師を想う 〜マールエル〜
木々を彩っていた葉が、気付いた時にはそのほとんどを落としていた。
もう間もなく冬を迎える。朝晩が冷え込むようになってきた。
空が暗くなり、森も静まり返った夜。
ヒューティリアはストールを肩にかけ、臙脂色の手記に視線を落としていた。
静かに手記を読むその姿はとても十五の少女には見えず、また夜更かしをするのではないかと心配して見守る精霊や妖精たちも、声をかけることが憚られて息を潜めて見守っていた。
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◆17年と237日目 夏の月、中旬
もう教えることは何もない。セレストは立派な魔法使いに育った。近いうちに独り立ちの日を迎えるだろう。
どこに出しても恥ずかしくないし、うちの弟子に勝る魔法使いなんていないと思えてしまうくらい、セレストの実力は本物だ。
加えてセレストには、私の弟子とは思えない冷静な判断力と思慮深さが備わっている。こんな逸材はそうそういない。
親馬鹿かな?
でも本当に、そう思う。
最近、セレストの外見が益々師匠に似てきた。
髪色や表情、言動がまるで違うからこれまで他の誰からも師匠に似ていると言われたことはないけれど、本当のことを知っているからか、私はどうしても師匠を意識してしまうらしい。
私はまたもや古い記憶が呼び起こされて、どうしても忘れられない、忘れてはいけない最後の日の記憶が鮮明に蘇ってしまった。
私にとって全ての終わりのようで、全ての始まりでもあるあの日のことを。
あれは私が二十六歳の時。
師匠は時繰り魔法を時を戻す方向に進化させるべく、精霊に呼びかける言葉選びや、その時思い描く現象の思考方法について試行錯誤していた。
けれど、そうして手法や思考について研究を進める傍ら、実行するにはどうしても大きな気掛かりが残っていた。それは、代償がどれほどのものになるのかという点だった。
時を巻き戻すとなれば相当な代償が必要になると考えたのは、私だけではないはず。師匠だって、思い至っていたはずだ。
だからそのひとつ手前の段階……時間停止の魔法でどれだけの代償が必要になるか試してみようと私は提案した。師匠も相当悩んだみたいだけど、最後には承諾してくれた。
けれど、時間停止の魔法は失敗に終わった。
ただの失敗ではない。魔法自体は成功したものの、私たちは時間を停止させるという現象の意味を正しく認識できておらず、代償の大きさを完全に見誤っていた。
その結果、不足していた代償が持っていかれてしまった。
その持っていかれた代償がよりにもよって、師匠が大切にしていたもの……とある妖精の核だった。
私は薄々気付いてた。
師匠が大切にしていたあの妖精の核。あれが、師匠が取り戻したいと願っている相手のものであることを。
そしてきっと、あの核がないと時繰り魔法を編み出す意味などないのだということも。
だから私は焦ってしまった。
失われた核を取り戻さないとと思って。そうするには時を巻き戻すしかないと思って。
考えなしに、それこそ反射的に、時を巻き戻す時繰り魔法を使ってしまった。
絶対に取り返さなければならないと。そのためだったら私を代償にしてもいいからと。
心底馬鹿だったなと思う。そんなこと、きっと師匠は望んでなかったのに。
結果的に師匠が全ての代償を引き受け、巻き戻しの魔法も自ら被り、ソルシスとして生きてきた記憶の一切を失った赤子になってしまった。
私は師匠に大切なものを失わせ、更に師匠までもを失い。残ったのは、赤子がひとり。
師匠は、大切なものを失ったとき、どう思ったんだろう。
ようやく諦めがついたって言ってたけど、本当に?
答えが知りたい。私は、師匠に幸せになって欲しかった。
私が、師匠の幸せを奪ったのではないの?
私が師匠を不幸にしたのではないの?
私が
書いているうちにうっかり涙腺が緩んでしまった。
しかもセレストに見つかってしまうという失態。
どうしたんですか、だって。
どうもしないよって言ったら、眉間にものっ凄い皺を寄せて、そうですか、だって。
全然納得していない顔をしてるくせに、どうして無理矢理納得しようとするんだろうね、あの子は。
そう思ったら何だか笑えてきて、本当に、いい弟子を持ったなぁと思ってしまった。
ねぇ、師匠。
私、ちょっと考えすぎなんだろうね。きっと師匠もそう思ってるんでしょう?
私も疲れてきちゃった。もういいかなぁ。
セレストがね、あまり考え込んでると心配してくるんだよ。全っ然心配してない顔して寄ってきて、無言でお茶を置いてくの。
何あれ、可愛い。本当うちの子最高……!
お茶すらまともに淹れられない師匠とは大違い!
本当、別人。
うん、やっぱりもう悩むのはやめよう。
送り出すその日も、その日までの間も、私はずっと笑っていないと。
じゃないとセレストも心配で家を出られなくなっちゃうからね。
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自然と、ヒューティリアの口許に笑みが浮かぶ。
思い出すのはセレストに読み上げてもらった、セレスト宛のマールエルからの手紙。
あの手紙の中のマールエルがここにいるようだった。
前向きで、どこか強引で、けれどちゃんと相手を気に掛けている。
(それに、セレストのことが大好きなんだよね、マールエルさんは)
親のような気持ちだったのだろうと思う。
師としての気持ちだったのだろうとも思う。
マールエルは自らの師であるソルシスを尊敬していたけれど、セレストに対しては守り育てるべき者に向ける深い愛情を持っていた。
それが、かつて読み上げてもらった手紙からも、この手記からもよくわかる。
『今日は笑ってるね』
『いい内容だったのかな』
『だったらいいけど』
こそこそと話す精霊や妖精の声に、ヒューティリアは顔を上げた。
ヒューティリアには精霊の姿しか見えないけれど、そこに妖精たちもいることが気配でわかる。
「心配かけてごめんね」
ヒューティリアを心配して、彼らが毎日代わる代わる様子を見に来てくれていることには気付いていた。
先日も、深く考え込むヒューティリアを心配した精霊や妖精たちがヒューティリアを外に連れ出してくれた。
(こうして気に掛けてもらえるって、幸せなことだよね)
故郷での記憶を思い出すと、あのころ疑問にも思わなかった様々なことが、今になって何かがおかしかったのだと感じるようになった。
同時に、こうして自分を見守ってくれる存在を知って温かい気持ちになれるなんて、あの頃の自分は知りもしなかったなと思う。
『ヒューティリアが元気ならいいんだよ』
『そうそう』
『ヒューティリアに元気がないと、セレストも元気がなくなるしね』
『そうそう!』
どこまで本気で言っているのかわからないが、いつもの調子で言葉を投げかけてくる精霊や妖精たちにヒューティリアは吹き出して笑う。
「じゃあ、あたしはずっと元気でいないと!」
『そうそう!!』
彼らの言葉に乗れば、更に肯定の合唱が大きくなる。室内は先ほどまでの静寂を忘れ、一気に賑やかになった。
そうして笑い合っていると、部屋の扉がノックされた。
「夜中だぞ」
いつも通りの平坦さでそれだけを告げ、去っていく足音。ヒューティリアも精霊たちも、そして恐らく妖精たちも、慌てて口に手を当て黙り込んだ。
『ちょっとうるさかったかな』
妖精が小声で囁く。
『いやいや、セレストはちょっと神経質すぎるんじゃない?』
精霊が小声で返す。
『でも確かにもう夜中だよ。ヒューティリアは眠らないと』
呆れた声をあげながらヒューティリアに寄ってきたのは、年長の精霊だった。
美しい毛並みを持つ狼に似た姿。ヒューティリアの腰まである大きな妖精を、ヒューティリアはそっと撫でた。
「うん、そうだね。もう眠らないと」
感触はわからないけれど、気持ち良さそうに目を細めた精霊にヒューティリアは微笑んだ。
「おやすみなさい」
『おやすみー』
『おやすみなさーい』
ヒューティリアがベッドに潜り込むと、部屋に集まっていた精霊や妖精たちがそっと姿を消していく。彼らもそれぞれの棲み処に戻っていくのだろう。
その気配が消えるのを待って、ヒューティリアはまぶたを下ろした。
今日は優しい夢が見られそうだと思いながら。




