2.誤解です
中央に置かれた椅子に腰かけて、彼女は優雅にお茶を入れていた。
五年前はまだあどけなかった顔も、今や美しい女性へと変貌している。
つり上がった眉が、意志の強さを感じさせた。
「ど、どういうことですか?
帰りたくないって、そんな……」
動揺で語尾が震える。
ダリア様はちらりと俺を見て、ため息をついた。
「だってね、ここって居心地がいいのよ。
ごろごろしてても怒られないし、ダンスもしなくていいし、最高なの」
嫌なことも言われないしね、と小さく付け加え、彼女はお茶を一口飲む。
その声は明るかったが、『絶対に帰らない』という強い響きを感じた。
「いや、でも……!」
「ほら見て。この展望台だって素敵よ」
「え……」
促されて、見渡す。
展望台は見晴らしがよく、遠い海さえうっすら見えた。
辺境の山奥にある魔王城だからこそ見渡せる、緑の景色。
そして、王都にはない静けさ。
中央に置かれたテーブルと椅子は上品で、ティーセットにはクッキーも添えてある。
「確かに、良い所ですけど……って、いやいやいや!
ここは魔王城ですよ! 危険です!」
「危険?」
と、ダリア様が小首を傾げる。
「あなた、魔王に会ったの?」
「え……」
「ここで魔族と戦ったの?」
「それは……っ」
じっと見て来る瞳に、答えられない。
外には数多の魔族がいたが、魔王城には魔族どころか魔物一匹いなかった。
そして、ここにも魔王はいない。
俺の表情で察したのだろう。
「やっぱりね」
と、ダリア様はカップを置く。
「攫われて以来、実はわたしも魔王を見ていないの。
ここには、わたしとメルティしかいない」
立ち上がったその視線が、外へ向く。
「メルティ?」
「侍女よ。今、買い物に行ってる」
え、あんだけ外に魔族いたのに?
行き来できるってどんな侍女だよ、と内心ツッコむ。
「で、ですが、魔王だっていつ戻って来るか分かりません。
逃げるなら今がチャンスです!
それに、お父様も心配して――」
その言葉を言った途端、彼女の瞳に陰が落ちた。思わず口を噤む。
「父様は、わたしのことなんて見ていないわ」
ひやり、とした声だった。
ふと、白むほど固く握りしめられた手が目に入る。 逃げ場のない感情を、抑え込んでいるようだった。
「こ……公爵は、ダリア様のことを大事に思ってますよ」
気の利いた言葉の一つも思いつかない自分を叱咤する。
何か、何か言わなければ。
焦れば焦るほど言葉は逃げ、口から出たのはその場しのぎの虚しい言葉だけ。
自分が情けなかった。
彼女との再会を切望し、婚約者という立場さえ手に入れたのに、俺はダリア様のことを何も知らない。
「いいの。わかってるから」
ふ、と悲し気に目を細めて彼女は言う。
「わたしを大事に思っていたら、そもそもじじいと婚約なんてさせないでしょ」
「……は?」
ダリア様の言葉に、思考が止まった。
思わず聞き返していた。
じじい……?
今、じじいって言った?
「あら。知らないの?
わたし。じじいに婚約を申し込まれてるのよ」
「え?
ちょ、待ってください。
違います! あなたと婚約が決まったのは――」
「最近就任した、高位王宮魔導士、でしょ?」
俺、という重大発表は、ダリア様の声で掻き消された。
うわああああ、と思わずしゃがみこみ、そうしていても仕方ないと気を取り直して立ち上がる。
「そ、そうです。
それはそうなんですけど、相手はじじいでは――!」
「もう言わないで!」
「!」
拒絶するような鋭い瞳に、押し黙る。
言いたいが、それを許してもらえないやるせなさに口を引き結んだ。
俯いて、ダリア様がおずおずと続ける。
「……だって、高位王宮魔導士なんて、じじいばっかりじゃない。
それに、わたし噂で知ってるのよ。
その人って不愛想で守銭奴で、おまけにすごく偉そうなんだって。
他にも失礼だとか付き合いが悪いとか、悪評しか聞かないわ」
「え…………」
思わぬ精神攻撃をくらい、胸にぶわっと靄が沸く。
俺、そんな風に言われてんの?
確かに、職場はじじいばかりだ。
俺は二十。歳の差もあり、『じじいたち』とは上手く話せていない。
就任初日、歓迎会を開くと言ってくれたのだが、わざわざ俺の為に時間なんて使わなくても、と思って断ったのがいけなかった。
その時の、凍った空気。今でも思い出すと吐き気がする。
それからは絶対に断らないと心に決めたものの、以来最低限の会話しかしていない。
コミュニケーションが壊滅的な分、仕事で印象を挽回しようと努力しているのだが――職場の居心地はよくならない。
高慢な態度はとっていないつもりだが……
それに、守銭奴ってなんだろう。まったく自覚がない。
「どうしたの。顔色悪いわよ」
「い、いえ。なんでもありません」
ショックが隠しきれず狼狽える。
しかし、俺が婚約者です、と名乗る選択肢はすでに消えていた。
噂を鵜呑みにしているところに名乗り出たら、拒絶される可能性がある。
不愛想で守銭奴で偉そう、という印象を払拭するまで、黙っておくしかない。
……払拭できるかな。
「ちなみに、ダリア様はその婚約者の名前を……?」
「知らないわよ。知りたくもない」
「………そうですか」
「な、なんで泣いてるの。本当に大丈夫?」
「はい……」
震えそうになる声を必死に抑える。
初恋の相手である婚約者に拒絶され、職場で悪口を言われていることが発覚し、心はぼろぼろだった。
それに――俺のことなど覚えていない様子のダリア様に、少なからず落ち込んでいる自分もいる。
まあ、出会ったのはもう五年も前だ。覚えていなくても仕方ない。
しかし、少しばかり期待していた自分が小さく思た。
「まあ、せっかく来たんだし今日は泊まったら?
部屋はたくさんあるのよ。案内してあげるから。
あなた、名前は?」
「……ルーク、です」
「ルークね。
あなた、わたしを助けにきてくれたのよね?」
「はい、もちろん」
頷くと、ダリア様は紺色のドレスをひるがえし、挨拶をしあう距離で止まる。
その頬が、ふわりと綻んだ。
暖かい手のひらが、俺の手を取る。
その柔らかさに跳ねる鼓動。
俺の手は鍛錬でガサガサで!
握ってもらう価値なんかなくて……!
喉まで出かかった言葉を、なんとか飲みこむ。
淡い桃色の唇が、そっと開く。
「ここに攫われてから、もう七日目。
わたしを助けに来てくれたのは、あなただけよ。
ありがとう。嬉しいわ」
「!」
その一言で、顔に熱がぐあああと集まる。
そりゃそうだろ。
この五年間、ダリア様の傍に行きたくて行きたくて、死ぬほど頑張って来たんだから。
「家には帰らないけど、この城を案内してあげる。
ね?
ようこそ、魔王城へ」
向けられたあどけない微笑みに、彼女を説得する言葉も奪われる。
情けなくも、促されるまま俺はこくりと頷いた。
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