ep47:はじめての鬼ごっこ
(うわぁ……)
言葉を失う、というのはこういうことを言うのだろう。ボクは初めて深紅の都という城下町を訪れていた。
「いらっしゃい、新鮮な果物が揃ってるよ」
「そこの兄ちゃん、寄ってきなぁ!」
「珍しい骨董品だよ!」
活気があり、心地良い程度の雑踏が響く。深紅の都の名の通り、深みのある赤色が所々に使われており、その色にダリオンを連想させる。
「────お、お前人間か?」
「人間!?こんなところにか?」
龍人族と思わしき魔物が、すれ違いざまにボクを見て珍しそうに声を上げる。獣人族がその声に呼応するように反応する。ざわっと空気が揺れ、ボクに注目が集まるが……、同時に襟元に巻き付いていたスノウが首を持ち上げた。
「え、スノウさん?」
「何?じゃあ、この人間ってもしかして────“ノエル”か?」
「は、い。ノエルです……けど……」
この、スノウがまるで通行証の代わりの様な扱いだけはいまだに慣れない。それにボクをノエルだと知っている周りの反応。ダリオンは自分が長いこと見守っていた子だから、と言っていたが、だとしてもこれだけ魔物の間に周知されているのは全然納得できない。
大々的に宣言でもしたのか……?
「お前が“ノエル”か。もし分からないことがあれば何でも聞けよ」
「何か探してるモノはあるのか?」
「……え、っと……本を……」
この世界に陰と陽があるのだとすれば、今目の前にいる龍人族や獣人は完全に“陽”に分類されるだろう。そんなことを考えながらとりあえず反射的に返事をする。
「本か、そしたらこの先に古書を扱ってる店があるぜ」
「人間界の本も置いてたから、見て見ると良い」
「はい、ありがとうございます」
ただ親切にされた。ボクの孤独で惨めな十三年間は一体何だったのだろうかというくらい、普通に接してくれる魔物たちに、ガチガチに籠城していた心の扉の鍵が一つずつ開いていくような気がした。
龍人族たちと別れた後、ボクは人込みの中をゆっくりと歩く。時折ボクのことを不思議そうに見てくる魔物がいるけれど、その視線は別に痛くない。村や教会で向けられていた差別的な視線とは全く違うものだった。
(……あ、本屋ってあれのことか……?)
少し先に、店先に本を積み上げているのが見える。たくさんの本を見るだけで心が躍るボクは、やはり本が好きなのだと再認識しながら本屋へ向かっていると、
「ノエル殿ですか?」
そう、背中に声をかけられる。
振り向いてみると、そこに居たのは兎魔族だった。
「……兎魔族の村の……?」
「そうです、隣でスープを飲み合った仲ですよ」
正直、兎魔族の中でも区別ができていたのは顎鬚と眉毛が特徴的な老齢な兎魔族と、あきらかに幼い姿の兎魔族だけだった。今も隣にいたと言われても正直ピンとは来ないけれど、そんなことを言って、再会に水を差すのも違うなと思い呑み込む。
「小さい兎魔族がいたでしょう。あの子が、ノエル殿に会いたがっていまして。ただまだ小さいので深紅の都の魔素に耐えられなくて……。良ければ、遊びにきてもらえませんか?」
遊びに────
甘美な響きだった。それはとても、極上のデザートのような。
(ボクが、誰かと遊ぶ……?)
幼少期のまだそんなに遠くない記憶を辿る。教会の庭で鬼ごっこをする子どもたちの笑顔と笑い声。時折上がる楽しそうな悲鳴に、「ボクも」と駆け出したかった。
────……勿論、それが叶うことはなかったのだけれど。
「い、いいの?」
「ええ、もちろん。歓迎しますよ」
そう言う兎魔族の顔は穏やかだった。裏も表もない、ボクに向けられた言葉はひどく心地よかった。
「私はこれから戻るところなのですが、ご一緒にいかがですか?」
「えっ、えっと、」
い、いいのだろうか。ダリオンに確認を取らなければ、とわたわたしていると影が揺らいだ。中からずるりと影を引きずり現れたのは、綺麗な銀髪を後頭部で一つに纏めた、耳の先が尖った女性。
(……いや、誰!?)
びっくりしてその姿を凝視していると、女性は深々と腰を折る。
「初めまして、ノエル殿。私はセレナと申します。兎魔族の集落へ遊びに行かれるのですか?」
丁寧な口調に一瞬騙されそうになったけど、今の会話を何故知っている?と疑問がわき出す。……が、どうせこれもダリオンの仕業なのだろう。後で問いただしてやる、と決意し一度疑問は呑み込んだ。
「セレナ、さん……あの、これから向かっても良いですかね?」
「ええ、ダリオン様も“行っておいで”とのことでしたので、大丈夫ですよ」
ダリオンは一体どこで何を見ているんだ……。いたるところにダリオンの気配を感じてなんだか落ち着かない。
「じゃあ、行きます」
「承知いたしました」
するん、と当たり前のように影の中へ潜るセレナさん。ボクの影一体どうなってんの……?
「……と、いうことで行きましょうか」
「ええ、きっと喜びますよ」
影のこともセレナさんのことも、一度全部考えることを放棄し、ボクは兎魔族と他愛ない話をしながら村へと向かった。
***
兎魔族は知能が高い。基本的に人畜無害である兎魔族は人間の世界でも危険視されていないが、その知能の高さから識字率は60%を超える。人里に近い場所に拠点があることもあり、無駄な争いを避けるためにも人語を理解し、喋ることも幼いころから可能となっている。
(人間は魔族の言葉なんて、理解しようともしないのに)
基本的に意思疎通はできないものと決めつけ、遠ざける。兎魔族を見る限り、できうる限りの努力をしてくれているというのに……。
相変わらず、人間の醜い部分が見えてしまい、腹の底に苛立ちが溜まっていく。
「────着きましたよ」
「あ、……なんだか、久しぶりな感じがしますね」
足元が悪い森の、道なき道を歩いていたボクの前に、あの日と変わらない木柵で囲われた村が見えた。
「さあ、どうぞ」
促されるがまま、門をくぐる。すると、あの日火を囲んでスープを飲んだ広場で、子どもの兎魔族が複数遊んでいた。
「────あ、おかえり!!」
「えっ、もしかしてノエル!?」
「えーっ、ノエルが遊びにきてくれた!」
あっという間に幼い兎魔族たちに囲まれ、あたふたしているボクに、一緒にいた兎魔族が助け舟を出してくれる。
「ほら、囲まないの。ノエル殿は遊びに来てくれたんだ。逃げたりしないからゆっくり喋りなさい」
「はぁい」
「それじゃあ、私は市で仕入れてきたモノを整理してまいりますので」
そう言って兎魔族は大きなテントの中へと消えていく。残されたボクを、幼い兎魔族たちがじっと見つめていることに気が付き、その場にしゃがみ込んで目線を合わせた。
「遊びに来たんだけど、ボク遊ぶの下手なんだ。遊び方を教えてくれる?」
そういうと、待っていましたと言わんばかりに兎魔族たちは目を輝かせる。
「もちろんだよ!」
そう言って兎魔族たちは早速鬼ごっこをしようと誘ってくれた。
「ルールは簡単だよ。タッチされたら鬼が交代になるんだ。テントの中や柵の向こう側には出ちゃだめだよ」
「わかった」
「じゃあまずは、ぼくが鬼をやるよ!」
一人の兎魔族が鬼を買って出てくれたのと同時に、数字を数え始める。
「十になったら追いかけてくるから、今の内に鬼から離れるんだよ~!」
そうなのか、とボクも倣うように駆け出す。こんな風に駆け出したのは、いつぶりだろうか。地面を蹴る感触が、心地良い。
「九~……十! それじゃあ、いくよー!」
十数え終わった兎魔族が駆け出す。さすが兎魔族と言うだけあって、脚力があるのだろう。一気に加速してくるため、ボクはあっさりと捕まってしまった。
「あははっ、ノエルが鬼だよ!十数えてね!」
「じゃあ、いくよ。いーち……!にーい!」
きゃあきゃあと笑い声を上げながら兎魔族たちは逃げる。愛らしい姿は微笑ましく、何より本当に楽しそうに笑う姿に胸の奥が熱くなった。
「────……十!いくぞ!」
そう宣言して、駆け出す。兎魔族たちはとにかく俊敏で、進行方向の切り替えもかなり早い。捕まえようと手を伸ばしても掠りもしない。
……足を止めてしまいそうだ。視線を忙しなく動かすせいで、目が回りそうだ。
────……ああ、息が苦しい。
それなのに、どうして。
こんなに楽しい。
────ボクは初めて、楽しくて声を上げて笑った。
ただ、楽しくて。こんなに辛くて苦しいのに。ボクは楽しかった。
この時間が、唐突に終わるなんて。
この時ボクは思いもしなかったんだ。




