ep39:会いに来たよ。
小鬼人の集落を出てしばらく歩いたところで、陽が暮れ始めた。
(そろそろどこかで野宿の準備を……いや、待てよ……?)
小鬼人にもらった地図を開き、自分のいる位置と照らし合わせると、すぐ近くに兎魔族の拠点があることに気が付く。
ここで一晩泊めてもらうことはできるだろうか。いきなり行って迷惑じゃないだろうか。……そもそも、泊めてもらえるのだろうか。拠点にまで行って、門前払いをされたらどうする?そこから野宿の準備をしていては遅いかもしれない。
思考が纏まらず、ぐるぐると考えがめぐっていく。そんなボクの頬を、スノウの尻尾が軽く叩いた。ぺちぺちという小気味良い音とわずかな刺激に、堂々巡りしていた思考が一時止まる。
「スノウ……?」
その表情はどこか明るく、まるで「自分がいるよ」とでも言いたげな顔だった。そこで、小鬼人がスノウを介せば良いと言っていたことを思い出した。
「……そうだね、ボクは一人じゃない。君がいるんだ」
ふ、と強張った体から力が抜ける。
スノウがいれば、なんでもできる。そう、いつだって、まるで無敵になったかのような錯覚に陥るんだ。
ボクは少し方向を変え、兎魔族の拠点へと向かう。
歩き始めて十分くらいで、木の柵で囲われた拠点が見えてきた。兎魔族は自ら人や動物を襲うような狂暴性はなく、穏やかな性格だと聞く。図鑑の内容がどこまで本当かはわからないけれど、今頼ることができるのは幼いころに読み込んだ書物の内容だけ。
ボクは見張りも立たない拠点の入り口に近づき、そっと中を覗いてみた。丁度食事時なのか、ウサギ型の魔物が大勢で火を取り囲んでいる。この場にボクが突然現れたら驚かしてしまうかもしれない、と考え、ボクはスノウを襟元から地面へと下す。
「スノウ、行ってきてくれるかい?」
そう言うと、スノウは尻尾をゆらりと揺らし、そのまま拠点の中へと入っていった。
そして僅か数分で、これまた立派な顎髭と、目にかかるほど伸びた眉毛が特徴的な老齢の兎魔族が出てきた。
「こ、こんばんは。その、ボク……」
何て言うか考えておらず、言葉が口の中で絡まって出てこない。そんなボクに気づいたのかはわからないが、老齢な兎魔族は微笑んだ。
「こんばんは、ノエル殿でよろしいですかな?」
「は、はい。ノエルです」
「スノウ殿から聞きました。今晩はここで休んでいってください。夕飯はお済ですか?」
「あ、ありがとうございます。夕飯は、その、まだで……」
ああ、これでは夕飯を催促しているみたいだ。教会での嫌な思い出が脳裏に浮かんで、背中の傷が疼く。食事量が足りない、と幼いボクは後先考えずシスターの裾を引っ張って訴えた。その夜────
「……っ、」
ずきっ、と背中が引きつるような痛みにボクは眉根を寄せる。そんなボクの表情をどう受け取ったのかはわからないけれど、兎魔族は優しく微笑む。
「野菜を煮込んだスープを、今みなで食べているのですよ。今日は具沢山で、味も美味しいと評判なんです。是非、食べていって下さい」
温かな言葉だった。言葉には触れることもできないのに、確かにそこには温度があった。鼓膜から入り、全身にゆっくりと染みわたっていく。
「は、い……ぜひ」
泣き出してしまいそうだった。子どものように、大きな声で喚きたくなる。それを思春期の理性がどうにか引き止めることで、声が震える。泣くなんて、ダサい。格好悪い。そう言うボクがいるのと同時に、甘えて感情のままに泣いてしまいたいボクもいる。
二つの感情の狭間でどうにか涙を飲み込んで、ボクは兎魔族に続いて拠点へと足を踏み入れた。
火を取り囲むように座る兎魔族たちは、その誰もがボクの腰高くらいの身長ではあったけれど、その心は広く大きく、飛び入り参加のボク────それも人間であるボクを、当たり前のように受け入れてくれた。ボクのために互いが距離を詰め合って、ボクが座れるスペースを作ってくれる。誰が言うでもなく、ボクのためにスープをよそい、配膳してくれる。
「これ、おいしーよ!」
少し幼い兎魔族が屈託なく笑う。その口周りには食べこぼしが付いているが、それだけ夢中になるほど美味しいのだろう。仮に美味しくなかったとしても、美味しそうに食べる姿を見るだけで満足できる。
(不思議だ……)
お腹よりも、胸が満たされていく。空っぽだった心に、何か温かいものが注がれているような。そんな不思議な感覚を覚えながら、ボクはスープを一口すすった。
塩味はない。ただシンプルな野菜の甘味と旨味が溶け込んだスープは温かくて、胃の中に落ちていく。教会でもくず野菜のスープなんかは良く出ていた。塩で味付けされていた分、味はあったかもしれない。
けれど、ボクはこれほど美味しいスープを食べたことはなかった。今日食べたこのスープの味を、ボクは生涯忘れないだろう。
***
賑やかな夕食の時間はあっという間に過ぎ、ボクは兎魔族に案内された小さなテントの中で横になる。干し草の上に布を置いただけの簡素な寝床だが、これが意外と気持ちが良い。今日も一日森を歩き、溜まった疲労は素直にボクを夢へといざなう。
(ああ、心地が良い)
生きてきて初めてそう思えたかもしれない。教会ではいつも、身を縮こまらせて、息を潜めて生きてきた。こんな風に安心感に包まれながら眠ったことなどない。屋根も壁もあって、簡易的ではあったがしっかりとした寝具で眠っていたにも関わらず。
ボクはゆっくりと、意識を沈めていった────
「お気をつけて」
「はい、ありがとうございました」
翌朝、ボクは兎魔族たちに見送られる形で拠点を出た。老齢な兎魔族が言うには、小鬼人の書いてくれた地図は正しくそれでいて最短であるとのことで、このまま順調に進めば今日中には辿り着けるだろうとのこと。
ただ、やはり奥に行けば行くほど魔素が濃くなるとのことで、それだけは小鬼人同様心配された。
「彼の御方のおかげで、我々は存続を許されたようなものなのです。我々にとって、彼の御方は尊く、それでいて偉大な御方なのです」
昨夜、そう語ってくれた兎魔族。どうやら一時的にこの辺りも魔素が濃くなり、住むことが難しくなった時期があったが、その原因を取り除き、再び住める地へと変えてくれたのだとか。
話のスケールが大きすぎて、ボクが追いかける先に果たして本当にダリルがいるのか、分からなくなってくるが……。それでも、ボクは間違っていても追いかけると決めたのだ。
今更ダリルへ続く道を外れる気は毛頭ない。
「それじゃあ、行こうか。スノウ」
ボクは襟元に巻き付くスノウにそう声をかけ、再び森へと踏み出した。
そして────
「……はぁ……、ここ……なのか……?」
森の最奥、小高い丘の上に漆黒の城が威容を誇っていた。蝙蝠が羽ばたき、カラスが悲鳴のような鳴き声を上げる。森の入り口付近で感じた神秘的な空気は影を潜め、その場所だけが異質な気配を放っていた。
不安に思い、スノウの表情を見る。スノウはいつも通り……というか、今まで以上に機嫌が良いのか尻尾を振った。なんだか微笑んで見えるけれど、おそらくボクが疲れているのだろう……。
きょろきょろと見渡すも、見張りのような魔物はいない。けれど、廃墟のようであってどこか厳かな雰囲気を醸し出す城に無断で入って良いものなのかも分からない。
頼みのスノウは心なしかうきうきしているだけで、先陣切って中へと入っていってくれはしない。
「……ふぅ……」
ボクはゆっくりと深く息を吐き、一度肺の中を空っぽにした。それから今度は深く、深く息を吸って。肺の奥、隅々まで酸素を行き渡らせた。
「────たのも────うっ!!」
腹の底から声を出した。こんな大きな声は生まれて初めて出したけれど、思いのほか気持ちが良い。
ボクはもう、何も怖くなかった。




