沈黙
今年の冬は雪が少ないそうだと、窓辺に立っているセレストが言った。
ヒューティリアは読み進めていた魔法書から顔を上げ、不思議そうに首を傾げる。
「どうしてわかるの?」
「今通りかかった渡りの妖精が教えてくれた。いつも気まぐれだが、今回も気まぐれで教える気になったんだろう」
渡りの妖精、と、ヒューティリアは繰り返すように呟いた。
渡りの妖精はヒューティリアにとって馴染みの薄い存在だ。
精霊であれば森の精霊も渡りも精霊も関わりがあるが、妖精は森の妖精以外と関わったことがないのでその存在を実感出来ないのだ。
「気まぐれで天候を教えてくれるの?」
「大まかに、だが。渡りの精霊や妖精は世界中を巡っている。そのせいか天候を読む能力に長けている。年単位だと信憑性が低くなるが、季節ごとの予測ならほとんど外さないだろう」
「そうなんだ」
ちらりと窓の外を見ても、ヒューティリアの目には外で戯れている精霊たちの姿しか見えていない。
「今もまだいる?」
「いや。もう次の土地に向かったんだろう」
そっか、と、少し残念そうに俯いたヒューティリアの眼前に、突如水色の双眸が現れた。
「ひゃぁっ!?」
盛大に驚いて飛び退いた瞬間に足元が浮き、ソファーの背もたれを乗り越えそうになる。
傾いだ視界に慌てるが、がしりと両腕を何かに掴まれて事なきを得た。
『そんなに驚かれるとは』
ひっくり返らずにすんだことに胸を撫で下ろしつつ、聞こえてきた声に視線を向ける。声の主はクロベルだった。
クロベルはしっかりとヒューティリアの両腕を掴んでおり、倒れそうになったヒューティリアを支えてくれたことがわかる。
「ごめん、ありがとうクロベル」
『いや。こちらこそ驚かせて悪かった』
そう言って手を放したクロベルを、ヒューティリアは不思議そうに眺める。
『どうかしたか?』
「あ、うん。精霊って、人間に触れられるの?」
ヒューティリアが精霊に触れようとしても触れられないため、逆の現象が起こったことを不思議に思い、単刀直入に問いかける。
『ああ。一定以上の力を持つ精霊は、これまで貯め込んできた魔力を放出することで物理的干渉が可能になる』
頷くクロベルに、ヒューティリアは「へぇ」と感心の声を上げつつも、やはり不思議そうに掴まれた自らの腕を見下ろした。
思いの外強い力で引き戻されたのでその感触が残っており、違和感が拭えない。
『ところで』
と、クロベルがヒューティリアに近付き、耳元で『手記は読み終わったのか?』と小声で聞いてきた。
ヒューティリアは緩く首を左右に振り、やはり小声で「もう少し」と答える。
『そうか……』
何とも複雑な表情を浮かべるクロベルに、ヒューティリアも似たような表情を返した。
そんなふたりの様子を、セレストは静かに眺めていた。しかしヒューティリアもクロベルもそのことに気付かぬまま、こそこそと会話を続ける。
『大丈夫か?』
「え、何が?」
続けて問いかけてきたクロベルの言葉に、ヒューティリアは意味が分からず首を傾げる。
『……問題ないならいい』
その反応から予想より深刻に思い悩んだりはしていないのだろうと判断して、クロベルはヒューティリアから離れた。
一方、ヒューティリアは一体何を心配されたのかがわからずに首を傾げたまま、何気なくセレストの方へ視線を向け──ヒューティリアたちの様子を眺めていたセレストとばっちり目が合ってしまった。
咄嗟に目を反らしたが、明らかに不自然だった。変な汗がじわりと吹き出してくる。
マールエルの手記のことはまだセレストには話せないのに、どうしてクロベルはここであんな話題を出したのかと心の中で非難しつつ、それに乗ってしまった自分も馬鹿だったと後悔した。
「──ヒューティリア」
「はいっ」
セレストの呼びかけに、体が跳ねる。
恐る恐る顔を向けると、セレストはいつも通り眉間に皺を寄せ、しかしいつもより不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「挙動不審」
「うぅ……」
ずばりと指摘されて、返す言葉も浮かばない。
身を縮めて俯くと、重いため息が聞こえてきた。
「クロベルと何やらこそこそとやっているつもりなんだろうが、あまり目につくところでやられると気になって仕方がない」
「はい」
「……俺には言えないことか」
不意に、セレストの声が呆れ声から真剣味を帯びたものに変わる。
その問いに応じるために、ヒューティリアは背筋を伸ばし、改めてセレストと向き合った。
「うん」
真っ直ぐセレストを見つめながら頷く。
セレストの眉間の皺が深まった。
「なら、俺の目につかないところでやってくれ」
「ごめんなさい。でもね、セレスト」
セレストは話はお終いだと言わんばかりに視線を窓外に移す。しかしヒューティリアが謝りながらも改めて呼びかけると、横目でヒューティリアを見遣った。
ヒューティリアは一度大きく深呼吸し、意を決して続きを口にする。
「今はまだ言えないけど、必ず答えを見つけるから。そうしたら絶対、セレストにも話すから」
心配してくれているセレストに手記のことを隠し続けるのはつらいし苦しい。
例え全てを伝えることができなくても、何かしら伝えられることはあるはずだ。
ちょっとしたことでいい。例えば、マールエルはセレストのことを自分の子のように大切に思い、育てていたこととか──
そんな思いを込めて言葉を紡げば、セレストは虚をつかれたような顔になった。その顔も段々と緩んでいき、穏やかな笑みに変わる。
「そうか」
それだけ。
たった一言だけ返して、セレストは改めて窓の外に視線を戻す。
「もうすぐ冬だな……」
ぽつりと。小さく零して、以降は黙り込んでしまった。




