ep45:日常に溶けていく
「────剣が習いたいんだ」
そう言いだしたのはノエルだった。
高濃度の魔素にも適応できることがわかり、正式に魔王城に住むようになって一週間が経った頃、執務室に現れたノエルが突然そう切り出した。
危ないことはなるべくさせたくない、という親心もありつつ、ノエルを三年間で強くすると言った手前断ることもできない。
「うーん……わかった」
私は渋々ではあるが承諾する。
「アスタロト、ベリアル」
「は、ここに」
名前を呼ぶとスッと背後に現れる双璧。私は二人にノエルに剣の稽古をつけてほしいとお願いした。バアルも剣を扱うけれど護衛部隊の仕事もあり、ノエル一人に稽古をつけられるほど時間を持て余していない。
比べて白銀の護衛卿の二人は私が執務室にこもっている間は特に仕事という仕事はなく、二人で実戦形式の稽古を行っているらしい。そこにノエルを混ぜて……というか、その時間をノエルにも分けてあげてほしい。とお願いすると、すんなり承諾を得た。
……まあ、私がお願いしている時点でそれを拒否できる二人ではないのだけれど。
そして稽古初日、最初から真剣を持たせるもんだから、最初は木刀からで良いのでは……と提案したけどアスタロトから却下を喰らった。
「木刀ですと、当たっても平気だと思ってしまう。真剣ならば必死に避けるでしょう」
……だそうですが、有識者の皆様はどう思います?やっぱりうちの幹部たちが過激すぎるような気もするのですけれども。
「真剣って、すごく……重い」
ノエルはアスタロトに渡されたロングソードを握りしめ、その重みを確かめる。
「そうです、すごく重いんですよ。それで、人や魔物を傷つけるのです」
「!」
アスタロトの言葉に、ノエルは目を見開いた。
「傷つけなければ、護りたいものも護れない。強くならなければ蹂躙されて終わる。貴方の、護りたいものはなんですか。強くなりたい理由はなんですか。剣を持つ、という意味をしっかり考えてください」
────ガツーン……。
ショックだった。
稽古初日、いきなり渡された剣は一般的なロングソードだった。凝った装飾があるわけでも材質が珍しいものでできているわけでもない。それでも手のひらにずっしりと感じる重みに、ほんの少し恐怖を覚えた。
そんなボクに投げられた、アスタロトさんの言葉は正直痛かった。剣を持ちたいというのは半分好奇心のようなものだったし、だからこそ、アスタロトさんの言葉がボクの内側を抉っていく。
(ボクが、護りたいもの……強く、なりたい理由……)
目を閉じると瞼の裏に焼き付いて離れない。月夜を背負いボクを囲う大人たちの影。一歩的な暴力はまさに蹂躙だった。幼い子どもを暴力で制するのは、簡単だっただろう。
ボクはあの日、尊厳も何もかも、失った。命さえも失うところだった。あんなに一方的に暴力を受けるのは嫌だ。それに────、
ボクはちらりとダリオンを見遣る。魔界を統べる王……。ボクなんかが護れるような人ではないのは分かっているつもりだ。けれど、それは魔王としての彼だ。
ボクは、友達としてのダリオンを、もう失いたくない。
強くなれば、もう二度とボクは────大切な人を失わなくて済むかもしれない。
あの日失って一番辛かったのはダリルという存在だった。ボクが弱いせいで、ダリオンに迷惑をかけた。そして彼はボクのことを想って身を引いてくれた。
一番許せなかったのは……、ボク自身なのだ。
「────……ボクは、もう二度と……ボクから何も奪われないように強くなりたい」
真っすぐにアスタロトさんを見て、ボクなりの答えを差し出した。その答えがお眼鏡にかなったかどうかは分からないけれど、アスタロトさんは端麗な表情を少しだけ綻ばせた。
「そうですか。それならば、厳しくいきましょう」
「……はい!」
そして、ボクの剣の稽古が始まった。
***
────ギィンッ、────ガキンッ……!
剣戟の音が、響く。
魔王城の中庭。立ち込める雷雲でわかりにくいが、太陽は今真上を通って少し傾いたころ、そこには複数の人影がいた。
「はぁ、はぁ……っ、く……!」
「ほらほら、腕が下がっていますよ」
「く、そ……! やぁ!!」
ガキ────ンッ……!
重たい金属音と同時に、刃が一振り空を舞う。数秒後、ドス、と音を立てて刃が地面に突き刺さった。
「はぁ、はぁ……あ────、クッソ……」
そう言って仰向けに大の字で倒れこんだのは、ノエルである。
「まだまだ、踏み込みが甘いですよ」
そう言うアスタロトは倒れこんだノエルに手を差し伸べた。ノエルもその手を躊躇することなく取ると、立ち上がって土埃を払う。
「でも、剣筋の読みはよくなったんじゃないッスか?」
ノエルとアスタロトの打ち合いを傍で見ていたベリアルが、純粋な感想を述べた。
「確かに、攻撃を避けられるようになってきましたね」
「アスタロトの攻撃は速いッスからね。だいぶ成長したんじゃないッスか」
「本当ですか?それは結構嬉しいかも」
あの日、いきなり真剣を渡したアスタロトを過激派!と非難したけれど、結果としてノエルはしっかりと力を伸ばしている。
最初はアスタロトの攻撃を避けることなんてできなくて怪我も多かったけれど、今ではノエルの方から切りかかることもできており、一週間といえど子どもの吸収力というものは凄いものだ、と驚かされる。
「お疲れ、ノエル。ベリアルに褒められるなんてすごいじゃん」
「ダリオン! またルシファーさんから逃げてきたの?」
「うっ……、ソンナコトナイヨ。息抜きがてら様子を見に来ただけだよ」
額の汗を拭うノエルが眩しい。まるで部活に明け暮れる少年の様でオタク女子の心を簡単に搔っ攫う。
ノエルもこうして冗談を言えるくらいには、緊張を解いてくれているらしい。いい変化だな、と思いながら、跪いているベリアルとアスタロトに声をかける。
「どう、ノエルの成長ぶりは」
「目を見張るものがございます。ただ、まだ剣に振り回されている様子もあるので、体づくりを優先的に行っております」
「ノエルくん、凄いッスよ。オレもうかうかしてらんないッスね」
ふむふむ、やはり呑み込みが早いのだろう。
教会に居た頃も読んだ本の内容を殆ど暗記していたり、文字の読み書きも随分早い段階でできていたようだし。
「────じゃあ、そろそろ魔法の練習もしようか」
「え……っ」
にやり、笑って見せるとノエルは嬉しそうに表情を明るくする。
「《聖》属性の魔法も、教えられるよ」
「え、なんで?!だって、文献とか殆どないって……」
動揺と困惑に揺れるノエル。確かに、人間界では人間同士での戦争は日常茶飯事であるが故に、数百年に一度しか現れないため文献の保存が難しい。文字通り、焼けてしまったり紛失してしまい長期保存が叶わないのだ。
────けれど、それは人間界の話である。
「人間界には、ね。魔界は違う」
そういうと、ノエルはハッとして見せる。
「私たちにとって《聖》属性は弱点ともいえる魔法。人間界よりずっと必死に研究してきたの。その文献が残ってる」
人間が忘れた聖なる力を、魔族のほうに詳しく伝わっている。
なんとも皮肉めいていて、私は笑いが止まらない。
「文献の管理はモルガントだから、準備ができ次第魔法の訓練も行っていくわよ」
「うん!」
こうしてノエルは、少しずつゆっくりと、けれど確実に。
私たちの生活に溶け込んでいった。




