4.名前を呼んで
ダリア様は、すでに部屋の奥――ベッドの前に立っていた。
「ここ、座っていい?」
尋ねられたものの、返事を待たずして彼女はベッドに腰を下ろす。
こっちに椅子もありますよ。と声はかけたが、首を横に振られてしまった。
ティーセットのお茶をカップに入れて、ダリア様へ渡す。
「このベッド、柔らかくて気持ちいいのよね。
それに、ここの方がカードもしやすそうでしょ?」
彼女の視線が、ベッド脇に置かれた小さな木箱へ向いた。
「カードゲーム、ですか?」
「そう。一緒にやりましょ」
「えっと……」
時は22時を過ぎている。
今日会ったばかりの男性の部屋に、女子が一人で入っていい時間じゃない気がするが、ダリア様はカードを裏向きに並べ始める。
やっぱり、お部屋へ戻った方が。と、喉まで出かかった言葉はどうしても出ない。
一緒に過ごしたい気持ちと、俺がダリア様の婚約をダメにしたのだという罪悪感が心の中でごちゃ混ぜになっていた。
っもう、どうにでもなれ。
ばくばく鳴っている心臓を無視して、ベッドへと腰を下ろす。
ダリア様が嬉しそうに体を弾ませると、緩やかにベッドがたわんだ。
「じゃあ、私からね」
カードへ伸びる細い指。
傾けた肩口から、まだ湿っている金髪がぱらりと落ちる。ダリア様も風呂上りなのだという事実が、より鮮明に脳裏へ焼き付いた。
「次、ルークの番よ」
「あっ、はい」
声をかけられ、慌ててカードをめくる。カードの数字と模様を覚えなければならないが、身を乗り出して覗き込むダリア様は妙に近かった。
息遣いさえ聞こえてきそうな距離に、全く集中できない。
「っ」
大きく開いた胸元に視線が落ちそうになって、慌てて上を見る。
警戒心とか!
と、訴えは浮かんでくるものの、実際ダリア様にぶつけられない。
三年前の、あの日から。ずっと、ずっとダリア様を追いかけて来たのだ。
今、自分の部屋で一緒に過ごしていることにさえ歓喜を越えて感動すらする。
邪な気持ちなんか持ってはいけない。
たとえ婚約者だろうと、ダリア様は俺を認めてはいないんだから。
「ねえ」
「あ、はい、今!」
急かされたと慌てて答えると、そうではなかったらしい。ダリア様は首を横に振り、言葉を続ける。
「ルークって、魔法を使えるなら魔導士なのよね?」
「ああ、はい。そうです」
高位、はつくけれど嘘ではない。
頷くと、ダリア様が息を飲むが分かった。
迷うように動く瞳。やがて、固く閉ざした唇が、ようやく開く。
「……ここには、父様の命令できたの?」
痛い質問だった。公爵の命令かと言えば、そうではない。
婚約者として、ダリア様を助けに来た、というだけだ。
けれど、ここで公爵の命令ではないと言ってしまったら、きっと彼女は傷ついてしまう。
――わたしのことなんてどうでもいいのよ。
そう言った、ダリア様の姿が思い起こされた。
「………それもありますし、自分の意志でもあります」
そう、答えていた。
「ふうん」
「………」
気のない返事に、そっとダリア様を垣間見る。
何も気にしていないとでもいいたそうな表情で、彼女はカードを見ていた。
「ルークって、嘘が下手ね」
言われて、どきりとする。
「嘘では……!」
「嘘つきは嫌いよ」
「!」
「でも、貴方は優しい嘘つきだわ」
だから嫌いじゃない。
ぽつり、と紡がれた言葉は、かすかだが確かに俺の耳に届いた。
ダリア様の照れたような微笑みに、どきりと心臓が高鳴る。
カードゲームになんか、そこから集中できるはずなどなかった。
◆◆◆
数ターン進み、カードゲームの結果は明白だった。
「やった。私の勝ちね」
顔の横でぱちん、とダリア様が手を叩く。
「……参りました」
「ふふ。ルークってすごーく弱いのね」
「………」
あんなん言われて集中できるか、と心の中で突っ込みながら、笑ってごまかす。
「わたしが勝ったんだから、命令を聞いて」
「そんなの聞いてな――!」
講義は、つい、と目の前に伸びたダリア様の人差し指に阻まれた。
「命令よ。
わたしのことは、呼び捨てで呼んで。それから、敬語もやめる」
「え……」
ダリア様が、いたずらっぽく瞳を細める。
「そ、そんなことできるわけ……!」
「あら。命令は絶対よ。拒否権はないわ。
大体、メルティにはそうしてるでしょ。わたしだけ除け者なんてひどい」
「それはっ…」
そう言われてしまうと、どうしていいか分からない。
高圧的な表情を作っているくせに、その碧眼が不安げに揺れたのを見たら、もう白旗を上げるしかなかった。
「……分かりました。呼び方は、善処します。敬語も」
「もうダメじゃない。やり直して」
なぜか分からないが、変な汗が体に滲む。
「えっと……呼び方は善処する。敬語も、やめる。」
「じゃあ、私の名前、今呼んでみて」
うぐ、と変な声が出た。言葉が詰まる。
ダリア様は期待した瞳で、ただ俺を見つめていた。
覚悟を決めて、口を開く。
「……ダリア」
たったそれだけの言葉なのに、顔がぶわっと熱くなった。
「うん。いいわ」
満足そうにダリア様が頷く。
「明日も、明後日も、ずっとそうしてね」
もし俺が、エドガーとの婚約が白紙になった原因で、ダリア様の嫌う『高慢で守銭奴で不愛想なじじい』だと分かったとしても、そんな風に言ってくれるんだろうか。
罪悪感が胸の中で騒めく。同時に、無防備な笑顔にどうしようもなく邪な欲が沸く。
思わず腕が伸びないように、腕を組んで抑えてみる。
そんな俺の葛藤は、ダリアが部屋へ帰るまで続いた。
◆◆◆
まだ浅い眠りの底から、ふいに意識が引き上げられた。
まだ瞼が重い。寝返りを打ち、このまま二度寝に落ちようとした、その時。
――コンコン。
遠慮がちに響いたノックの音。
「……ルーク、起きてる?」
扉越しに聞こえた小さな声に、一気に覚醒した。
ダリアだ。
「い、今行き――行く!」
慌ててベッドを抜け出し、一瞬鏡を見て焦茶色の髪を整える。そして、すぐに扉を開ける。
そこにはダリアと、一歩後ろにメルティが控えていた。
「おはよう、ルーク」
昨日の夜更かしを感じさせない、ダリアの柔らかな微笑み。
朝の光を受けた金髪が、やけに眩しく見える。
「おはよう。早起きだね」
「そう?」
と、ダリアが首を傾げる。
メルティがいるため余計なことは言わないが、ダリアが部屋へ戻ってから、まだ4時間しか経っていなない。
着替え、髪のセット等様々なことを考えると、確実にダリアの睡眠時間は足りないだろう。
それなのに、ダリアはまったく眠そうな様子がなかった。
俺の表情を見て、何かを察したらしい。
ダリアは一瞬困ったように目を細め、やがて苦笑する。
「ルークは眠れた? あ、ちょっと早すぎたかしら」
「いや、大丈夫だよ」
「でも、隈ができてる。もしかして、貴方も眠れなかったの?」
「そんなことは――」
否定しようとして、ふと引っかかる。
貴方も?
「もしかして、ダリアって眠れてないの?」
「あ」
俺の言葉に、ダリアは誤魔化すように肩をすくめた。
「実は、この城に来てから、なぜか眠れないのよ」
「え……!
どうしてそれを言わないんだ!」
思わず荒くなった声に、ダリアはゆっくりと首を横に振る。
「眠れてないけど、それだけなの。
疲れは取れてるみたいだし。
本当に、ただ眠れないだけ。面白いでしょ?
――さあ、朝ごはんに行きましょ。
今日はメルティがクッキーパンを作ってくれたのよ」
着いてきて、と廊下を走っていくその背中を、慌てて追う。
さっきの話が本当なら『面白い』と言うには軽すぎる気がした。
疲れは取れているというのは、どういうことなんだろう。
どんな力が作用しているか知らないが、目を閉じても眠れない夜は、どれだけ長く、孤独だろうか。
――そうか。
だから彼女は、昨夜俺の部屋に来たのかもしれない。
魔王城に来てから眠れていないということは、眠れない理由は魔王と関係している可能性がある。
いつ帰ってくるかもしれない魔王。
そして、不眠の呪い。
夜は長い。彼女は、恐怖を紛らわすために俺の部屋へ来た、のかもしれない。
「……ルーク様」
「ひい!」
突然隣で聞こえた声に、変な声が出た。
振り返ってきたダリア様に「なんでもない」と手を振り、俺は声の主へ視線を移す。
横には、メルティが立っていた。その目が、「静かにしてください」と叱咤している。
俺のせいじゃない。メルティは気配を消すのが異常に上手いのだ。
「な、なんだよ」
問うと、ダリアにはあまり聞かれたくないらしい。メルティが聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で呟く。
「ああは仰っておられますが、眠れないことはダリア様にとってお辛いようなのです」
「それは……そうだろうなぁ。
急に眠れなくなったら誰でも戸惑う」
「………そう、ですよね」
メルティが考え込むように、下を向く。
その様子だと、メルティは問題なく眠れているのだろう。
そもそも、なんの対策もなく魔王城で寝ること自体恐怖だと思うが、そんな様子もない。
宮殿や高級宿のような城内では、致し方ないのかもしれないが。
「ここに来てから眠れないってことは、魔王が呪いをかけてるっていう線が濃いとは思うけど……」
「呪い……ですか」
メルティがショックを受けた顔をする。
不在の魔王。
しかし、呪いの力でじわじわ精神を崩壊するつもりだとしたら、やはり不在だとしても油断できない。
「少し、調べてみないとな」
メルティに声をかけ、俺は離れたダリアの背を追う。
「話はまだあります」
再び俺を呼んだメルティの声は、やけに冷たかった。
思わず構えて振り返ると、表情を一つも逃さんとばかりに見つめる紫の瞳と目が合う。一
「っ何……?」
「ダリア様は、少ない時間ではありますが毎晩わたしをカードゲームに誘ってくれるのです。
けれど、昨夜はお声がかかりませんでした。あなた、何かご存知ですか?」
ひく、と頬が引きつった。
けれど、流れそうになった冷汗はなんとか止めた自分をほめてあげたい。
「さあ。ダリアの部屋に行ってみたりしなかったのか?」
「……行っては、みたのですが……」
含みのある言い方だった。
信頼関係があるとはいえ、ダリアは公爵令嬢でメルティは侍女。呼ばれてもないのにダリアの部屋を開けるなんて無理があるかもしれない。
「まあ、知らないならいいです」
と言いながら、完全に俺を疑っている瞳。
居たたまれず、つい口が開く。
「俺を疑ってたなら、俺の部屋に来てみれば良かっただろ」
「馬鹿なのですか。
あなたは仮にもダリア様の婚約者。そんな人の部屋に、夜行けるわけないでしょう」
確かに、普通なら自分の主の婚約者の部屋に侍女は行ったりしない。
「けど、お前ならダリアがいなきゃ真っ先に俺の部屋に来そうじゃん」
低く返すと、メルティはぎろりと俺を見る。
「……どれだけそうしたかったか。
我慢して差し上げたわたしをほめていただきたいです」
ぴり、と張りつめた空気。
しかし、ダリアが長年一緒にいるメルティではなく、俺を選んで昨夜来てくれたことについにやけてしまう。
「早くー! 何してるの」
いつの間にかダリアと距離がかなり開いてしまっていたらしい。
「申し訳ありません」
ダリアの手招きに誘われたメルティが、走り去る。
その間際。
「ルーク様。
あなたとダリア様の距離が急に近くなったわけも、後でしっかり聞かせて頂きますから」
ため口と呼び捨てのことを言っているのだろう。
「………ですよね」
この城が、やはり居心地のいい場所ではないことを、俺は少しずつ思い知らされていた。




