ep37:森の奥で出会ったのは、
「────……」
足首を撫でるような寒気に、強制的に夢の世界から引きずり出されたような、不快な目覚めにほんの少し苛立つ。
あの後、スノウに続いて穴の奥へと入ると、そこに穴の主はいなかった。ぽっかりと空いた場所には落ち葉が敷かれていて、ふかふかとした天然のベッドになっていた。
スノウはそこに蜷局を巻いてくつろぐ。まるでここが安全だと言わんばかりに。
ボクもスノウに倣うようにしてごろん、と体を横にすれば一気に疲労感が全身を覆う。疲れがゆっくりと地面に溶けていくような心地良さの中、ボクはそのまま眠りに落ちた。
そして今、朝方の冷たい空気が穴の奥にまで入り込んできて、ボクを起こすように襟足を撫でていく。
「さむ……」
改めて、衣食住の大切さを感じながら、ボクは体を起こす。
すぐ隣にはスノウがいて、まだ眠っている姿に安心感を覚えた。
(……そういえば、スノウって蛇なのに冬眠とかしなくて良いのか……?)
季節は冬に差し掛かろうとしている秋の終わり。
冬眠するには早いとしても、スノウを見つけてから三年間、冬の間もスノウと会っていたことを思い出してふと疑問に感じるけれど、スノウが答えてくれるはずもないし、きっと特殊な個体なんだろう、ということで無理矢理納得した。
時折、体の大きすぎる熊なんかは冬眠するための穴が見つからず、冬眠しないまま冬を越すっていう話も、村の猟師から聞いたことがあるし。
「スノウ、おはよう。明るい内に森を散策しよう」
スノウの体を揺すって起こすが、やはりこの寒さが原因なのか眠りが深くなかなか目を覚まさない。
仕方なくボクはスノウを襟元に巻き付けるようにして乗せ、穴から出た。朝日が木々に反射してキラキラと光って見える森は、どこか神秘的だった。
ボクは大きく伸びをして筋肉を十分に伸ばし、リュックを背負いなおすように背中で弾ませると、早速歩き始めた。
昨日は夕暮れ時で暗くてよく見えなかったけれど、今は朝日が森の中を照らしてくれるおかげで遠くまではっきりと見える。鳥のさえずりやどこかで水が落ちる音、少し濡れた土の匂い……。教会という神聖な場所で育った筈だが、ボクにとっては人間がいない、今、この瞬間の方がよほど神聖で神秘的に感じる。
「さて、と……」
ボクは歩きながらも周囲への警戒は怠らない。
この辺りはもう、魔界との境界なのだ。いつ魔物と遭遇してもおかしくない。それに危ないのは魔物だけでなく、熊や猪といった野生動物も警戒対象である。
それに───────赤い髪の男がダリルと一切の関係がなかった場合。大きく狂暴な熊を一瞬で退治したという力から、敵として対峙することになったら……。
(……それはもう、それで全部諦めよう……)
いくら《聖》属性に目覚めたとはいえ、魔法の使い方も学んでいない十三歳の子どもが、圧倒的な力を前に抵抗するなんてできるはずもないのだ。
意味も分からないまま、為す術もなく屠られて終わりだろう。
(ボクが死んだって、誰も悲しんでなんか────……)
そこでふと、ダリルの姿が脳裏を過る。
ダリルは……、ダリルは悲しんでくれるだろうか。そもそも、居場所も分からない彼にボクの死という情報は伝わるのだろうか。それより、ここで誰にも知られることなく死んでしまったらそれこそ、ダリルはボクの死を一生知らないだろう。
悲しんでくれなくても構わない。けれど、死んだことさえ知られないのは寂しい。
「……なら、なおさら……、こんなとこで死ぬわけにはいかないな」
ただの我儘である。重々承知している。それでも、君に会いたい。君にはボクという存在を忘れられたくない。自分でも笑ってしまうくらい清々しい欲望を胸に、ボクは森の奥へと進んだ。
***
「はぁ……、はぁ……」
どのくらい歩いたか……。軽く見積もっても二、三時間は歩いたのではないだろうか。教会育ちで体力なんかないボクにしては良く頑張っていると思う。
魔物どころか動物の気配すらないことを不思議に思いながらも、呼吸を荒くしながら歩くボクに、何故、どうして、と考える気力はない。
数時間歩いて、森の中でも開けた場所────そこを木の柵で囲うようにしてできた“拠点”らしき場所へと辿り着いた。中からは煙が上がっており、これが人ならばまだ良いが、森奥深くに位置するここに、人が住んでいるとは考えにくい。
十中八九魔物だろう、と警戒しながら様子を探る。
(あれは……小鬼人か……)
遠目に見えるのは、拠点の出入り口に見張りのように立つ小鬼人の姿である。ボクは脳内にある魔物の図鑑を捲り、その特徴を思い出す。小鬼人は力は弱いにしろその圧倒的な数で襲ってくる魔物で、知能はそこそこ。中には人語を操る者もいるとかいないとか……。
(武器も魔法も扱えない今、接触は避けたい……)
そう思ってゆっくり後ずさろうとしたときだった。
────パキッ、
こんなハラハラするような場面にありがちな“物音”。小枝を踏んでしまったことで、静かな森の中に鳴り響く。
(やっちまった……!)
見張り役らしき小鬼人が、勢いよくこちらを振り向いた。ボクは咄嗟に身をかがめて茂みに体を隠すが、見つかるのも時間の問題だろう。
「ググ、ギ、……ガ」
魔物らしい声に、恐怖で震える。
同時に小鬼人の手元には棍棒が握られていたことを思い出し、ああ、痛いのは嫌だな。そんなことを咄嗟に考えた。
小鬼人の足音が、すぐ傍で聞こえ、ボクはぎゅっと目を閉じて、祈ることしかできなかった。教会に居たときだって、こんなにも真剣に祈ったことなどないというのに。
小鬼人の影が視界に入り、もうダメか。そう覚悟した時だった。
するり、襟元で眠っていた筈のスノウが動き、小鬼人の前に飛び出していった。
(ああっ、ダメだ……!スノウ……!)
小鬼人は肉食である。図鑑にそう記載されていた。自分たちで狩った野鼠や野兎を食す、と。そうなると蛇であるスノウも彼らの食料となり得る。ボクは残酷な死を想像してしまい、泣き出しそうになる。
しかし、小鬼人はスノウを視認しても攻撃しようとはしなかった。
「グ、ギ……?……グ、ガガ」
何かを喋るように小鬼人が声を発する。まさか、コミュニケーションを取っているのか?そんな、ありもしないことを考えながら少し様子を見守る。
そしてスノウが当たり前のようにボクの元へと戻ってくると、熊の穴の時と同じく少し進んでは止まって振り返る動作を繰り返した。
────これは、ついてこいの合図。
ボクは恐る恐る立ち上がり、小鬼人の前に出る。
「グ、ギガ?グガガ、ギガ?」
「……何? ついてこい?」
身振り手振りを交えて話す小鬼人の意図を、正確にくみ取れたかはわからない。けれどスノウも小鬼人の後に続くように地を這い進んでいく。
よくわからないけれど、一つだけわかるのはスノウはボクを裏切ったりしない、ということ。
ボクは緊張を隠すように深呼吸を一つしてから、小鬼人とスノウの後を追いかけた。




