳裏にある考えが浮かんだ。
溜まりに溜まったストレスを発散させるための考えが...
「ピアースと言います。」
ここは合わせた方が会話も面白いだろう。
父さんの故郷についてなら、丘にいた羊の"ケイン"と"ルイーザ"の脱走話についてでも語れるつもりだ。
「ピアース...あんたもイングランディア人か?」
「ええ、僕は南部のワージントル生まれでね。 君は?」
「ワージントル...俺はリトル・モッシー・ホロウから来たべさ!」
小さな、苔の、洞穴...いかにも原風景が広がっていそうな地名だ。
「いやぁ、それにしても良い天気だなぁ!」
「ああ、雨が恋しいくらいだね...」
―フレッドが皮肉を込めて返すと、ケヴィンはやたらと上機嫌に笑った。
対照的に、フレッドはまるでネズミの尾を前足で抑えて喜ぶネコの様な顔をしていた。
「良かったぜ、同郷の奴がいて! ここの連中って...ほら! 何と言うか...こう!」
「独特...?」
「そう、そうだべ!」
「快活な様子だね。 僕は寝不足で羨ましいよ。」
「へ?」
「いいや、なんでもないさ。」
「?」
やはり、こいつは...
―彼はケヴィンの疑問を無視する様に、店員へと目線を移した。
「ん? どこ見てるのさ? あっ、あの可愛い店員さんだべか!」
―ケヴィンの喧しい野次を無視しながら、店員の女性はテーブルへと近づいてきた。
「ご注文は?」
「ヘレスとヤークトヴルストをもらえるかな?」
「ええ、以上で?」
―フレッドが肯定すると、店員は腰回りを凝視してくるケヴィンを無愛想な目で一瞥する。
そしてスカートを翻し、早歩きで去っていった。
「Whoa!! あの子、俺に気があるに違いねぇぜ!」
はぁ...ケヴィンよ、これで確定だな。
いや、これはもっと遊んでみるか...?
丁度良いところに、プレッツェルの売り子さんか。
さぁ、ケヴィン...どうするか見せてもらおう。
「お嬢さん、ブレーツェルはいくらだい?」
「一個、3ゴールドになります。」
―彼は財布から正確に3ゴールドを取り出すと、その売り子に手渡した。
「チップを払わないなんて、美人に失礼だぜ!」
―ケヴィンのその言葉に、フレッドの中で全てのパズルのピースが繋がった。
「合衆国の東海岸...素晴らしい場所だと思わないか?」
「えっ、あぁ! そうだな!!」
―鎌をかけると、案の定ケヴィンは焦りを見せた。
「でも前に行った時は、いきなり剣を抜かれて大変だったよ。"長耳は森に帰ってろ!"ってね。」
「HAHA! 北東の連中は自分達が中心だと思い込んでるんだべ!」
―フレッドは口角をわずかに上げた。
(イングランディア人はそれほどチップにうるさくない。)
そして東海岸、特に"北東部"への敵対心...
間違いなく、こいつはイングランディア人ではない。
合衆国の中部か西部のフロンティア出身だろう。
―フレッドの頭の中で、目の前の相席相手に対するプロファイリングが完成する。
だがケヴィンはその様なことなど知る由もなく、フレッドにさらなる綻びを見せる。
「ところで、ピアースはなんでこんな変わった街に来たんだ?」
「大切な用事があってね。」
「Brr...それじゃ答えにならねぇぜ!」
―執拗に踏み込んでくるケヴィン...
その無遠慮な情熱はフレッドにとって、ローズのそれとは違って土足で心に踏み込まれるような不快感があった。
(本当に不快だ。)
彼は自国の誇りを捨てた"カウボーイ"だ。
それに、これ以上の会話は僕からもボロが出る。
これで会話は終わりとしよう。
それにしても...
「このプレッツェルの皮は堅いね。」
―フレッドはそれ以上語るのを止め、異郷の味を噛み締めた。
「ふふっ...すぐに帰って来るわよね、私の可愛い空っぽ人形さん?」




