ep17:仮説を立てよう、そうしよう。
「ダリオン様、お帰りなさいませ」
帰城すると、モルガントとバアルが出迎えてくれた。
私は「ただいま」と応えて執務室に入る。
モルガント、バアルも私に続いて執務室へと入ってきた。
「どうでしたか、怠惰の谷は」
モルガントが話を切り出してきたため、どこから話そうか、と一つため息を吐く。
「今日、怠惰の谷の中には入ってないんだよね。
周辺の小鬼人の集落に行って現状確認してきた」
そう言って椅子に腰かけると、シゴデキルシファーがお茶と簡単に纏めた報告書を持ってきた。
……いや、早くね?だって、城に戻ってきてまだ十分とかだよ?
十分でお茶が出てくるだけでもすごいのに、何、この報告書。
……手書きだよ……。
とまあ、そんな驚きは表情に出さず、ルシファーからお茶と報告書を受け取る。
執務室には執務机と椅子、本棚が並んでいるだけで他の家具はない。
モルガントたちが在室していることも多いため、執務机の他にローテーブルとソファくらい置くか、と場違いな考えを巡らせながら報告書に目を通す。
「……魔素濃度の計測が、67.25%を超えてた」
「!」
「それは……っ」
「そう、高濃度すぎるんだよね。
だからなのか、うさぎや熊といった動物の生態系も崩れていた。
……見た方が早いね、ちょっと実験室に行こうか」
私はそう言って立ち上がり、実験室へと向かう。
大量に捕獲したスライムが入ったタンクがまだたっぷりあるけど、部屋の広さにまだ余裕はある。
私は宙を切るように人差し指を水平に動かし、大き目の実験台を二台くっつける。
「“インベントリ”」
インベントリを開き、熊を選択する。
《取り出しますか?》の表示の下の《Yes》を選択すると、粒子がふわりと舞って実験台の上に熊の巨体が現れた。
「これは……、また随分と大きいですな」
モルガントが興味深そうに熊を見つめる。
「まだ生きてるんっすね」
生け捕りの難しさをスライムで経験しているバアルは、わずかに呼吸する熊を見て難しそうな表情をする。
「うん、生きている内じゃないと反応が見られないと思って。
ほら、よく見て。熊の体表を魔素が覆ってるの」
「ふむ……。可視化できるほどの濃度となりますと、かなりの高濃度ですな」
「そうなんだよね。この熊は怠惰の谷の魔素が濃い場所に棲息していた。
それから推測するに……、魔物は狂暴化したけど、動物はもしかしたら、高濃度の魔素を浴び続けることで“魔物化”してしまうんじゃないかな」
私の言葉に、その場にいた者は全員難しい顔をして熊を見つめる。
「可能性は……かなり高いかと」
そう切り出したのはルシファーだった。
「それはまた、どうして」
モルガントが不思議そうに眼窩の奥の光を揺らす。
ルシファーは巨大な熊を見下ろしながら、どこか悔しそうに漏らした。
「この熊、私の蹴りでダメージが殆ど入りませんでした」
「!」
モルガント、バアルが驚きに目を見開く。
……空気の読める私は、驚かないよ!
二人が驚いたってことは、ルシファーの蹴りが相当強いものだって知ってたからだよね?
そんな強い蹴りが通用しないなんて、どういうことだ?
っていう驚きで合ってる?合ってるよね?
「通常個体より巨大なので、打撃系が効きにくいのには納得しますが……。
それでも、ルシファーの蹴りを受けてダメージが入らないとは……」
モルガントがぶつぶつ言っている言葉にホッとする。
うん、私の考えは合ってたみたい。
「ということで、この熊を研究したいと思うの」
「そうですね、観察対象とするのが良いかと思います」
「……となると、ここじゃなくて別室に熊を置いた方が良いよね。
ちょっと待ってね」
私は恒例となったスキルツリーを開く。
様々な魔法、スキルが枝分かれしているけれど、今必要なのは攻撃魔法でも補助魔法でもない。
「えーっと……保管、隔離、研究……」
それっぽい単語がないか、口に出しながら指先はスキル名の上を滑っていく。
すると、《建築補助》というカテゴリの先に、それらしいスキルを発見した。
『《隔離結界》:対象を一定範囲に封じ、外部への干渉を制限する』
「お、これ良さそう」
私は迷わず取得を選択する。
《スキルを獲得しました》
見慣れたウィンドウが表示され、同時に頭の中へスキルの使い方が流れ込んできた。
「ダリオン様、何をなさるのですかな」
「んっとねぇ、危険物保管庫を作ろうかな、と思って」
さらっと答えながら、私は実験室の奥へ手を向けた。
「《隔離結界》」
淡い紫黒色の光が床へ広がる。
魔法陣が描かれ、空間そのものを切り取るように半透明の壁が形成されていった。
「おお……」
「これはまた、便利なスキルですな」
モルガントが感心したように頷く。
私は熊を結界の中へ移動させると、改めてその巨体を見上げた。
黒い魔素が薄く体表を覆っている。
生きている証拠なのか、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
「しかし妙ですな」
不意にモルガントが呟く。
「妙?」
「ええ」
モルガントは熊へ近づき、その身体を観察する。
「先ほどダリオン様が仰ったように、高濃度の魔素を浴びたせいで確かに通常の獣ではなくなっているようです。しかし────」
そこで言葉を切る。
「まだ、魔物とも断定できませぬ」
「どういうこと?」
私が首を傾げると、モルガントは腕を組んだ。
「魔力反応は異常なほど高い。巨大化もしている。しかし、我々が知る魔物とは少々異なるように思えるのです」
「つまり?」
「我々魔物には“核”というものがあります。血管のように魔力が体に張り巡らされるのは、一重に核があるからです。通常の獣や人間にとっては心の臓ですね」
モルガントは熊の体表を覆う魔素へ視線を向ける。
「この熊には、核がないのです。心臓が脈打ち、魔力の代わりに血が流れております」
「なる、ほど……?」
言っている意味はわかった。
言っている意味がわからない。
つまりどういうことだ?と思いながらもその感情は顔には出さない。
威厳ある魔王の表情を取り繕い、真っすぐにモルガントを見つめる。
その私の顔をどういう意味に受け取ったのかはわからないけれど、モルガントは結界内にいる熊に視線を戻し、無い唇を結ぶように一度黙る。
「これは仮説の域を出ませんが、体表を覆う魔素を完全に取り込むことで、心臓が核へと変化するのではないでしょうか」
「……なるほど、面白い説ですね」
モルガントの言葉にルシファーが顎をつかむようにして頷く。
お、面白い……、言われてみればなんかそうかも?
話に置いていかれないように《思考》をフル活用し二人の会話に聞き入る。
「つまり、獣の狂暴化は魔物へと転化する前兆であると」
「その可能性が高いですな。今はまだ断定はできませぬが」
ルシファーの言葉にモルガントは頷いた。
「ですが、調査する価値は十分にありますな」
私は結界の中で眠る熊を見つめる。
元はただの動物だったのかもしれない。
もしこの異変が怠惰の谷全域で起きているのだとしたら。
このまま放置するわけにはいかなかった。
「……そうだね」
私は小さく息を吐く。
そして決めた。
「決めた!私、怠惰の谷の領地も面倒見る」
「!」
モルガントが目を見開く。
バアルも驚いたようにこちらを見た。
「“怠惰の王”が統治していた領地だけれど、彼が討たれてもう永い。あの土地と私たちのいる領地が隣接している以上、このまま放置していたらこっちにまで被害が及ぶもんね」
私は熊へ視線を向けた。
深く眠っているのか、瞼が時々ぴくりと動く以外はまだ動きのない熊。
ほんの少し苦し気に呼吸と呼吸の合間にグルルル、と唸るような声が混じる。
高濃度魔素の原因も。
生態系の崩壊も。
全部調べる。
そして正常な土地へ戻してみせる。
魔王軍の拠点としても使えるだろう。
農地だって作れるかもしれない。
せっかく転生したのだ。
どうせなら住みやすい世界にしたい。
「こういう時って、どこかで手続きしたりする?
あの、ほら、市役所的な場所で」
「シヤクショ……?」
「シヤ……っくしょん」
そばに居たルシファーにそう問いかけると、怪訝に眉根を寄せる。
おっと、無知でおバカな魔王だと思われちまうとこだったが、くしゃみに誤魔化したぜ。危ない危ない。
「その……、事務的な手続きは特にありませんが、まずは怠惰の谷に住まう魔物たちの意見を聞くべきかと」
……そりゃそうだ。
市長だってちゃんと「選挙」するもんね。
街の統合とかは知らんうちに進んでたりするけど、住んでいる人の意見は大事にしたい。
「……こういう場合、私が直接出向くべき?
それとも各種族に来てもらって話を聞くべき?」
「その二択で言うならば後者ですね。
怠惰の谷に宣言を出し、
各種族の代表に来てもらうことが良いかと。
まあ、呼びかけに応じる時点でダリオン様の領地になることを了承するようなものなので、呼びかけに応じない種族に対してのみ適切な対応をすれば良いと思います」
ルシファーからの返事を受け、ふむ、と唇を尖らせる。
え、可愛くないって?そりゃあ知ってますよ。
でも、元の世界にこの姿のまま戻っても「イケメン」で通せるくらいには脱・ゾンビしたのだ。
こんなちょっと可愛い仕草だって許される。
……もちろん、条件付きだけどね。
「早速行動しよう。善は急げってね」
「ゼンはイソゲ……?」
おっと、ことわざもないのか。そりゃそうか。
いやでもゲーム会社は日本だったよね……なんてメタ的なこと考えたら負けか。
「良いと思ったことするには、早いにこしたことないよね!的な意味だよ」
「なるほど、さすがはダリオン様。言葉扱いが巧でございますれば……」
「まあ良いから良いから!バアル、宣言の準備を」
「は!」
隙あらば褒めちぎろうとしてくるルシファーをいなし、傍にいたバアルに声をかける。
準備を、なんて言ったけどどんな準備があるかは知らん!
まあ、バアルが疑問に思っていないのだからきっと準備はあるのだろう。
ということで、私はとても消費しきれないスライムの粘液の使い道に頭を悩ませながら、ルシファーの持ってくる書類に目を通し始めた。




