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クロベル

 ヒューティリアは、眼前に現れた精霊に釘付けになっていた。意識も視線も自分の意志では反らせる気がしない。


『確かにマールエルは大きな失敗をしたが、あれはわたしの失敗でもある』


「一体どんな失敗をしたんだ」


『それは言えないな』


 目の前では自分の師と件の精霊が親しげに話をしている。

 その光景がまるで現実味がなく──


(現実味がない……?)


 何かが引っかかった。

 つい最近、同じ言葉を何かに当て嵌めやしなかったかと、記憶を掘り起こす。


「──あっ!」


 すぐに該当する記憶に行き当たり、ヒューティリアは反射的に声を上げて立ち上がった。

 その声に反応してセレストも精霊も会話を中断し、ヒューティリアを振り返る。


「どうした?」

「そ、その精霊って、まさか……まさか……」


 怪訝そうに問いかけてくるセレストに何とか応じるものの、頭の中が「まさか」で埋め尽くされていてそれ以上言葉が出てこない。

 しかし、ヒューティリアの意図はしっかりとセレストに伝わった。セレストは「ああ」と今思い至ったように傍らの精霊を見遣ると、すぐにヒューティリアに視線を戻す。


「この精霊の名前はクロベル。お前が予想している通り、原初の精霊のひとりだ」


 ヒューティリアに精霊の姿が見えていることに疑問を抱くこともなく、しかもあまりにもあっさりと紹介されて更にヒューティリアは混乱する。


「なっ、なんで!?」


 最早伝えるべき言葉もうまく出てこない。

 何をそこまで動揺しているのか理解できていないセレストは首を傾げたが、今回ヒューティリアの意図を汲んだのは原初の精霊クロベルの方だった。


『わたしの姿が見えるのが不思議なんだろう? 普通はそういう反応だよな。セレストみたいな反応の方が特殊なんだ』


 そう語る間にも、クロベルの姿は変化していく。おとなの人間の姿から、ヒューティリアと同年代の姿へ。

 まるで幻に惑わされているような気分になり、ヒューティリアはへたりこむようにしてソファーに沈んだ。


『きみにわたしの姿が見えるのは、わたしがきみに姿を見せようとしているからだ。そうでなけば他の精霊と同様に私の姿がきみに見えることはない。きみの頭がおかしくなったわけではないから、安心するといい』


「…………」


 クロベルの言葉に、ヒューティリアは何の反応も返せなかった。

 耳から入ってくるその声が、益々ヒューティリアの体から力を奪っていくように錯覚する。比喩でも何でもなく、本当に力を持っていかれているような──


「クロベル。ヒューティリアの魔力が尽きるからやめろ」


『おっと、そうだった。見えない人間に見せようとすると、人間側の魔力を奪ってしまうんだったな』


 その声を最後に、ヒューティリアの目の前からクロベルの姿が消えた。

 しかしその異様なまでの気配だけはその場に留まっている。


「で? タイミングよく姿を現したということは、割と近くにいたのか」


『ふふ。わたしはソルシスとマールエルの友人だからね。あぁ、それとセレストのことは弟のように思っているよ』


 心底楽しげな声に、セレストは「答えになっていない」と返す。

 そんなやりとりを眺めながら、原初の精霊というものものしい肩書きはあれど、精霊の本質は皆一緒なのかもしれない、とヒューティリアは思った。


 楽しいことが好きで、はぐらかすことも好き。

 そして常に、隠しごとをしている。そう感じる瞬間がある。


 けれどそんな彼らの性質もセレストにかかれば何ということもない。セレストは相手に言う気がないのであれば、敢えて首を突っ込んでまで聞こうとはしないからだ。

 今もクロベルはセレストに答えらしい答えを言わなかったが、セレストもこれ以上問い詰めるつもりはないらしい。


「ヒューティリア。大丈夫か?」


 セレストはぼんやりとソファーに沈む弟子の方へと意識を切り替え、ヒューティリアの傍までやってきた。あまりはっきりとした表情の動きはないが、よく見れば心配しているのがわかる。

 ヒューティリアは大丈夫だと頷こうとしたものの、どうにも体に力が入らず目を伏せることしかできなかった。明らかに魔力切れのときの倦怠感だ。


 全身に広がる倦怠感に抗えずにいると、不意に、ふわりと体が浮き上がる。

 驚いて顔を上げてみれば、目の前にセレストの横顔があった。更に驚き目を見開いていると、セレストがクロベルの気配がある方を迷惑そうに睨む。


「今日は休ませる。お前にはいくつか聞きたいことかあるから、そこにいろ」


 そう言い置いて、セレストが歩き出す。その動きに合わせてヒューティリアの体も僅かに上下に揺れながら移動していく。

 いまいち正常に働いていなかった頭が、急激に動きだした。ヒューティリアに現状を把握させたのは、セレストがヒューティリアを、ヒューティリアの部屋のベッドに下ろしたときのことだった。


「────!!」


 状況を認識した瞬間に顔のみならず、全身が熱くなる。

 顔も耳も真っ赤にして息を呑むヒューティリアに、セレストは特に気にした風もなく「仇は討ってやる」とだけ言い残して部屋から出て行った。


(仇? 何の??)


 再び正常な思考が不能となり、混乱した頭ではセレストの短い言葉すらうまく理解できず。

 あとはただ、閉じられた扉の向こうから聞こえてくる、クロベルの『悪かった!』『許してくれ!』といった叫び声を聞いていることしかできなかった。

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