10.囮
遠征軍本隊は、遮るものもない代わりに、麦と塩以外に得るものがないまま一夜を幕営して、夜明けを迎えた。横になって冷静に考えるうちに、指揮官もさすがに変だと思い始めた。村長宅だと思われる最も広い家屋に設置した簡易ベッドに腰を下ろし、幕営地にした村を起点にして、周辺を調べてみようと思いながら手順を考えていると、敵襲を知らせる鐘が響いた。
「閣下、物見よりホッジス軍ありとの連絡です」
「迎撃準備」
「はっ」
直ちに防衛陣を組む指令を意味する鳴り物の音がした。
夜番の兵が朝食用のスープの鍋を住居の中へ移し、従卒見習いが戦闘の邪魔になる幕舎を次々に倒して片付ける。
騎兵が前面に並び、従卒が後に控える。そのさらに後ろには、替え馬を馬装させ、予備の武器を持った見習いの半数が距離を置いていくつかのかたまりになっている。指示に従って直ちに補充に走るためだ。
前方からホッジス男爵軍300ほどが来た。お互いに視界に入ったところで、ホッジス軍が狼煙を上げる。遠矢の射掛け合いになったが、一射の後すぐに騎兵の半分に前進合図が出た。昨日一度も戦闘にならず、兵は緒戦に興奮し始めている。
ガリエル軍の騎兵は2000、半分の1000でも300ほどの兵など、押し包んで殲滅するに十分だ、と、誰もが思った。
騎兵の突進の先頭は若手の小隊長。右手にシミターを掲げ、左手で手綱を引く。馬は腰から下と重心の移動でコントロールする。そのあとを1列で5小隊が続く。この列が次々にホッジス軍に向かって突進していく。
それを見たホッジス軍は、すぐに後方へ全力で逃げた。老練な騎兵のひとりが、「とまれ、罠だ」と叫ぶが、勢いがついた馬はすぐには止められない。辛うじて馬の進行方向を左へ変える。前方には、先をとがらせた丸太を埋めた落とし穴が準備してあった。
昨夜放った斥候の報告にはなかった。結界と偽装を見破ることができなかったのだ。
Uターンした騎兵の背後へと矢が降り注ぐ。
同時に、本隊後方からサリア軍が姿を見せた。軍人のほかに、それらしく防具を着せ、剣と盾を持たせた市民を加えて2000。戦わせる予定はないから数が揃えばいい。ガリエル本隊をホッジス城付近まで追い込むのが仕事だ。
音に敏感な馬を牽制するために、盾に剣の背を打ち付け、ガンガンと耳を聾する音を立てながらゆっくりと前進する。軍は全員が綿に水を含ませた耳栓をしている。
後方には、100ほどの射手と10人の中位魔法の使い手が位置取りしていて、弓に強化を掛け、矢が遠くまで飛ぶよう、風魔法ブローを展開していた。追い風に乗って、矢は思いがけないほど伸びる。
挟み撃ちにあったガリエル軍は、300という手薄なホッジス軍の方を撃破する選択をした。
騎兵がホッジス軍を追う。ホッジス軍は、弓と矢筒、短刀程度の武装しかしておらず、防具も軽量でその分を瞬間的に魔石から展開する防御魔法で補っている。逃げ足は速い。
騎兵の強みは、開けた場所で発揮される。草原や荒れ地のような場所ならば、隊を自在に展開して逃げる歩兵を取り囲むこともできるだろう。
だが、マナウス街道の砦寄りの部分は、川沿いに山を縫って下っている。右手は流れのはやい川、左手は山が迫っていて隘路になっていたり、雑木林になっていたりで、馬を早く走らせることができない。開けた場所は秋撒き小麦が一面に植えられている。そしてその小麦畑には、絶妙の間隔でくくり罠が仕掛けてあった。
開けた場所を利用して逃げる兵に追いつこうとすると、罠に足を取られて転倒する馬がでる。騎兵は鐙から足を離す余裕がなく、馬の下に足を挟み込まれて動くことができない。馬の体重は500キロ以上、一気に転倒し頭を打って気絶することもある。
ホッジス兵にとってここは訓練を繰り返した場所だ。姫隊に追われて逃げる訓練の方が怖かった。それを潜り抜けた300の兵は、自信をもって逃げ続ける。
3キロほど逃げた丘の陰に交代の兵が待っていた。最初の300はそこで馬に乗り、次の交代地点まで進み、矢の補給を受ける。
後方を護るガリエル騎兵は、宿営地から撤退する従卒見習いを怒鳴りつけて荷造りを急がせた。食料も大切だが、幕舎を失えば風雨に耐えられない。
最初に替え馬を引く者と衛生兵を、次に食料を運ぶロバを行かせる。起き抜けの急襲だったが、兵は優秀で手順通りに身の回りのものを背負っている。
幕舎の布部分のような人には背負えない重量のものをロバの背に乗せた。指揮官の従卒は、簡易ベッドまで解体して毛布に包み、途中で落とさないよう注意深くロバに背負わせた。
全員が村を後にしたところで、後衛の騎兵が続く。前衛1000、従卒1000、従卒見習い700、後衛騎兵の従卒1000、後衛1000。4700のガリエル軍は、ホッジス軍を追い散らしてホーシュビーへ進軍しているつもりでいたが、現実には前を地形とトラップに妨害されて神速の進撃はできない。さらに、後方から距離を測ったサリア軍に固められて退くこともできない状態だった。
実質的にゆっくりとホーシュビーへ移動させられている。
状況が状況なので、街道から村が見えても強襲する余裕がない。
10キロほど進んで、後衛が機能していることを確認したところで、指揮官が立て直しを図った。前衛の前進を止め、荷物と替え馬を真ん中にして、円陣を形成することにした。兵員の数が多いので時間がかかったが、兵の練度は高く、指示は鳴り物で行きわたった。
前を行く騎兵の足が止まり、小隊ごとにまとまって防御陣を作り始めた。主人を見つけた従卒から、騎馬の前に出て盾の準備を始める。4人分の盾を2人で預かり、あとの2人は4頭の馬の手綱を受け取る。主人を馬から下ろして、人も馬も休ませなくてはならない。
後衛が追いつき、円陣が完成した。起き抜けからアドレナリン全開になって、水を飲む余裕もなく10キロも走ってきたのだ。そろそろ限界が来る頃で、その前に休むしかなかった。
前方のホッジス軍と後方のサリア軍も、十分に距離をとって兵を止めた。
同じように休憩をとっても、状況はかなり違う。ホッジス軍には城からパンに肉と野菜を挟んだものと、リンゴ、水で割ったワインが届いた。
食事を届ける荷車を見て、兵がわっと沸く。わざとやっているのだ。
サリア軍はもう少し念を入れて、かたまりの肉を魔法使いの火で炙りいい匂いをさせて、それを弱い風魔法でガリエル軍の方に送りながら、歓声を上げて分け合った。
「おお、気が利くねぇ」
「腹減っちゃったよね」
「朝飯食ったのいつだけ?」
「何言ってんの、さっきだよ、さっき」
わざわざ風魔法に乗せて声もサービスしてしまう。
むっつりと口をつぐんで、保存食を齧るガリエル兵。ホーシュビーに着いて陣を張るまで、温かい食事をとることはできない。
頭に血がのぼった若い騎兵が3騎、馬に飛び乗ってサリア軍に一撃をお見舞いしようと突進したが、期待して待っていたサリア兵たちに網を投げかけられて馬もろとも転倒した。
兵は馬と武装を奪われて、嘲りとともに陣に追い返された。
屈辱に震えながら平伏する若い兵を軽くなだめながら、指揮官は困惑していた。
経験豊かな指揮官も、こんな目にあったことはなかった。
輜重隊どころか、後衛隊の連絡兵すら来ない。どういうことなのだろうか。
指揮官は明らかに甘かった。7000という数に惑わされ、援軍が予定されてないことを気にせず、自分がおとり隊を率いていることに気付いていなかった。




