ep36:過去との接触
太陽が傾き始めた。
影が伸び、鬱蒼とした森の中はすぐに暗くなった。
「────……だいぶ暗くなったな……」
木々の隙間から僅かに覗く夕日は、赤く空を染め上げている。
時折生き物の気配は感じるが、襲ってくるような殺気は感じない。
周囲を注意深く警戒しながら森の奥へと進んでいく。
「……ん? あれ、か……?」
少年が指差した森の南に位置する場所に、木々の根が複雑に絡み合う土の斜面があった。
その根元にはぽっかりと黒い穴が口を開けていて、周囲の土は削れ、地層がむき出しになっている。
恐る恐る、穴へと近づく。
穴は深いようで、その奥には闇が広がっていた。
灯を持たないボクでは、その奥の様子まで知ることはできない。
もし、この穴の主が赤髪の男に退治された熊ならば、襲われる心配はないだろうが、それを確認する術はない。
「武器はともかく、灯くらい持ってくればよかったな……」
軽率な考えだったことを改めて認識する。せっかくダリルへと繋がるかもしれない手がかりを目の前にして、自らの判断ミスで足踏みを余儀なくされる。
すると、何かに応えるようにスノウがもぞもぞと動き、ボクの体を伝って下へと降りていく。
「スノウ?」
問いかけるも、言葉が返ってくるわけではない。
スノウはボクを一瞥すると、そのまま穴へと入っていってしまった。
「! スノウ……っ」
大きな声は、周囲の獣たちの神経を逆撫でしかねない。
音量に気を付けながら声をかけたが、返事が返ってこないことは勿論、その姿さえ見えなくなってしまった。
一人になったことで急に不安感が強まり、呼吸が浅くなる。
不意に獣の気配を感じ、勢いよく振り向くもそこには森が作る影が広がるばかりであった。
「スノウ……?」
穴に向かって声をかけるも、反響することなく静かに土の中へと声が吸い込まれていく。
しかし、ここでダリルへの手がかりを捨てることも、ましてやスノウを見捨てることもできない。八方ふさがりだったボクの元へ、スノウがゆっくりと戻ってきた。
しかし、安堵したのもつかの間。スノウは尻尾を振り、再び穴の中へと戻ろうとする。
「ちょ、どうしたの?」
そう問いかければ、今度はその場で止まり振り向いては尻尾を振る。
「……入って来いって言ってるの……?」
すると、正解だと言う代わりに尻尾を揺らすスノウ。
正直恐怖心はあったけれど、スノウを失うことも、この場で無防備に夜を明かすこともできないボクは、渋々スノウの後に続いて穴の中へと入っていった。
***
「えーっ、ノエルが森に?」
「はい。何かを探しているようでした」
最北にある農村を訪ねたあと、ノエルは森に入っていったらしい。
今まで日が暮れる前には野宿の準備をしていたのに、今回は日暮れ前に森に入ったという。慎重な性格をしているノエルが、そんなリスキーな行動に出るなんて、一体何があったのだろうか。
「探し物か……。なんだろう」
「それが……、ノエル殿は赤髪のダリルという少年を探しているようでして」
「ダリル……?」
随分聞き覚えのある名前だな……───────って!
「それ、私じゃなあい??」
頭上に「???」が浮かぶ。レイヴンも小さく頷いた。
「おそらくノエル殿は……魔王様を探しているのだと思われます」
レイヴンは謙虚に「おそらく」なんて付けたけれど、ほぼ確定事項なのだろう。考えてみれば確かに、ノエルを蔑み、遠ざけ続けた村に残る理由はない。むしろ自由になったのだ。そんなノエルがどういう行動をとるか、少し考えればわかったのに。
(正直、自分にそこまでの価値があると思っていなかった)
推しに認知されるだけでなく、友達という肩書を手に入れた。当時のノエルにとって、ダリルという存在はかなり特別だっただろう。ノエルの生い立ちや背景を考えれば当然である。
「……もしかして森って……」
ハッとしてレイヴンを見れば、レイヴンは私の意図を察して頷く。
ノエルの向かった森、それは多分あの狂暴化した熊が現れた森のことだろう。私が人里近くに現れたのは、あの時とノエルが倒れたときのみだ。
あの時、誰かに見られていたのならば噂話程度の情報がノエルの耳に入るのにも納得がいく。印象的な赤い髪を探しているのならば、なおさら。
「……今、あの森って危険度どのくらいだっけ」
「北の森は現在魔素濃度も比較的薄く、小動物や弱小種族の棲息地域となっています。故に、ノエル殿への魔素による影響は低いかと。魔物のレベルも鼠魔族や兎魔族など無害な魔物が多く、G~F程度です」
何の資料も見ずにすらすらと情報を述べるレイヴンに驚きを隠せない。その情報量どこにしまってんの?
「獣も大型の熊などは確認されていません。ただ猪の生息地域でもあるので魔物よりそちらの方が危険かと」
「えっ、やばいじゃん。助けに行かないと!」
「いえ、ご心配には及びません」
私の生前の記憶がフラッシュバックする。朝夕のニュースで騒がれたのは熊の方が多いが、猪もたびたび話題に上がっていた。実際に対峙したことはないが、猪が危険な動物であることは理解している。
故に焦って見せたが、レイヴンの反応は冷静そのものである。
「ノエル殿にはスノウがついております」
「……え?」
スノウって、スノウだよね?え?蛇だよ???
困惑する私に、レイヴンが言葉を足してくれる。
「スノウは蛇魔族です」
「は?」
おっと、この低い声で「は?」の一言は狂暴性が高い。圧をかけたような言葉になってしまい申し訳ない気持ちでレイヴンを見るけれど、流石は《魔王覇気》を浴びた男。私のちょっと低い声なんて気にも留めていない。
「最初はタダの獣でしたが、私の配下となった際に蛇魔族へと変異いたしました。スノウには私の魔力を直接付与しておりますので、並大抵の獣や魔物は近寄れません」
……へぇ~、魔力って付与できるんだ?そんなお守りみたいなことできるんだ?凄いね、何でもありじゃん、さすがはファンタジー……。
もう、何に驚いてツッコんで良いのかもわからず逆に冷静になるわ。
でも、それならばノエルが森で魔物や獣に襲われる危険性はかなり低くなる。私はふう、と一息ついて強張った体を脱力させた。ギシ、と椅子がわずかに軋む。
「とりあえず、ノエルに危険がないなら良いや」
「は、その点は問題ないかと」
レイヴンの答えを受け、私は安心して天井を見上げる。けれど、まだ胸騒ぎはやまない。結局、ノエルが勇者パーティと出会うはずの村にいないことは事実なのだ。
(こいつぁ……やっちまったかもしれないなぁ……)
レールから外れ始めたストーリー。
元に戻さなければならない、という気持ちはもちろんあるが、村はノエルにとって良い思い出のない場所。そこに戻すことが果たしてノエルの幸せといえるのだろうか。どうしたら、ノエルの幸せな未来を守れるだろうか。
考えても答えなんか分からなくて。私は肺の奥にまで届くように酸素を吸い込むと、ゆっくりとそれを吐き出して視線を落とす。そこにはやってもやっても終わらない書類が散らばっていたが、文字は目の表面を滑るばかりで。
ノエルの幸せを守るための答えも方法も、どこにも載っていなかった。




