ヒューティリアの選択
ふっと意識が浮上し、ヒューティリアはゆっくりまぶたを押し上げた。
どうやらベッドに突っ伏す格好で眠っていたようだ。
ぼんやりと状況を把握し、しかし意識は半覚醒のまま。無意味に真っ白なシーツを眺める。
どれくらいそうしていただろうか。
じわりと暑さを感じて寝返りを打ち──窓から差し込む太陽の光の強さにはっと目を見開いた。
すでに太陽は天頂にあり、そのことに気付くなり一気に意識が覚醒する。見事な寝坊だ。
ヒューティリアは慌てて起き上がり、身支度を整えるとリビングに急いだ。
「セレストごめんなさい! 寝坊した!」
自分がすべき仕事を全て放り出してしまったことに罪悪感を覚えて、開口一番で謝る。
しかし昼食の支度をしていたセレストはヒューティリアを一瞥し、「気にするな」と応じただけ。黙々と準備を進めていく。
こういう時、表情の変化がわかりにくいことが災いする。
ヒューティリアは、夜更かしを誤摩化すために早くに目が覚めたと嘘をついてしまった罪悪感に加え、寝坊したことで自分の仕事を放棄してしまった罪悪感から、常と変わらぬはずのセレストの薄い反応を怒っているのだと受け取ってしまった。
これも普段ならばあり得ないことなのだが、動揺しているヒューティリアは驚くほど後ろ向きに物事を捉えてしまっていた。
ヒューティリアは泣きたい気持ちを堪え、改めて「ごめんなさい」と呟く。
一方セレストは、やや涙声のヒューティリアの声に驚き振り返った。
何故ヒューティリアが泣きそうになっているのかわからず、顔には出さないものの内心で狼狽える。
「いや、本当に気にするな。朝方まで起きていたんだろう? お前は黙ってるつもりだったんだろうが、精霊や妖精たちが知らせにきたから、寝不足だったことは知っていた」
何と言えばいいのか迷い、辛うじて言葉にするもうまく伝わったか疑わしい結果となってしまった。
しかし今度は誤解なくセレストの言葉が伝わったようだ。
ヒューティリアはじっとセレストを見上げていたが、やがて項垂れた。
「そうだったの……。でも、本当に反省してるの。ごめんなさい。つい時間を忘れて読み耽っちゃったけど、今度からは気をつける」
「そんなに面白い本なのか」
ヒューティリアの言葉尻を拾ってセレストが問いかける。
反射的にヒューティリアはしまったと言わんばかりの表情を浮かべてしまった。
「あ、う、そう! 凄く面白いの! ソーノから借りた本なんだけどね」
慌てて誤摩化すが、セレストは納得したようなしていないような、複雑な顔をしている。けれどいつも通り、相手が話すつもりのないことまで問うことはしなかった。
「そうか。それで、体調に問題はないか?」
「うん、一杯寝たから大丈夫!」
話題が逸れ、ヒューティリアはほっと息をついた。セレストが敢えて聞かずにいてくれたことはわかっているが、別の話題に逃げたい気持ちに素直に従う。
そんなあからさまなヒューティリアの言動にも表情を動かすことなく、セレストは「だったら」と話を続けた。
「劣化防止魔法の知識も充分ついていることだし、そろそろ実践に移してもいい頃合いだろう。……挑戦する気はあるか?」
問われた瞬間、ヒューティリアの瞳が輝いた。しかしすぐにぴたりと動きを止め、開きかけていた口を引き結ぶ。
その様子からあまり乗り気ではないことを察したセレストは「理由は?」と問いを重ねた。
「あ……あのね。自分でも、よくわからないの」
応じながらも、どこかに答えが落ちていないかとヒューティリアは視線を彷徨わせた。
けれど当然のことながら、答えなどその辺に転がっている訳もなく。ぽつりぽつりと、思い浮かぶ理由を口に出す。
「精霊の核を、使いたくない……そういう思いもあるんだけど、それだけじゃなくて」
そう、それだけではない。
では他になにがあるというのか。
ヒューティリアは自問を続ける。
その間、セレストはヒューティリアが答えを出すのを待っていた。昼食の支度で使っていた火を消し、話に集中する。
「……なんだろう。やってみようって、一瞬だけ思ったの。けど、そう思ったら急に……知識だけあればいいんじゃないかって……そう、そんな感じの気持ちになって」
ようやく自分の感覚を言葉にして、ヒューティリアは大きく頷いた。
「使えるようになる必要なんて、ないんじゃないかって思ったの。でも、知識は欲しい。それだけはどうしても譲れない気がして」
どうしてなのか。
それを考えると、どうしてもマールエルの存在が浮かび上がってくる。
けれどまだ確証はない。だからセレストにも言えない。
ただ、気持ちの向くままに進むなら、選び取る道は決まっていた。そこから外れることが、ヒューティリアにはどうしてもできなかった。
「……わかった。なら、この精霊の核はお前が持っていろ」
「え?」
半ば押し付けるように差し出された三つの精霊の核を、ヒューティリアは反射的に受け取っていた。
理由がわからずセレストを見上げれば、セレストは眉間に皺を寄せ、何やら難しい顔をしている。
「その精霊の核は、お前のために森の精霊の長が譲ってくれたものだ。不要だからと返すのは難しい」
「どうして?」
精霊の核とは、いわば精霊の命のようなもの。
いくら命を終えた精霊のものとは言え、使う必要がなくなったのであれば返すべきではないのか。
そう思い、ヒューティリアは首を傾げた。
しかしセレストはゆっくりと、言葉を選びながら答えを口にする。
「その核は精霊の長からの、お前への、信頼の証しだ」
セレストの言葉を聞いて、思わずヒューティリアは手の上の精霊の核に視線を落とす。
三つの精霊の核は形は違えどどれも鮮やかな色を持ち、内側から淡く輝いていた。
「いつか何らかの形で役に立つこともあるかもしれないし、ずっとお前の手元にあるのかもしれない。とりあえずは、精霊の長から貰い受けたお守りだと思って持っていればいい」
「……」
そう言われてもなお迷いを見せるヒューティリアに、『受け取れ』と別方面からも声がかけられた。
確認するまでもない。その圧倒的存在感を放つ声の主など、決まっている。
「クロベル……」
『セレストの言う通り、それは森の精霊の長からの信頼の証しだ。使う使わないに関わらず、お前に扱いを任せたということだ。貰っておけ。むしろ返そうとするな。精霊の長だけでなく、この森の精霊たちも傷つく』
そう言われてしまっては受け取らざるを得ない。
ヒューティリアはこくりと頷き、信頼の証として託された精霊の核を優しく手の平に包み込んだ。
『……やはり、時繰り魔法は不要な魔法なのかもしれないな』
その様子を見守っていたクロベルが、小さく呟く。
セレストもヒューティリアも、クロベルの方を振り返った。
『あ、いや。学ぶことを止めたりはしない。ただ、ずっと考えていた。この魔法は本当に必要なものなのかということを。その答えが出ようとしているのかも知れない。そしてその答えは、もしかしたら──』
それだけ言い残して、クロベルは姿を消してしまった。
言葉の続きが気になったが、言いかけたまま消えたということは匂わせはしても明かすつもりはまだないということなのだろう。
「……食事にしよう」
「うん」
ふたりで食卓を整え、食事を摂る。
しかしいつも以上に口数は少なく、静かな食卓となった。




